4.百年後の二人

「……ブランドー」  何故。  何故おまえが、百年の時を超え、わたしの前に現れる。 「本当に、久しぶりね……」  何故きさまは、とうの昔に人間をやめ、姓を捨て、体を失くしたわたしのことを――未だにその名で呼び続ける? 「ナマエ・ミョウジ……」  百年の眠りから目覚めたばかりの男は、目の前に立つ屍生人の女に向かって、忌々しげに吐き捨てた。 「やっぱりまだ死んでいなかったのね、ブランドー」  ナマエは闇夜の中、男に向かって呼びかけた。男は彼女の姿を眺めながら、ただ舌打ちする。 「おまえこそ。……何故生きている。何故、今になってまで、わたしの前に現れる」  ナマエは男の言葉を聞いて、うっすら微笑んだ。その笑みに、百年前の面影はない。かつて純粋だった彼女の笑みは、今となっては歪に濁っていた。 「何故って? そうね……百年前、血が欲しくてたまらなかった私は、ジョナサン・ジョースターを襲う前に、違う人の血を吸ったの。そうしたら冷静さを取り戻した……だから、あなたの命令に背いて逃げたの」  ナマエはゆっくり、男に近づいた。男は顔を顰めながら、女のことを見下ろす。 「一度は自分の吸血衝動と、人間を殺すしか生きれない自分に絶望して、太陽の元に出て死のうとしたわ。だけど、やめたの。その代わりに、私はあなたを探すことにした。あなたは死んでいないって、何故か確信していたから」  一歩。またナマエは近づく。彼女の様子を眺めながら、男はナマエに声をかけてみせた。 「ほう? それで、このわたしを探しておいて、どうするつもりだ?」  ナマエは、そうね、と立ち止まり、冷笑した。それは、百年前には決して見せなかった醜い笑みであった。 「百年前にあなたを拒絶したこと、撤回するわ。私は、あなたの姓を貰いに来たのよ。ブランドー」  男は思わず、虚をつかれ顔をひきつらせた。ナマエはその様子を見ながら、ただ薄く笑っていた。 「……フン。まさか今更、わたしの隣に立ちたいなんて言うつもりじゃあないだろうな? 生憎だが、屍生人が石仮面を被ったらどうなるかなどわからないし、そもそも石仮面はこの場にない。到底無理な話だ。最も石仮面があろうと、おまえをおれの隣なんぞに立たせはしないがな」  一瞬の後に男は我に返り、ナマエのことを嗤った。ナマエはそれを無視する形で、綽々と語り始める。 「私は絶望したわ。幸福だったかもしれない未来が消えてしまったことに。人間をやめてしまったせいで、誰とも結婚できず、ただ人間を喰らう日々に。誰とも会話を交わさず、孤独に生きる日々に」  ナマエは語る。ただ、語り続ける。百年前の朧げな日々を偲びながら。あるいは、百年間の生き地獄を思い出しながら。 「ああ、でも最初の数十年はイギリス空軍の屍生人と一緒にいたわ。もうひとりの生き残りにして、賢い人だった……ジョナサン・ジョースターの息子、ジョージを殺した男よ。けど、あの人も死んでしまった。それ以来、私は全くの孤独だったわ」  男はナマエの真意を掴みかね、眉を顰めている。内心では、女をどうやって始末してやろうか、それだけを考えていた。 「人間でいられなくなった私が、それに絶望していた私が――太陽の元に出ず、時折人間を襲ってまで百年間生き続けた理由はふたつ。ひとつめは、あなたから、姓を奪うこと。私は、誰かから姓を貰うのが夢だった。私が姓を貰える人は、もうあなたしかいない――私はブランドーという姓が欲しい。そしてあなたが嫌がろうと、できればそれを後世に受け継ぎたい」  ナマエはそこまで言ったところで、男に近づいた。そして、大きく息を吸って、こう放った。 「ふたつめは、私の人生を奪った者に復讐すること。あなたを探して、殺すことッ!」  そこまで言い捨てた屍生人は、吸血鬼に牙を向いて飛びかかった。 「フン! のろいな、このザマでおれに適うとでも思ってたのか?」  ぐ、と呻き声を上げながら、ナマエは尻餅をついた。ナマエが男に襲いかかった直後、一瞬にして彼はナマエのことを振り払ったのだ。 「屍生人ごときが、このおれのスピードについていけるとでも? 無駄だ、おまえにはわたしを倒すことなどできん。おまえはどう足掻いても、死ぬしかないのだよ……ナマエ・ミョウジ」  男の言葉を聞き流しつつ、ナマエはよろめきながらも立ち上がった。再生能力のない、腐りかかった屍生人の身体は、既にほとんど崩れている。だがそれでも、彼女の瞳だけは男のことを鋭く射抜いていた。 「ほほう、まだ向かってくるか。だが! 肉体面でも、わたしとおまえは正に天地の差だ……雲泥の差だ! そもそもわたしは、太陽か波紋でしか死なない……。今は夜だ。そして、まさかおまえが波紋を使えるわけがなかろう。諦めろ、ナマエ・ミョウジ」 「…………」  ナマエは身体を崩れさせながらも、そのまま立ち上がった。そして、男のことを睨みつけながら――力を振り絞って、こう叫んだ。 「その――まさかよッ! 『私の波紋を受けて』死になさい、ブランドーッ!」  女は、男に突撃した。太陽の力を持つ呼吸をしながら、波紋エネルギーをその指に込めて――  完全に不意を付かれた男は、避けるのが一瞬遅れた。男の胸に微量の波紋が流れ、彼は呻き声をあげる。  だが、ナマエの攻撃は、男にそれ以上のダメージを与えることができなかった。何故なら、屍生人である彼女は、自らが発した波紋に焼かれ、動けなくなったからだ。 「ック……まさか、おまえが波紋を使えたとはな。だがその様子を見ると、特に修行していたわけでもなさそうだ。波紋は、生まれつき使うことができる者もいるらしいな――天性の才能か?」  男は少し噎せたが、再生能力のある彼は、胸に多少波紋が流れようと致命的な傷にはならない。男はただ、自らの波紋に焼かれているナマエのことを睨めつけた。 「フム……。おまえが波紋の才能があったとすると、百年前おまえを連れてくるよう命令した屍生人は、かなり手こずったのだろうな。今思えば、あの屍生人はおまえを連れてきた時、身体が崩れていたような気もする」  ナマエは顔を歪め、痛みに耐え続けている。男はそれを一瞥し、冷たく笑った。 「相打ち覚悟で波紋を使い、わたしを倒そうとした、か。なかなかやるじゃあないか。最も、屍生人が吸血鬼に適うはずもないし、たとえ波紋を使えたって修行すらしていない者がおれを殺せるはずもない――無謀と言わざるを得ないが」  男は、波紋に焼かれる屍生人の女を見つめた。ナマエは、まだ死んでいない。ただ、消滅の苦しみに耐え続けている。 「おれの姓が欲しい、と言ってたな――いいだろう。くれてやる。おまえは今から、ナマエ・ブランドーだ。ただし! おまえは今、この瞬間に死ぬッ! ブランドーという姓は、その瞬間に途絶える。そしてわたしはこの瞬間から――DIOとなる。それ以上でも、それ以下でもない存在だ!」  男はナマエに近づいた。本来、屍生人には再生能力がないため、頭さえ叩き潰せば一般人でも倒すことができる。ナマエなど、波紋にさえ気をつければ、恐怖すべき相手ではない。男は慎重に、ナマエの頭を目掛け、手を上げた。 「さらばだ、ナマエ・ミョウジ。さらばだ、ナマエ・ブランドー」  DIOはナマエの頭を叩き潰した。  その刹那に、彼女の口が動いていたのを、確かに見た。  DIOと名乗る男は、屍生人の亡骸を置いて旅立った。  自身が世界の頂点に立つための、仲間を増やすために。  吸血鬼となり、幾億の人間の命を吸い取り、宿敵の身体を奪い取り、自らの姓を捨てた男。  彼はただ『DIO』であり、それ以外の何者でもなかった。  そんな彼が奇妙な関係を築いた女は――最期に、こう呟いた。 「ディオ」  自らを姓で呼ぶよう強要し、他人のことも姓でしか呼んでいなかった愚かな女は最期、確かにこう笑ったのだ。 「わたしはおまえに、そう呼ばれたかっただけなのかもな……ナマエ」  DIOはナマエのことを思い返し、小さく笑った。  男は、女のことを脳内のどこかに残しながらも、一歩を踏み出す。  百年も前から野望を持つ者として――『DIO』として、世界を支配するために。

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