それから、また月日が経った頃。 私は、ずいぶん久しぶりに――ある少女に会う約束をしていた。 あの激動の一週間の中で、望まず中心人物になってしまった少女。 元ボス、ディアボロの娘――トリッシュ・ウナという少女に。 「ナマエ」 「……トリッシュ」 久しぶりに会った彼女は、思ったよりも元気そうだった。 あのとき、命を狙われ、騒動の渦中にいた彼女は、学生の身分に戻っている。 私は今から――彼女と共に、彼らに会いに行く。 逝ってしまった人たちの墓に、花を供えに行く。 「トリッシュって、今はどうしてるの? その、住んでいるところとか」 道中、私は彼女におずおずと聞いた。現在の彼女の様子は、あまりはっきりとは知らなかった――今まで聞いていなかったのは、彼女の口からそれを聞いてしまうのが怖かったのかもしれない。 私の問いに、トリッシュは軽く微笑んだ。そして、ぽつりと言葉を紡ぐ。 「寮に入ってるの。家は荒らされてしまったけれど……大切なものは、残っているもの」 だけど彼女は、少しだけ寂しそうだった。 家は荒らされた――この言葉に、彼女の感情が込められているのだろう。そう思うと、彼女の苦しさが少しだけ、伝わった気がした。 トリッシュ・ウナは、『パッショーネ』の元ボス、ディアボロの血の繋がった実の娘である。 この事実は、元ボスを倒しのし上がろうとする者たちに、手段として用いられようとした。 彼女はひとりの、ただの少女だったのに。トリッシュはもともと、父親がギャングなんて事実を知らずに生きてきた、ただの少女だったというのに。 生まれというどうしようもない事実によって、彼女の命は狙われ、母親との思い出が詰まっているであろう家は荒らされた。 「父は生きている。あのどす黒い血が、悪魔の血が、あたしの中に流れているのを感じる。それはあたしには、どうしようもないことだわ。だけど――あたしは、彼らにもらった命を、それでも受け継いでいく」 生まれとは、本人にはどうしようもないものだ。誰の子として生まれるのか、それは誰も選べない。 悪魔の子になることは、望んで選んだものではない。それがまさに運命であるというのなら、どうしようもないやるせなさを感じる。 このやるせなさを感じたのは、果たして何回目だろうか。 「やだ、そんな顔しないで。あたしは大丈夫よ、ナマエ。あたしはもう、それを乗り越えたもの」 私の心を見透かしたかのように、トリッシュは笑った。彼女の笑顔には迷いがなくて、それがどうにも眩しかった。 「そうね、あたしは――この先、あたしが母親になったとしたのなら、子どもたちには絶対に、こんな思いはさせないわ」 トリッシュは重くなった空気を振り払うかのように、明るく言う。 私を気遣った故での発言なのかもしれないけれど――彼女はひょっとしたら、私が想像しているよりずっと、ずっと強いひとなのかもしれない。 私なんかよりもずっと、強い女性なのかもしれない。 そうだとしたのなら。確実にあの旅が、一週間の旅が彼女を成長させたのだろうと――私は『彼ら』の姿を思い浮かべながら、そっと頷いた。 「ええ。トリッシュなら、きっといい母親になれるわ」 「ちょ、ちょっとやめてよ、冗談のつもりだったのに……あたしが母親、なんて……」 私が真剣にうなずくと、彼女はどうやら、少し戸惑ったようだった。 「きっと、大丈夫よ、トリッシュなら……」 だけど、私はそれでも彼女の言葉を肯定した。 これが私の、本心だったから。 彼女が将来、母親になったとして、その子どもたちに、生まれのことで悲しみを感じさせるなんて、そんなことはないはずだ。 彼女は受け継いでいく資格がある。ディアボロには、それはない。 ディアボロの娘であることは変えられないが――それでも、トリッシュはその立場には甘んじない。彼女は、ひとりの受け継ぐ者として、生きている。 「でも、そうね……これからあたしが母親になるかは、本当にわからないわ。あたし――これから、恋なんてできるのかしら? そう思うもの」 彼らの墓が目前に迫ったところで、トリッシュはぽつりと呟いた。その言葉に、私の心はズシリ、と重くなる。 私が、私の心が見ないようにしていたものを、彼女の言葉が暴いてしまったようで。 「恋、ね……」 彼らを失った後、私は――そんなこと、考えたこともなかった。私が押し黙ったままなので、トリッシュは続きの言葉を吐き出す。 「でも、いいの。これから恋ができても、恋ができなくても。母親になれても、なれなくても。これからどんな人生を送ることになろうとも、あたしはあたしなりに、幸せに生きていくつもりよ。だって、そうじゃないと――」 そこでトリッシュは、『彼ら』の墓へ、『彼ら』の方へ向かい、そして満面の笑みを浮かべた。 「みんなに、顔向けできないものね!」 その顔は笑っていたけれど、どこか泣いているようにも見えた。 彼女のその表情を見て、愛おしさすら感じつつ――私は、あのときのことを思い出す。すべての運命の、分かれ道のことを。 私はあの時、ボートに乗った。それは最初は、彼女のためではなくて、ブチャラティのためだったけれど。私を救ってくれたブチャラティが救われないなんて、そんなことがあってはならないと思い、せめてこの人に着いていこうと思った故の決断だったけれど。 今のトリッシュのこの顔を拝むことが出来ただけでも、悪くなかったかな、と思った。 彼女の意思は絶対に壊れないだろう、そう思ったから。 「だからナマエ――あなたも笑って。そして、あなたも幸せに生きるの。いいわね?」 「……そうね。私たちは元気です、って、みんなに伝えないとね」 そうだ。兎にも角にも、今この場にいる私たちにできることは、ひとつしかないのだ。 私たちは、墓の前に花を供えた。 そして、逝ってしまった人たちを前に、静かに涙を流した。
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