平凡の希望

※アニメ3設定なし/予備学科時代捏造/日向が情緒不安定  普通の人生を送ることができれば、それでいいと思いながら生きてきた。私が希望ヶ峰学園の予備学科に入学したのも、希望ヶ峰学園というブランドに惹かれた親が、大金を積んで一人娘である私を入学させたというだけのこと。私自身は前の高校の方が好きだったくらいだし、希望ヶ峰学園という名前がついてたとして、所詮は予備学科を卒業したところで、今後の人生がそこまで良くなるとは思えないけれど。  それでも、予備学科に入学できたおかげで、ひとり、気になる人ができた。希望ヶ峰学園とは名前だけになっているこの予備学科で、ひとつ、私は私にとっての希望を見つけることができた。  その人の名前は、日向創。  私にないものを持っている彼に、私は強く強く惹かれていった。  日向は、外見だけで言えば至って平凡だった。強いて言えば、その童顔に反し、身長と体格はそれなりに良いように思える。  加えて、表面的な性格も、特筆すべきものはそこまで多くはない。敢えて言うなら、少し気難しい。基本的に人当たりはいいのだが、この予備学科の空気に馴染めていないのか、これといった友人はいないように見える。敵は作らないが味方もいない。そんな印象だった。  そんな日向創という男への第一印象は正直、「私と似ている」であった。どこまでも平々凡々、普通という概念が服を着て歩いているような。だから、普通の者同士仲良くできるのではないかと、最初は漠然と思っていた。  だけど――席の近い彼のことをなんとなく観察していて、判明したことがあった。彼の本質は、そんな単純なものではなかったのだ。その内面には、ドロドロとした、深い深い闇が見えた。  例えば、本科生とすれ違う時には伏し目がちになりながら、黙って唇を噛むところ。  それなのに遠くから本科生を見る時や、本科生たちが通っている東地区の方を見る時の、羨望に満ちた視線。憧れと憎しみと自己嫌悪に満ちた、深淵の奥の奥を探りたくなるような瞳。  そして私たち予備学科生を見る時の、どこか冷めた表情。平静を装った態度の中にある、軽蔑のような、同族嫌悪のような、そんな視線。  そして、授業にも必死で食らいつこうとする姿。予備学科の授業なんて、他の高校とさして変わらないのに。それでも彼の向上心は、傍から見ても異様なものであった。  他の予備学科生にも、そのような目を持つものは沢山いる。だが、ここまで強い激情を持っている瞳を持っているのは、日向だけのように思えた。  ……そこまで勝手に分析したところで、私は彼のことを気になっているのだと気がついた。  私にはない向上心。私にはない執着心。私にはない、その異常性。  それに気がついた時、普通であることが誇りであるような人間である私は、そんな彼に、酷く心奪われた。  普通への執着を捨て、普通じゃない彼のことを見ていたい、と。普通の人間である私は、いつしかそう思うようになっていた。 「日向」 「……どうした? 苗字」  放課後の教室で独りで課題をやっているらしい日向に、私は話しかけた。そんな日向にしつこく話しかけているのは、私くらいだろうか。日向は、顔も上げずに返答する。  日向が一線を引いているのか、皆が日向と距離を置いているのか。  おそらく、両方だろう。ただのクラスメイト、ただの知り合い。日向の友人は、このクラスのどこにもいない。多分、私も違う。  それでも私が日向に飽きもせず話しかけてしまうのは、彼の闇に気がついてしまったから。飲み込まれそうな恐怖と、いっそ飲み込んでほしいという気持ちが、ぐちゃぐちゃに混じり合う。――私がいくらこう思ったところで、いつまで経っても彼が私に心を開きそうにないのが、残念ではあるけれど。  そうだったとしても。私は、どうにかして日向の心を覗きたい。  日向の心を垣間見るには、一体どうしたら良いのだろう? そう考えてみても、特別に良いと思える案は出てこない。  それならば下手に取り繕わず、直球に聞くのが一番だろうか。私は彼に対し、率直に質問を投げかけた。 「日向って、自分のこと好き?」  シャープペンシルの芯が、折れた音がした。 「……どうして、そんなこと聞くんだよ?」  ここで、ようやく彼は顔を上げた。  あくまで平静、しかし濁った目。何も無いようで、それでいて何かに対しての怒りすら滲んでいるように見える。  ビンゴ、だろうか。彼の心の奥に、少しでも触れることができているだろうか。 「答えにくい? ならそうだな、日向が何を好きで、何を得意なのかが聞きたいな」  私は、一歩踏み込む。果たして日向は、どう返してくるだろうか。 「……なんで、そんなことを聞くんだよ」  それでも彼は、もう一度同じことを言うだけだった。さっきよりも少し、低い声色で。 「日向のことに興味があるからだよ。それだけなんだって。それを聞ければ、私はそれでいいから」  私はけろりとこう答える。言葉自体は本心だが、普通なら勘違いされかねない答え方だ。  だけど日向は、私の言葉を好意的には捉えなかったらしい。 「…………」  日向は怪訝な目をしてこちらを見つめる。それでも質問には答えようとする辺り、彼は誠実だ。  だけど私は、彼が誠実である以上の何かを知りたいと、ずっとそう思っていた。その視線に心の奥が震えるような錯覚を覚えながら、私はじっと、日向のことを見つめる。  日向は、ゆっくりと口を開いた。 「俺は」  しかし、それだけ言って、彼は言葉を詰まらせてしまった。  自分のことが好きか。好きな物や得意なことは何なのか。ただそう聞いているだけなのに、彼はすぐに答えを出せないようで。 「俺は、俺は、俺は……」  そしてまた、考え込む。答えが出ないのだろうか。自分の好きなものすら、わからないのだろうか?  それなら何か別の質問でも投げかけようと口を開く寸前、彼はゆっくり言葉を吐き出した。 「俺は自分に胸を張りたいけど、どうしてもそんな自分になれなくて」  それは既に、私の問いに対する返答ではなかった。だが、確かにそれが彼の本心のように聞こえたので、黙って聞くことにする。 「俺は、無趣味で無個性で恥ずかしくなるほど画一的で何の面白味もないほど平凡で量産型な普通の人間で――ツマラナイ人間なんだ」  彼は心情を吐露し続ける。深い深い闇のような、濁った感情を。 「自分に胸を張るためにずっとずっとずっとずっと頑張ってきたんだ。俺は、他のやつらなんかとは違う。俺は、惨めなんかじゃない」  それは既に、独り言だった。彼の中にある闇の一部。しかも、これが全てではないのだろうと、そう思わされるような。 「俺は、才能を得るためならなんだって、なんだってやってやる……! そのためにずっと、ずっとずっとずっとずっとずっと」  隣に、私がいることも忘れているみたいに。  おそらく、本音だろう。彼は今、本音を漏らしていることすら自覚していないのかもしれない。  そして確信する。彼は確かに私に無いものを持っていた。平凡であるが故に過剰にコンプレックスを抱き、既に平凡では無くなってしまっているという、矛盾を抱えていた。 「……あ、悪い。変なこと言ったな」  日向はそこまで言った後で、不意にいつもの調子に戻った。その声色があまりに普通で、それ故に先程とのギャップにゾッとする。 「ううん、気にしないで。変なことを聞いたのは私だし」  日向の答えは私の質問に対する返答ではなかったけど、それでも十分満足だ。  彼のこういうところが意外と好きなんだと、そう思った。彼はきっと、この予備学科の中でも、どこまでも普通で、それでいてどこまでも異質な存在なのだ。きっと、誰よりも不安定で、軽く背中を押したら落ちてしまうような、そんな人間なのだ。  このまま放置してしまえば死んでしまいそうだな。そう思ってはみたけれど、私はそれ以降、彼に声をかけることは特になかった。  とりあえず、彼の心境を知って満足できた。彼に近付けたような、私にないものを持つ彼の心を、手に入れられたような気がしていた。  だけど――あれ以来、日向は私の言葉に反応しなくなってしまった。何を聞いても、何を話してみても生返事。  今まであれだけ興味を持っていた相手だというのに、なんだか急につまらなくなってきていた。そうして私が彼に話しかける頻度が下がってきたところで――日向が、学校を休みがちになった。  最初は気にしていなかったが、徐々に違和感を覚え始める。よく考えてみれば、彼が学校を休んだことなんて、ほとんどなかったのに。  それについて違和感を覚えて、次に会ったときにそれとなく聞いてみようと思っていた矢先――日向創という人物は、退学処分になったらしいと聞いた。それについて、担任もどうでも良さそうに報告していたし、クラスメイトもまた、どうでもよさそうに話を聞き流していた。  嗚呼、彼と話すことはもうできないのか。私は結局彼の闇に飲まれることはなかったのか。  そうやって残念に思っていながらも、私は、黙って外を眺めるだけだった。そうするしかなかった。  それが覆されたのは、それからまたしばらく経ったときのことだった。  中央広場の雰囲気はあまり好きではない。予備学科の生徒も本科の生徒も自由に立ち入りができる場ではあるが、本科生にあまり会いたくないと思っている私としては、できれば行きたくない場所だ。だけど、どうしようもない用事があって、仕方がないからここに来た。日が暮れかけた夕方の中央広場は、ほとんど人がいなかった。  さっさと用事を済ませて、帰りたい。ここは私の居場所ではない。平々凡々な私のいるべき場所じゃない。そう思って、足早に目的地に向かっていたのだけれど―― 「……日向?」  ふらりと歩いている、久しぶりに見た彼の姿。思わず、ぽろっと声をあげてしまう。  何故、彼がここにいるんだ?  驚きのあまり、何故自分がここに来たかも忘れて、私は日向の顔を見上げた。  ……少し、髪が伸びたような? 「あれ、苗字か。どうしてこんなところにいるんだ?」  日向も私に気がついたようで、こちらを見た。  その表情は、存外朗らかだった。その表情に違和感を覚える――彼がこんな顔をしたことなんて、今までに一度でもあっただろうか? 「日向、どうして、退学処分になったんじゃ」  混乱した私の問いにも、日向は穏やかに答えた。まるで、私の知っている彼ではないかのように。 「ははっ、守秘義務があるから言えないな」 「でも」 「……俺はお前らとは違う。それだけの話だぞ」  すべてに違和感があった。言動。表情。  目の前にいるこの男は――本当に、日向創なのだろうか? 「俺は生まれ変わるんだ! 俺は、これでやっと、恥ずかしいくらい画一的な自分から解放されて、やっと、胸を張れる自分になれるんだ! 俺がずっとずっとずっと目標にしていた自分に、俺は希望に、ついになれるんだよ!」  日向は目を爛々と輝かせながら、叫ぶように言う。狂気すら感じられるその彼の勢いに押されて、私は何も言えなくなる。 「俺は、俺は、俺は」  乾いた笑い。笑っているはずなのに、生気を感じられないような、虚ろな瞳。  私が何も言えずに日向のことを黙って見つめていると、日向の目がふと、赤く光った気がした。 「ひ、日向、あのさ」  無理に言葉をひねり出して何かを言おうとしても、結局何も言うことができない。  私が言葉を続けることができないでいると、日向は顔を上げて、そしてにこやかに笑って告げた。 「おっと、もうこんな時間か。悪いな、もう行かなくちゃいけないんだ」 「ま、待って」  そんな私の言葉は、彼には届かない。 「じゃあな、苗字! 多分、もう会うことはないと思うけど」 「――あ」  そして彼は踵を返す。満面の笑みで、軽い調子で告げられた、永遠の別れ。  私にないものを持った彼はいなくなった。いなくなってしまった。  私が希望だと思っていた人は――消えてしまった。  何が起きたのか、私にはさっぱりわからない。だけど。  おそらく、彼とはもう二度と会うことはないだろう。私はそう、確信してしまった。  私が見つけた希望は、希望になると言って、どこかに消えてしまった。  その小さな絶望はいつしか、じわじわと身体を蝕み、精神を蝕み、そして。  やがて現れた、巨大な絶望にあっさりと屈してしまった。  甘美な絶望に酔いしれて、わたしは「あの人」のために動く。  希望だと思っていた彼にはもう会えなくなって、絶望のために絶望して、絶望して死ぬために行動して。  ああ、そんなの、そんなの。  ――絶望的に普通じゃない人生の、絶望的な終焉だ。

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