私は日向創のことを知らない。才能に焦がれ、自分の人格を失った、予備学科生のことを。 私はカムクライズルのことを知らない。人格を失い、人工の超高校級の希望とされた、日向創の成れの果てのことを。 私は日向のことを少しだけ知っている。あのコロシアイ修学旅行の中、自分の記憶を失った状態で、足掻いた少年のことを。 私は、日向のことを―― 「日向」 「わっ! ……なんだ、苗字か」 装置に向かっている日向に声をかけると、彼は飛び上がった。そして振り返り、私のことを確認すると、気が抜けたように息を吐いた。 「ごめん、邪魔しちゃったかな?」 「いや、大丈夫だ」 日向は笑う。あのコロシアイ修学旅行の時と変わらない笑顔で。 彼は本当に、私の知っている日向創なのだろうか。そんなことを思わされる笑顔で。 あのコロシアイ修学旅行を生き延びた私たちは、絶望だった記憶と、コロシアイ修学旅行の記憶の両方を持って現実世界に戻ってきた。そして、過去の記憶に苦しみながらも、プログラム世界で死んだ仲間たちを目覚めさせるために日々奔走し、それぞれが自分にできることをやろうと懸命に生きていた。 そんな中、最も働いているのはこの日向だろう。メカニックである左右田と組んで、新世界プログラムのデータを探り、最も直接的に『死んだ』みんなのために動いている。いつか彼らと再会できる日のことを願いながら。 だって、日向には、何の才能も無かったはずの予備学科生には。……カムクライズルと呼ばれていた時代の才能が、残っていた。 「少し休憩しない? 働きっぱなしは良くないよ」 「……そうだな、そうするか」 そうやって、作業中だった日向を連れ出した私は、彼と共に島の海岸沿いを一緒に歩くことにした。たまにはこういうのも、気分転換になるだろう。 南国の海の色は、全てを忘れたくなるくらい、綺麗だ。 私たちは今のところ、この島から出られる予定はない。苗木くんたちが上に掛け合ってくれているようではあるが、少なくともあと数年は厳しいだろう。 目覚めて以来、私たちはこの島の外には出ていない。 だけど、この島の向こうには。徐々に復興に向かっているとはいえ、絶望した世界が広がっていることは知っている。 かつての私たちがやったことだ。 それでも、そんなことが嘘みたいに。波の色は、青く綺麗だった。 「ねえ、日向」 二人で海岸線を歩きながら、ぽつぽつ話す。働き詰めの日向を休憩させたかったのも事実だが、この機会に日向に聞きたいことがあったのだ。 「日向は自分が誰なのかって悩んだこと、ある?」 「はっ? どうしたんだ急に」 彼は訝しげな顔を見せる。でもそれは、私がどうしても考えてしまうことだ。 「私はいつも考えてる。私って、私たちって、何なんだろうって」 あのコロシアイ修学旅行の、プログラムの中の私たち。それは、希望ヶ峰学園に入学してからの、絶望だった記憶を奪われた存在だ。 そして現実世界に戻ってきた、今の私たちは。修学旅行の頃の記憶も、絶望だった記憶も、どちらもある。 それは既に『あの頃の私』とは別の存在なのではないだろうか。私にとっての『本当の自分』とは何だろう、と。そう考えてしまうのだ。 「日向は、そう思わない?」 そして。他のみんなではなく、あえて日向とこの話をしたかった理由は、別にある。 自分の人格を失ってでも才能を得たいと考えた予備学科生。 そんな、過去の自分の選択を受け入れられなかった、記憶喪失の修学旅行の日向。 人格を失い、絶望と手を組んだカムクライズル。 そのどれもが、微妙に違う存在に感じてしまう。入学前の記憶と絶望だった記憶が連続している私たちとは違って。 それら全てが合わさった、今の日向の存在は。単に絶望だった私たち以上に曖昧なのではないかと。異質な存在ではないかと、思ってしまうから。 「悩んだことが全く無いと言ったら、嘘になるかもしれないな」 少しの沈黙のあと、日向は口を開いた。だがその口調は、案外穏やかだ。 「確かに、今の俺は。人格を失う前の予備学科だった頃の記憶も。人格を失って、カムクライズルと呼ばれていた頃の記憶も。記憶を失って、自分を超高校級だと信じていた頃の記憶も、全部残っているんだ」 「……それって、ちょっと怖くない?」 「確かに、そうかもな。だけど」 予備学科、カムクライズル、記憶喪失、そして現在。それらの存在は、バラバラにはならないのか。ひとつになったとして、それは私の知っている、修学旅行の頃の日向と同一人物と呼んで良いのだろうか。 私としては、そう思いたくなるのだけど。 「今の俺は――全部合わせて『日向創』なんだ。それは確かだ」 それでも、日向の口調は、力強い。迷い無く、はっきりと、そう断言される。 彼と一緒なら、なんとかなるんじゃないかと。そう思わされるような。私の悩みなんて、些細なことなんじゃないかと思わされるような。そんな口ぶりで。 「全部合わせて、今の日向……」 「そうだ。そしてそれはお前も同じだぞ、苗字」 「えっ?」 そんなことを言われると思っていなくて、私は思わず目を瞬かせる。 「苗字だって、昔のお前も、修学旅行でのお前も、両方合わせて苗字名前だ。そして俺は、そんな苗字と未来を創っていきたいと思っている」 自信に満ちた表情で、日向は言う。その真っ直ぐな瞳に、最後の学級裁判のときの彼を思い出した。絶望に対して真っ直ぐ向き合った、彼のことを。 ……やっぱり、無茶苦茶だと思う。私たちにとっての『本当の自分』なんて、脆く曖昧なものだから。それをこうもはっきり言い切られると、無茶苦茶だなあ、と苦笑いしたくなる。 だけど。 「そうだね。……私も、そう思う。日向と、みんなと一緒に、私たちの望み通りの未来を創りたい」 それでも、彼の言葉を信じたくなる。日向のことを、信じたい。 そして私たちは、視線を交わし、そして頷く。 それから、二人で海に目を向けた。 これから、先は長いけれど。日向と一緒ならきっと、やればなんとかなる、なんて。私は、そんなことを思っていた。 私は、日向のことを、あまり知らないのかもしれない。彼のことは、分からないことだらけだ。 だけど私は、そんな日向のことを、これから知っていきたいと思っている。 その先に、私たちの求める未来があるのではないかと。曖昧な『本当の自分』というものを見つけられるのではないかと。そう願いながら。
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