4.額縁越しの恋

「ねえ、レギュラス」  ある日の夜。絶対に誰も談話室に降りてこないことを確認しながら、私はいつものように、レギュラスの肖像画の前に立っていた。 「私とあなたの間に、恋は生まれないのかな?」  ドキドキしながら私は言う。  言った。言ってしまった。ずっと前から、言いたかったことを。 「……はあ?」  とはいえ。レギュラスの返答は、相変わらず冷たかったけれど。 「私だって分かってるよ、レギュラスが肖像画で、本物のレギュラスとは全然違う人かもしれなくて、あなたには、本当の意味での感情がないってこと」  胸が高鳴る。言おうかずっと迷っていたことだったけど、やっぱり、後悔はない。  虚像、イメージ、鏡の向こう側、偽物。作り物、紙と塗料。創り手のイメージ通りに魔法で動き、創り手のイメージ通りに魔法で喋るだけ。  それでも私は。そんなレギュラスと話をすることが、本当に楽しいと思っているのだ。 「でも……でもさ。私はあなたのこと、素敵だと思う。今、私の目の前にいる人が。好きだと思う。これって、恋って言えないのかな」  恋の告白のつもりだった。十一歳という、まだ幼い私だけど、この気持ちに嘘はないと思いたかった。  長い、長い沈黙のあと。レギュラスは、厳しい口調でこう言い始めた。 「分かってない。何も分かってないよ、君は」 「マグル生まれの君にとっては、魔法と言えば聞こえがいいかもしれない。だが、所詮、紙の上に描かれた塗料だ。僕の正体は、それでしかない。僕を動かす魔法の中に、感情は吹き込まれていない。君のことを、好きになることも嫌いになることも、ありえない」  レギュラスは語る。  ただ、語る。 「……でも」 「君は一体、何を勘違いしていたんだ?」  私の言葉を遮って彼は言う。  その中に、少しだけ――レギュラス自身の感情が含まれているような、そんな気がしてしまった。 「僕はレギュラス・ブラックの肖像画だ、それ以外の何者でもない。肖像画とはあくまで虚像だ」  何度も聞いた言葉。  何度も聞いた、人間の私と肖像画の彼の間に引かれた、ひとつの線。 「肖像画には感情はない。僕の言動だって、あくまで『僕を描いた魔法画家のイメージするレギュラス・ブラック』にしか過ぎない。肖像画が笑おうと怒ろうと泣こうと、それは見せかけのものでしかない」  それでも、私は。  彼が本当に生きているようにしか見えないのに。 「……君はマグル生まれだから、勘違いしたんだろうね。魔法界で育った子供は、どんなに遅くとも、ホグワーツ入学前には察するだろう。肖像画とは友達になんてなれない、恋人になんてなれない。恋なんて、できない」  ホグワーツに入学したばかりの頃を思い出す。動いて喋る肖像画を初めて見たときは、確かに衝撃的だった。 「そういう意味で僕は、君の言う『マグルの肖像画』とそう変わりはない。僕は、……ただの、絵なんだよ」  だけど。他の誰でもない、レギュラスの肖像画だから、私は好きになった。  私は表情を変えず、レギュラスの言葉を聞く。レギュラスは言葉を選びながら、慎重に語り続けた。 「……『レギュラス・ブラック』は。家族を愛し、屋敷しもべ妖精であるクリーチャーを愛していた」  知っている。最初に彼と話してから、一生懸命調べた。『生前のレギュラス・ブラック』のことも、『肖像画のレギュラス・ブラック』のことも、私はどちらも知りたかった。 「だが、『レギュラス・ブラック』は死喰い人だ。マグルを虐殺する闇の帝王を崇拝し、闇の魔術に魅入られ、過激な選民思想を持ち、自らもマグルやマグル生まれを殺した」  ……知っている。死喰い人と自称していた人たちが、何をしていたのか。私だって少しは調べた。  認めたくは、ないかもしれないけど。 「……今の僕は、『闇の帝王を裏切った者』としてのイメージが描かれている。それに、学校に置く肖像画なのだから、魔法画家も過激なことを言わないように魔法をかけただろうね。例えば……『穢れた血』とか」  レギュラスがその言葉を発するまで、少しの間があった。  どうやらそれは、本当に酷い言葉なのかもしれない。マグル生まれのスリザリン生の私のことを、影で何か言っている人たちが、ほんの少しの人だけど、確実にいるということ。……私は、既に知っている。 「ああ、古びた言葉だよ。由緒なるブラック家の人間が公然と言うべきではない言葉だと、僕はそう思う。だが本物の『レギュラス・ブラック』がどう考えていたかなんて、僕には分からないんだ」  それから。レギュラスは、死刑宣告するようにこう言った。 「……そして、それは。君のことを指す言葉だ、ナマエ・ミョウジ。マグル生まれの、『穢れた血』の、ナマエ・ミョウジ」  私は、確かに。……死喰い人の肖像画と、仲良くなるべきでは、なかったのかもしれない。  それでも、私は―― 「『レギュラス・ブラック』が自らの家に仕えるしもべ妖精を、家族として大事にしていたからといって。闇の帝王に反逆したからといって、闇の魔術に対する自分の考えを、変えていたとして。死ぬ間際の『彼』が、マグルやマグル生まれを好きになっていたとは、僕は思わないね」  確かに、そうなのかもしれない。  少なくとも、生前の『レギュラス・ブラック』は―― 「君が好きになったのは『レギュラス・ブラック』ではなく、虚構のレギュラス・ブラックだ。そしてそれは、この世に存在しない人間だ。……この言葉の意味が分からないほど、君が馬鹿な人間でないことを願うよ」  そしてレギュラスは、自分の肖像画から姿を消して、どこかへ行ってしまった。レギュラスがスリザリンの談話室からいなくなってしまったのは初めてだな、と漠然と思った。  確かに、彼の言っていることこそが正論なのだと思う。魔法のように浮かれていたのは、私だけ。私の好きになった、レギュラス・ブラックはただの偽物。  彼には感情がない。ただ、『レギュラス・ブラック』らしく受け答えをするだけ。  私はここで正気に戻って、他の男の子のことを好きになるべきなのかもしれない。生きている人間のことを。肖像画のことは、あくまで肖像画であると捉えて、眺めるだけ。  それでも、それでも――それでも。  ふわふわと浮かび上がるような魔法は、解けてくれなかった。

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