最低最悪の嫌がらせ.2

 静寂。動かなくなったナマエと、ただ荒い息を吐いている沙明。  そんな二人を遠くから眺めている影が、二つあった。 「まさか、ナマエにこんな一面があったなんて……知らなかったな」  まだ自分は知らないことだらけだ、と。セツは目を伏せて苦笑する。  グノーシアであるククルシカに相対したとき、自分は消されるだけだと覚悟していたが――セツは紆余曲折あり、思いもよらない光景を見ることとなった。  ククルシカはグノーシアであってもそうでなくても、時々突拍子もないことをする。 (面白いものが見れるよ)  自分がグノーシアだ、と告げた後。ククルシカはセツを消すこともなく、セツを、男子が寝泊まりしている共同寝室の側まで連れて行った。 (静かにして。気付かれたら、セツを消すから。ただ見ていて)  そしてセツが見たのは、壮絶な光景。いつもセツに優しくて、セツにとっての最初のループで命を救った、ナマエの本性。  ナマエが沙明を侮辱し、支配下に置いたあと、沙明に殴り返され、殺される姿。  セツは数多くのループを繰り返し、多くの体験をしてきたが――ナマエのこんな姿を見たのは、初めてだった。  セツはしばらくの間呆然としていたが――は、と急に我に返る。  考えるのは後でいくらでもできる。まずはこの状況を、どうするかだ。  セツは勢い良く共同寝室の中に入った。沙明はナマエの死体を見下ろしながら、何も言わない。セツは構わず、上を見た。 「――Levi! 聞こえてるか!?」  死んだナマエの姿は見ないようにしながら、セツは声を張り上げる。Leviに聞こえるように。 「グノーシアであるナマエは死んだ! 今の乗員は人間である私と沙明、グノーシアはククルシカだけと確定している!」  セツが言っても、沙明は何も言わない。セツについてきたククルシカは、ただ美しく微笑みながらこの状況を見ている。 「投票だ! 私はククルシカに投票する!」  投票という言葉に、沙明はようやく反応した。そんな沙明に、セツは言葉を続けた。 「沙明、君もククルシカに投票する。いいだろ?」 「……オゥケイ、俺もククルシカに投票するわ。そういうことにしといてくれや」  沙明の声には覇気はない。だが間違いなく、彼はククルシカに投票した。 「これでククルシカが誰に投票しようと、ククルシカのコールドスリープが決定した。異論はないね? ククルシカ」  ククルシカはただ微笑んでいる。  その様子を見ていたのか――まだ完全にグノーシアに制圧されていなかったLeviは、間違いなくこう答えた。 『承知、しました』 (面白いものを見せてくれてありがとう、セツ。こんな展開は、アタシも初めて見たよ)  コールドスリープ室にて。沙明はナマエの死体のある共同寝室から出ようとしなかったので、セツがククルシカのコールドスリープを見送る。 「それは、どういう」  セツにはククルシカの真意は分からない。どういうことか、と問おうとしたが、彼女はセツには応えなかった。ククルシカは遠くを眺めながら、誰かに向かってこう伝えていたように、セツには見えた。 (また遊ぼうね、ナマエ)  そしてククルシカはコールドスリープで眠る。セツは、ククルシカにこの件について問いただすことは、できなくなった。  ククルシカのコールドスリープを見届けたあと。セツはまた新たなループが始まるかと思っていたが、その兆候が見られない。  まだ、船内で何らかのイベントが残っているのか。気が進まないが、共同寝室に戻って沙明の様子でも見てくるか――そう思って共同寝室の方に向かっだが、すでに彼はその部屋から出ていたらしい。 「よぉ、セツ」  廊下で出会った沙明は、いつもの軽薄な口調でセツに話しかけた。だが沙明の笑みは引き攣っているし、彼の服には無視できない返り血がついていた。  そんな沙明の姿を見たセツは複雑な気持ちになった。自分のことを助けてくれた、自分と共にループしているナマエが、沙明と「遊ぶ」姿。沙明の軽薄な性格は元々苦手だが、ナマエにあそこまでいたぶられていたのは流石に気の毒に思った。 「……着替えて、その返り血を洗い流したほうがいいんじゃないか」  なるべく冷静に、自分なりに沙明のことを気遣いながら、セツは言う。  ナマエはセツにとって大切な人だが、沙明が返り討ちにしたことを責めるつもりはなかった。あくまでグノーシアによって消されかけた人間が、正当防衛で反撃しただけ。セツは公平な軍人として、沙明を責めるつもりはなかった。  それにナマエはセツと共にループする。セツはナマエが消える姿を何度も見たことがある。セツという個人としても、今更、そこに怒りを見せるつもりもなかった。 「アッハ! そういうこと言う? んじゃ、一緒にシャワーでも浴びますかねェ?」 「……折角拾った命をむざむざ捨てるつもりか?」  セツは鋭い瞳で沙明を睨み返す。さすがのセツも折角助かった沙明を宇宙空間に放り投げるつもりもなかったが、彼のセクハラ発言が度を過ぎるようなら普通に殺しそうだった。 「怖っわ。でもマジな話……俺とお前、二人っきりになっちまったワケじゃん。ちったぁ協力プレイくらいしてもイイんじゃないですかねェ?」  沙明に対して衝動的に感じた苛立ちを理性で抑えつけ、彼はおそらく心細いのだろう、とセツは分析する。  グノーシアの脅威はなくなったとはいえ、彼は人を、女を殺した。その死体はまだ、自分が寝泊まりしている共同寝室に転がっている。他の人間たちは消えたか、コールドスリープで眠っていて、沙明が簡単に目覚めさせることはできそうにない。Leviは完全にはグノーシアに制圧されていなかったとはいえ、グノーシアに多少いじくられたため、船が安全に動くとも限らない。  そんな中、沙明が生き残りのセツを頼りにするのは、当たり前ではある。  だが。どうしようもない事実というものも、存在した。 「残念だが、私はこの世界から消えるよ。ナマエと共に」 「――は? ナニ言ってんだお前」  素っ頓狂な声を上げる沙明。そんな彼には構わず、セツは動き始めた。 「私は君のことは苦手だ。だけど、君はナマエを殺してまでして生き延びたんだから――せめて、私にできることだけはやってから、この宇宙から去るとするよ。それが、ナマエのためにもなると思うからね」 「おま、何言って」  沙明の言葉も聞かず、セツは船の中を動き回り始めた。管理室に行き、軍人の権限を使って、Leviの設定を分かる限りで復元。そして、周囲の船に救難信号を出した。  その間、沙明が何やらわめいていたが、全部無視した。正確に言うと、セクハラ発言される度に肘鉄していたら、さすがに黙った。 「――これで良し。これで私がいなくなった後でも、船の設定の仕方が分からないだろう君も、この宇宙空間に一人で取り残されることはなく、そのうち誰かに助けられると思う。多分ね」 「セツ、ナマエ……お前ら、何なんだ?」  何もかも分からない。そういった様子の沙明は、混乱した様子で言う。 「さあ」  そんな彼に、セツはループのことまで言うつもりはなかった。言いたいとも思わなかったし、言ったところで、この宇宙の沙明が救われるとも思っていなかった。 「ナマエが君のことが好き、ということだけは、真実なんじゃないかな」  だから。セツは悪戯っぽく微笑みながら、沙明にこれだけ伝えた。  それは、セツにとって大切なナマエの好きな人である、沙明へのちょっとした嫉妬が含まれた、嫌がらせでもあった。  沙明は目を丸くする。そんな彼の表情を見ながら、セツはループしてこの宇宙から消えた。  そして。セツの持つ銀の鍵の、ナマエの特記事項がふたつ開かれた。  特記事項その二。沙明のことが好き。  特記事項その三。隠しているが、グノーシアになると、凶暴な一面を見せる。  ナマエの特記事項はあと一つ。それは一体何なのだろう。  良く知っているようであまり知らなかった、ナマエの内面。だが彼女のそんな一面を知った上で、セツはナマエが大事だった。  今まで共にループしていても、自分には隠されていた、グノーシアとなったナマエの暴力性。  そしてナマエはおそらく、沙明相手だからあそこまで凶暴になったのだ。沙明に反撃され、殺されるレベルで。  ナマエが、沙明のことを好きだから。  それはセツにも、嫌というほど分かっていた。 「羨ましい、とは言わないけど……でも。沙明がそこまでナマエに好かれているというのは、妬けるね」  そして、セツは苦笑した。 「何だってんだよ、クソッ……」  セツがループして消えた後、沙明は船内を走り回っていた。だが、いくら探しても船内にセツはどこにもいなかったし――共同寝室からは、ナマエの死体も消えていた。恐る恐る自分の身体を見ると、返り血さえもどこにもなかった。彼は気付いていなかったが、コールドスリープしたククルシカの姿も。  ナマエは、ループして自分たちが消えたら、その世界で生きている人たちからは記憶が消えると思い込んでいたが。実際はそんなこともなく――その宇宙に残された人に、ループで消えた人たちの記憶は、はっきりと残っていた。 『残念だが、私はこの世界から消えるよ。ナマエと共に』  沙明にはループのことは分からない。だがセツの言葉を反芻し、これだけは理解した。 「また、俺だけ生き残っちまった、のか」  しかもそのうち一人は、確実に自分が殺した。  別に、それでいいつもりだった。自分が生き延びさえすればそれでいい。消えて悲しいと思うほどの関係になった乗員は、一人もいなかった。自分が傷付かないように、軽口を叩きつつも、それとなく心の距離を置いていた。グノーシアに消されそうになったが、自分の反撃とセツのファインプレーにより生き延びたので、結果オーライ。……そのはずだった。  まして、自分の過去を踏み躙るような、最低最悪の女。自分のことを消すと脅してきた女。完全に正当防衛だ。せいぜい、少々面倒なことになっただけ。あくまで、自分の身を守るためにやっただけ。多少気分が悪くなったとしても、悪いのは向こうだから後悔するはずもない。そのはずだったのに。 『すきだよ』  それでも、ナマエのその言葉が、頭から離れない。  彼女は沙明が憎いから、嫌いだから、自分を虐げてきたものだと思っていたのに――最期に彼女は、そんな最悪の言葉を置いていった。その直後に鉄パイプでナマエを撲殺したのは、自分だったが。 『ナマエは君のことが好き、ということだけは、真実なんじゃないかな』  そして、セツの言葉も思い出す。  最後に残ったグノーシアであるククルシカを投票でコールドスリープさせ、ひとり残される沙明が助かるように尽くしてくれたのはセツなのに――どうしても、ナマエの姿が頭から離れない。死ぬ直前、静かに告白してきた、ナマエの表情が。  消えたはずの返り血の生温さが、まだ残っている気がする。  素手で殴ったあと、鉄パイプで殴り殺した感覚が、まだ消えない。 「……チッ」  それでも自分は、生き残るしかない。こうなってしまった以上、もうどうしようもない。  投票によるコールドスリープ自体は、グノーシア発生時の規定に沿った議論の結果であり、問題はない。  そして、自分が殴り殺したナマエはグノーシアだったし、しかもその死体はどこかの世界に消えてしまった。  だから――だから。自分が後悔することも、問題になることも一つもない。そのはず、なのに。 「クソッ……また、誰かの死を背負んなきゃなんねーのかよ」  殺された、土下座しても助けられなかった、過去の友達。  自分のことを虐げてきた、最悪の、でもちょっと可愛い女。  自分の人生の中に、消せない傷が増えたことを実感して――沙明はただ、深いため息をついた。  広い宇宙を漂う船は、小さく、それでもただ、そこに在った。

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