5.額縁を越えて

 一週間後の夜。たっぷり考え込んだ私は、いよいよ、レギュラスの肖像画の前に立っていた。 「少し考えたんだ。『あなた』に言われて、私がどう思ったのか」  レギュラスはちゃんとそこにいた。狸寝入りすることもなく、かといって何を言うでもなく、私のことをじっと見ている。私の言葉を、待っている。  そして、私は。一世一代の告白のつもりで、想いを伝えた。 「あなたが虚像でもいい。私は今、目の前にいるレギュラスのことを、好きになったから」 「……へえ?」  レギュラスは少し眉を顰めたが、何も言わない。なので私は、言葉を続ける。 「本物のレギュラス・ブラックにも、会ってみたかったとは思うけど。『彼』のイメージを投影したあなたのことが、私は好き」  生きていた人間としてのレギュラス・ブラックの人生に対しては、私は尊敬の念を抱いている。確かに彼は、決定的に道を誤った人であり、そこについては肯定しない。してはいけない。特に、マグル生まれの私としては。  だけど。家族を守ろうとしたこと。ブラック家の屋敷しもべ妖精のために、絶対的な強さを持つ相手に歯向かったこと。その点はやはり――尊敬できる人だ。  そして。そんなレギュラス・ブラックのイメージが投影された、額縁の向こう側にいる、肖像画のレギュラスのことこそが。そんな彼と話すことが、私は好きなのだ。 「それにさ――肖像画に恋することと。現実の恋愛って。実は、そんなに変わらないんじゃないかな?」 「……何を言ってるんだ?」  私のこの言葉には、さすがにレギュラスも唖然とした。だけど私は、構わず続ける。 「例えば私が、上級生のグリフィンドールの男の子を好きになったとして。虚像のあなたを好きになることと、何が違うのかな?」 「――は?」  今度こそレギュラスは、本気で意味が分からないと言わんばかりに、素っ頓狂な声を上げた。 「違うだろう。全然違う。現実に存在する人間と、イメージとしての肖像画は、全く違う存在だ」 「ううん。違わないと思う。女の子は、理想に恋をする生き物だから」 「……理解し難いね」 「あはは! きっと、『本物のレギュラス』もそう思うだろうね!」  理解できないと言わんばかりに首を振るレギュラスに、私は笑って言った。  根拠なんてないけど、本当にそう思った。きっとこの気持ちは、肖像画だろうが本物のレギュラスだろうが、分からないと思う。女の子の、恋する気持ちは。  ――きっと、同じなのだ。本物の、生きている人間が相手だったとしても。  始まりは、憧れとして。表面を見て、人は人を好きになる。『自分のイメージとしての相手のことを好きになる』ということが、恋の始まりなんだと、私は思う。その『イメージ』とは、理想と言っても良いかもしれない。  そこから、現実と理想の違いを知って恋の蕾がしぼんだり、逆に恋が愛に変わることもあるのかもしれない。だけどそれについては、私にはまだわからない。  だから、私は。もっとレギュラスと一緒にいたい。偽物でも、作り物でも、構わない。  だって人は、物語にだって感情移入し、涙する。それならば、動く肖像画に恋をしたって、……いいじゃないか。そうすれば、いつかは本物になるのかもしれない、なんて。  たとえ目の前にいる肖像画のレギュラスが、誰かのイメージの投影でしかないとしても。 「……はあ。もう、説得する気も失せてきたよ」 「それでいいよ。いくら言われても、私は自分の考えを変えないから」 「ナマエ。君が今後後悔したとしても、僕は知らないからね」 「もちろん。レギュラスは責任を感じなくていいよ。そもそも、レギュラスに『責任感』という感情なんてないだろうしね?」 「……全く」  肖像画のレギュラスは、諦めたように息を吐いた。  それでいい。今の私は、彼と額縁越しに話すことができるだけで、幸せなのだから。  それから私たちは、少し話をした。 「ねえねえ、レギュラス。さっきのは、例え話だったけど……私がグリフィンドールの上級生に恋をしたことを考えてみて、ちょっと嫌な気分にならなかった?」 「……思わないね。肖像画に感情はない。ナマエが誰に恋をしようと、僕には関係がない」 「そう? 私には、拗ねてるように見えるけど」 「拗ねてる? 僕が? ナマエ、君、目でもおかしくなったんじゃないのか」 「拗ねてるように見えたよ。……見せかけだとしても、そう見えるんだよ」 「……そう思いたければ、そう思えばいいさ」 「それにさ、レギュラス、優しいよね」 「何故、そう思った?」 「だって、私のことを考えて、私を遠ざけるようなことを言ったんでしょ?」 「……まさか。ここでナマエのことを説得できれば、静かに過ごすことができると思っただけだよ」  そして私は、彼との会話で笑い続ける。レギュラスは呆れ顔ではあったけど、それでも、ほんの少し楽しそうに見えた。 「ナマエ。そこまで言うなら、好きにしたらいい。どうせ肖像画は暇だからね。君が貴重な学生時代を虚像との恋にうつつを抜かそうが、僕には関係ない」  終いにはレギュラスはこう言い出した。一見冷たい言い方のように思えるが、それでも。  私には、レギュラスが、私と一緒に過ごすこれからの日々を、受け入れてくれたように見えた。 「うん。えへへ、これからもよろしくね、レギュラス」 「だからナマエ・ミョウジ、君と仲良くするつもりはないんだが――ああ、いや」  そこでレギュラスは、小さく笑った。  そして私は、少しだけ、彼と出会った当初のことを思い出していた。 「そこまで言うなら仲良くしてやってもいいよ、ナマエ。友人として、ね」  そこでレギュラスは、仰々しく手を差し出す真似をする。私はそれに倣って、彼の方に手を出した。  ……当然、肖像画に描かれている彼は、平面だ。握手ができるはずもない。触れられることすらできない。  それでも良かった。こうして言葉を交わせるだけで、私には充分だった。  私のこの選択は、他人から見れば馬鹿みたいに見えるのかもしれない。肖像画に本気で恋をする、なんて。触れることもできなければ、『感情を持たない』彼が真の意味で私の気持ちを応えてくれることは、絶対にない。  だけど、少なくとも今は。こうして、レギュラス・ブラックの肖像画と一緒に話すことができて。密かに二人で会話を交わすことができて。この瞬間が、私にとっては、確かに幸せなのであった。  それはまるで、解けない魔法のように。

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