私は、いつも怒っていた。 例えば、私の才能が足りず、希望ヶ峰学園に入学できなかったことに。 例えば、私の代わりに入学した超高校級のプログラマーの才能は、やはり私がどう足掻いても届かないような能力だったことに。 例えば、そんなコンプレックスをうっかり突かれ、絶望してしまったことに。 例えば、私を絶望に変えた男が、あっさり絶望から脱却してしまったことに。 私だけがただ一人、怒りからも絶望からも抜け出せず、取り残されたことに。 私が絶望になった理由は単純。「超高校級の希望」として創られた、人工の天才の存在。そんなものが在ることに絶望した。 そんなもののために希望ヶ峰学園というものがあったという事実に絶望した、と言ったほうが正しいだろうか。そんなくだらないことのために、私は希望ヶ峰学園に憧れていたのか、と。 何より、私の足りない才能では、人工の天才に必要な才能には届かない。そんなツマラナイことにすら届かない、自分の才能に絶望した。 絶望に塗れた、荒廃した世界で出会ったカムクライズル。あの黒く長い髪の、赤く光る瞳を持った、『超高校級の希望』として創り出された絶望。 淡々と、彼は述べた。それはあくまで事実の羅列で、だからこそ私を抉った。おそらくそれが、辛うじて絶望していなかった私を一瞬で絶望させる、最も効率のいいやり方だった。 「許さない」 衝動的に私は怒り狂った。胸ポケットに入っていたボールペンを、カムクライズルに振りかぶった。怒り、怒り、怒り。その怒りを晴らすためには、この男の存在自体を否定しなければならなかったから。 ペンを振りかぶった私を、カムクライズルはあっさり退けた。 「ツマラナイ」 よろけて倒れ込む私に対して彼は、ただそれだけ言った。 結局私には誰も期待していないし、期待されていたとしてそれに応えることもない。 初めて、怒りより絶望が上回った。 その日から私は、怒りと共に絶望を抱えることとなった。 「許さない」 私の口癖は、昔からずっとこれ。絶望してからは許せないものがもっと増えた。 今一番許せないのは、勝手に絶望から脱却したカムクライズル。 彼は決して目立たず、だが絶望内では有名だった。 彼の目的は絶望を世界に撒くことそのものではないという噂もあったが……そんなことはどうでもいい。実際に彼は世界に絶望を広げたし、私もそのうちの一人だった。江ノ島盾子が絶望の種を撒き、カムクライズルも同じことをした。 絶望した私は、あの男に絶望させられたから絶望となって、絶望をこの世に伝播させるために絶望的な行動をしていたのに。 彼は小さな島で記憶を消され、仲間たちとプログラム内でのコロシアイに巻き込まれ、最終的に絶望から脱したのだとか。 ――ふざけるな。真の超高校級の絶望たる江ノ島盾子が死んだ今、お前が絶望から脱してどうするつもりだ。私を絶望させたお前が勝手に絶望から抜けるなんて、そんなの絶対、絶対に、 「許さない」 衝動的に私は、その島に向かった。船を奪い、その中でカムクライズルを再び絶望させるために動く。 噂の舞台は、ジャバウォック島。 島に向かう船の中で、私はノートパソコン片手にプログラムを作る。ジャバウォック島で起きたことをハッキングなどで探る中で、新世界プログラムという名のプログラムの中で、コロシアイが起きたことを知ったから。そのコロシアイを終わらせ、カムクライズルが絶望から抜け出したことを知ったから。 それなら方法はただ一つ。モノクマというウイルスを作り出して、そのプログラムに仕込むしかない。 私だってプログラマーとしての才能は、あったはずだ。あの少女のような少年さえいなければ、当時の高校生の中でプログラマーとして最も優秀なのは、間違いなく私だった。……彼もまた、電波ジャックのコロシアイの中で、死んでしまったが。 たとえ未来機関に、あの超高校級のプログラマーの技術力が残されていたとしても。それでも私は、絶望のために、負けてたまるものか。 そして出来上がった、プログラムの中にいる出来損ないのモノクマ。 あの超高校級のプログラマーなら、それを分析した江ノ島盾子なら、もっと精度の高いアルターエゴを作ることができたかもしれない。このモノクマには、私の感情も、江ノ島盾子の感情も、再現できていない。 だが、それでも充分だ。このモノクマにだって、新たなコロシアイを始めることができるくらいの性能はある。 新世界プログラムの中で新たな絶望が生まれれば、それで。 カムクライズルさえ再び絶望させることさえできれば、それで。 島に上陸。今のところは誰もいない。まだ日が昇る前の早朝だ、起きている人もいないだろう。多分。 私はただ走る、走る、走る。息が切れようと構わない。 プログラムの中のコロシアイで死んだ人たちは、肉体的には完全には死んでいないだろう。その上で、まだプログラムの中から抜け出せていないことくらいは予想できる。だから、島の住人に見つかるまでに、島のどこかにある新世界プログラムの装置を見つける。 そして、出来損ないのモノクマをプログラムの中に入れる。現実世界で目覚めない彼らをプログラム内で覚醒させ、再びコロシアイ。 そんなプログラム内の彼らを人質に、生き残りをプログラムの中に入れ、コロシアイで絶望させる。 そうするしかない。今の、絶望した、超高校級のプログラマーの出来損ないの私としては。私にできる復讐は、それしかない。 私は白黒のUSBを握り締めた後、ポケットの中に入れた。 ああそうだ。復讐だ。 そのときやっと、私の怒りが、晴らされるときが来るんだ―― 「……苗字、名前?」 唐突。あまりに唐突に聞こえた声に、私は思わず立ち止まる。 数年ぶりに誰かに呼ばれた、私の名前。 誰、と言おうとした。 その前に私は、反射的に振り返り、その名前を口にしていた。 「――ッ、カムクライズル」 そう、カムクライズルだ。 黒い髪は随分短くなっていたし、あの虚無のような表情ではなく、驚きという感情が乗っていたが。 それは間違いなく、私を絶望に落とした、カムクライズルだった。 バレた。プログラム装置にすら届かず、私の存在がカムクライズルにバレてしまった。 失敗した失敗した失敗した。ああ、なんて絶望! じゃあせめて、この男だけでも殺さないと! 絶望させるために一生懸命作ったプログラムも、生きたまま絶望させる望みすら捨てて、殺す! 最高の絶望だ! 私は胸元に仕込んでいたナイフを振りかぶった。 あのときとは違う。絶望した私はボールペンの代わりに、ナイフを常に仕込んでいた。 殺す殺す殺す。衝動的なボールペンなんかじゃない、確信を持って、私はナイフでカムクライズルを殺す! 「うわああああああああああっ!!」 絶叫。私の絶叫だ。怒り。絶望。私の全てを込めてカムクライズルにナイフを振りかぶる。――私が絶望した瞬間は、カムクライズルに事も無げに避けられたっけ。そんなことをふと思い出した。 「――っ」 カムクライズルは驚いてはいた。だが避けない。 彼は片腕を出して、そして――ただ、ナイフを振りかぶった私の手を止めた。 分かっていた。カムクライズルに対してナイフを振りかぶったところで、私は彼を殺せない。 私には腕力という才能はひとつもない。 正直言って、相手がカムクライズルという才能の塊じゃなかったとしても。同年代の普通の男性であれば、私の手は普通に止められただろう。 ただ、その上で彼は避けなかった。避けずに、青年は私の手を受け止め続けていた。 「どうして」 気が付いたら私は、涙を流していた。ぼろぼろ流れて止まらない。絶望に絶望した、ナイフに込めた力が震える。 「どうして私を絶望にしたお前が絶望してないの」 青年は私の手を受け止めながら、静かに語った。どこか、切なげに。 「……俺は、希望も絶望も背負った。自分の過去も、現在も、全て受け入れた」 だが毅然として顔を上げた。その瞳には、絶望だった頃の彼の瞳にあった虚無感は、ひとつもなかった。 「その上で俺は、未来を創る。やればなんとかなる、からな」 そして。青年ははっきりと、こう告げた。 「俺の名前は、日向創だ」 日向創。 カムクライズルではなく、日向創。確かに彼は、そう名乗った。 その名前を聞いた途端、私の手から、ナイフが落ちた。 「日向、創」 「そうだ」 「なんでお前は、私の名前を知っていたの」 静かにただ、言葉を続ける。もう何も考えられない。その上で、私の口は動き続けた。 かつてカムクライズルの器だった、日向創の話を聞きたかった。 「カムクラだったときの記憶は、正直あまり覚えていない。でもお前の顔を見た瞬間、お前の名前を思い出した」 カムクライズルは何故私の名前を知っていたのだろう。私のことを調べた上で、私に接触したのだろうか。 「苗字、俺はな。俺の犯した、全ての罪のことを忘れたくなかったんだ。お前の名前のことも」 また、私の名前が呼ばれる。その事実に、絶望でも怒りでもない、何かの感情が湧き出た。それが何かは、分からなかったけど。 「……それなら何故、過去のあなたは私を絶望にしたと思う?」 それは、ずっと――心のどこかでずっと、疑問だった。 多分だけど、と前置きしながら、日向創は告げた。 「自分と、江ノ島盾子と、不二咲千尋を除けば。お前が一番優秀なプログラマーだったからだと思う。絶望を広めるのに、お前の力が欲しかったんだよ。カムクラのときの記憶を全部覚えているわけじゃないけど……それは、なんとなく分かる」 この言葉が、過去の、絶望した瞬間の私にとって。どれほど欲しかった言葉だったのか、彼には分かっているのだろうか。 「そして、俺も。できれば、お前の力を貸してほしい、苗字。今生きている中で一番優秀なプログラマーである、お前に。俺はお前とも、未来を創りたい」 そして。彼が力強くこう言ったその瞬間、日が昇った。 南の島の、美しい朝日の中。私の中にあった怒りと絶望が、その瞬間初めて、報われた気がした。 絶望は伝染する。 希望も伝染する。 その両方を背負った、未来も。 「……私、絶望だったんだよ」 「知ってる」 「直接、私の腕力とかで殺したことは、ないけれど。プログラムを使ってサイバーテロを何回もやった。間接的に人を殺したことは、何回もあった」 「分かってる」 「私も絶望してたけれど、いろんな人を絶望させて、殺したんだよ」 「俺たちもそうだ」 「あなたが絶望から抜けたと聞いて、出来損ないのモノクマをプログラムに入れて、あなたの仲間たちを再びコロシアイさせようとした。絶望させるために、人質として」 「俺も、プログラムの中にモノクマのウイルスを入れた。俺も、同じだ」 「それでも、そんな私でも。あなたと共に生きていても……いいのかなあ……」 涙が止まらない。 真に絶望する瞬間は、絶望して絶望を撒く瞬間ではなく。 絶望から抜け出してから改めて、自分が絶望だった時代に向き合う瞬間ではないだろうか。 彼は、日向創は――こんな経験を、してきたのだろうか。 日向創は少しだけ、躊躇った素振りを見せたあと――私の手を握った。力強く。 「俺たちも、まだ手探りなんだ。プログラム内で死んだ仲間たちは目覚めていない。絶望していたときの、自分の身体の後遺症に苦しんでいる奴もいる。それでも俺たちは生きていくし、苗字にも、生きていてほしい。その後のことは――その時に、考えよう」 「日向、くん」 まだ、感情がごちゃごちゃで、上手く考えがまとまらない。 それでも、今の私は。昔からずっと渦巻いていた怒りも、数年前から感じ続けていた絶望も、かなり和らいでいた。 ――この人の手を離したくないと。そう思った。 日向くんの手を握り返す。温かい。 そして、涙に滲んだ先に見える彼の力強くも優しい瞳が、すごく頼もしかった。 手を離したくない、なんて言っても、現実にはそうはいかない。 私たちは手を離していたし、私の涙も、いつの間にか止まっていた。 「じゃあ……えっと。とりあえず、島の中央に行くか。みんなそこにいるはすだから。俺はたまたま目が覚めたから、見回りしてただけなんだ」 「……うん」 どこか照れ臭そうに苦笑する日向くんに付いていく。先ほどは暗闇の中を走っていたから、辺りを見回す余裕なんてなかったけれど――この南の島は、世界が絶望にまだ塗れているなんて嘘みたいに、美しかった。 中央の島に向かう途中、橋を渡った。橋の下には海が続いている。 その海があまりに綺麗で、私は立ち止まった。 「どうした?」 日向くんがそんな私を不思議そうに見る。凪いだ海を眺めていると私は、ある衝動に駆られた。ポケットの中に手を突っ込み、それを取り出す。そして、海の向こうに向かって全力で投げた。 「えいっ」 そう、モノクマのUSBを海に投げ捨てたのだ。これはもう、私には必要ないものだ。 USBは流され、どこにあるかすぐに分からなくなった。 「……今、何を捨てたんだ?」 怪訝そうな日向くんに対し、私は、微笑みながら告げた。 「モノクマウイルスが入ったUSB。……出来損ないだけどね」 「は!? あ、危なくないか? ちゃんと処分しないと」 「どうだろう。海水の塩分で物理的に壊れちゃえば、誰も何もできないよ」 私には幸運の才能すらない。だから、どうだろう。運悪く壊れる前に拾われてモノクマウイルスが復元される可能性も、運良く誰にも拾われずに自然に朽ちていく可能性も。どちらもある。 本当は、ちゃんとしっかり処分すべきだとは思うけど。気分的に、そうしたかった。海に、運命を委ねたかったのだ。 このUSBが最終的にどうなるかは誰にも予想できないだろう。あのカムクライズルだって。 だから、私は賭けた。この絶望が、このまま朽ちていくことを。 「ねえ。これからよろしくね、日向くん。私がどうしていけばいいかは、具体的にはまだ分からないけど――」 私の怒りと絶望が、そのまま朽ちてしまえばいい。たとえ、完全になくなることはなかったとしても。 「……ああ。俺たちで創ろう、苗字。俺たちだけの、未来を」 日向くんは少し戸惑っていたが、やがて、強く頷いた。朝日に照らされた彼の笑顔は、過去に私を絶望に落とした彼の創る未来の姿は、何よりも心強かった。 あのとき、絶望してから、ずっと停滞していた私の人生が。やっと動き始めたような、そんな気がした。
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