朝、カーテンの隙間からの光で目が覚めた。 寝ぼけ眼のまま隣を見ると、ナランチャの寝顔がそこにあった。 子供のようにあどけない表情に、思わず笑みがこぼれる。どうやら、枕投げをして、お互い笑いながらいろいろな話をしているうちに、いつの間にか眠ってしまったらしい。 同じベッドで眠った割に、お互いきちんと服も着ているし、色気も何も感じられない。ただ単純に、添い寝をして終わっただけのように見える。 それが良いのか悪いのかよくわからないが、良いのだろうということにしておいた。恋人というよりは親友みたいだったが、自分にとってのヒーローと親友みたいな関係になるのも、なかなか良いのではないか、なんて思った。 そう思いながら、ナランチャを起こさないように、ベッドからゆっくりと出る。カーテンを開けると朝日が眩しく、何のわだかまりもなく、思いっきり伸びをすることができた。 こんなに清々しい気持ちの朝は、初めてなのかもしれない。 自分を縛っていたものは、もう何もない。 私の命を狙う者は、もういない。私のことを探し、日本に戻そうとする者ももういない。私の故郷だという日本で、私のことを愛している者は、最初からいない――それがわかっているから、私はこの国に戻ってくることができた。 そして、この街で衝突した人とも、既に和解している。それと同時に、お互いの気持も確かめ合うこともできている。それらのことを思い出し、私は安堵した。 自らの記憶と自分を探す、追憶の旅は終わったのだ。そして私は、自分の意志で、これからの道を選んだ―― それがどのような未来になるかは、現時点ではわからない。だが、今という時間が大切なものであることはわかっている。それだけで、この選択が、私にとって最善のものであったと言うことができる。この選択が正しい道だったと、信じることができる―― 「……んあ? ナマエ?」 「ああ、起こしちゃった? ごめん。おはよう、ナランチャ」 「ん、おはよ……」 未だ毛布の中にくるまっている、とても眠そうな彼に、私は笑いかける。 こんな時間を毎日過ごすのも、全く悪くない。むしろ、とても良い。そう思いながら、私は心の中で『イン・シンク』に呼びかける。 ――私は、幸せだよ。だからもう、私の記憶を奪わないでね。 心の中でこう言ってみたとして、『彼女』がどう思うのかは、よくわからない。結局、私の記憶を失わせたのは、過去の私自身でしかないのだから。 しかし、『イン・シンク』はそっと、微笑んだように見えた。それは、『彼女』から、『記憶を失う前の私』からも祝福されたように思えて――それだけでも、これで良かったのだと、そう思えた。 「ああ、ナランチャ、ナマエ。仲直りはできたようですね」 ナランチャと共にいつもの場所に行くと、フーゴが既に来ていた。普段どおりの声色で話しかけてきたフーゴに向かって、ナランチャは私の肩を抱き寄せて――って、え? 「とーぜんだろ? オレはナマエのことが好きだし、ナマエはオレのことが好きなんだからなッ! 手ェー出すなよ、フーゴッ」 そしてナランチャは、いきなりこう宣言した。 私は、突然のことに困惑してしまう。だが、一瞬遅れて事態を把握すると、真っ赤になったことが自分でもわかった。 「別に、誰もそんなことは聞いていないんですけれどね」 フーゴは呆れたような顔はしているが、あまり驚いたという風でもない。むしろ、私の方が驚いてるくらいだ。 「まあ、仲直りできたのならそれでいいです。仕事の場でギクシャクされても面倒なので」 こう言ったフーゴに、私は慌てて昨日のお礼を言った。彼に感謝している気持ちは伝えねばならないし、これ以上心配かける訳にもいかない。 「フーゴ、昨日は話を聞いてくれてありがとう。私たち、もう大丈夫だから」 しかし、フーゴが何か返答する前に、ナランチャが反応する。 「え、何だよォー、フーゴ、ナマエと話したのか?」 そんな私たちに、フーゴは息を吐いたが、口元を緩めた。そんな彼につられて、私たちも思わず笑う。 そうやってしばらく会話していると、やがて、後ろから別の声がかかった。 「おまえたち……」 聞き覚えのある声に振り向いてそちらを見ると、ブチャラティが少し驚いたような表情でこちらを見ていた。 何故驚いてるのか――と少し考えて、思い出した。 そういえば、まだナランチャに肩を抱き寄せられているままであった。それを思い出すと、また顔が紅潮していくのがわかった。 「ブチャラティ、おはようございます」 「あ、ああ」 いつも通りなフーゴの挨拶に対しても、ブチャラティはやや戸惑うような表情を見せていた。 「ブチャラティ、おはようございます。えっと、その、私たち――」 「ブチャラティ! その、オ、オレ!」 そんな上司に対し、私たちの方から何か言うべきかとも思い、私たちは口を開きかける。しかし、どうしても慌てたようになって、上手く説明することができていない。 そんな風にあたふたしている私たちを見て――ブチャラティは、口角を上げた。そして、彼は軽く笑みを浮かべながら、素直にこう言ってくれた。 「はは、いつそんなことになったのかは知らないが――まあ、おまえたちの好きにすればいいだろう。組織内恋愛も禁止というわけじゃあないしな。なあ、フーゴ」 「……仕事に支障を出さなきゃ、いいんじゃあないですか」 少し機嫌が良さそうな上司からの言葉に対し、フーゴは呆れたように息を吐く。 そんな光景に、顔は赤らめつつも、私は笑った。 自分の居場所に戻ってきたのだと――ただひたすら純粋に、そう思えた。 「とにかく、だ。ナマエが戻ってきたことによって、予定が多少変わる。そろそろ仕事の話に入ろうか。……ナマエ、良いな?」 「はい。私、ずっとあなた達のチームにいたいですから」 仕事モードに入ったブチャラティの言葉に、私はしっかりと頷く。 そう、四人一緒で。私の居場所は、間違いなくここだ。 これからは――四人一緒のチームで一緒に過ごす。そして、彼の隣で、生きていくのだ。 私の大切な人の隣で。 そうして私達はいつも通り仕事を進め――やがて、今日の仕事が終わった。 「じゃあ、ぼくはこれで失礼しますよ」 「おう、おつかれフーゴ」 「おつかれさま」 フーゴは支度を終えると、すぐに帰ってしまった。 そんな彼に挨拶したのち、では私たちもと、私とナランチャも帰る支度を始める。 今日からも、以前と変わらずに、ナランチャと一緒に、ナランチャの家に帰ることができる。それがどうしようもなく嬉しくなっている私に――ふと、後ろから声がかかった。 「ナマエ」 私が振り返ると、ブチャラティが少しだけ笑みを浮かべていた。その表情に少しだけ驚いていると、彼は穏やかな声色で、言葉を続けた。 「きっと、君とナランチャなら、これからも上手くやっていけるだろう――おまえたちの幸せを、願っておこうかな」 そう言って、ブチャラティも去っていった。 彼の言葉に、私とナランチャは顔を見合わせて、ちょっぴり照れ笑いした。 そんな今日という日が終わりかけた、夕焼けの中で。 私とナランチャは、二人並び、のんびりと帰路に着いていた。 「ナマエ、今日さ、何か作ってみねえ?」 「料理ってこと? 私、イタリア料理そんなに作ったことないし、そもそも料理自体そんなに作れないと思うけど」 「いいから! 一緒に作ってみようぜ、オレ、ナマエが作ったもん食べてみて―よ」 「……カラいものだったとしても?」 「ゲッ、それは勘弁だぜェ――」 他愛もない話をしながら、いつの間にか私たちは指を絡めて手をつないでいた。これが確かな幸せだと、そう実感しながら。 「そうそう、今度、前に言ってた夜景、見に行こうね。夕暮れもいいけど、日が落ちてからの夜景、ナランチャと一緒に見てみたい」 「……そうだな、一緒にいろんなこと、しような! 他にも約束してたこと、いっぱいあるもんな――」 もうやれないかもしれないと思っていた約束たちも、きっと果たしていくことができる。そう信じられる。そして、新たな約束を紡ぐことにも、希望を持てる。 それが幸福というものではないかと、そう思えた。 そうやって、とりとめもない話をしている途中のことだった。 「ナマエ」 ふと、いたって普通の調子で声を呼びかけられる。少し振り向いて、何? と返事をする前に―― 頬に、口づけされた。柔らかい感触が、はっきりと感じ取れた。 「……え?」 しばらく呆然としていたが――事態を把握すると、みるみるうちに顔に熱が集中していく。 そんな私に対し、ナランチャは少し照れたような顔をしながら、どこか悪戯っ子のような表情をしていた。 「……もう! こ、こんなにいきなりすることないでしょ!」 「へへ……悪り。カワイくってつい」 彼のその言葉に、さらに私は真っ赤になる。恥ずかしかったし、照れくさかったけど――何より、嬉しかった。これが、私のとって、生まれて初めてのキスだと思えたから。 「おかえしっ」 「わわッ」 私も仕返しだと言わんばかりに彼の頬に向かって口を向ける。少しバランスを崩しかけたが、無事に頬にキスすることができた。それがとんでもなく嬉しいと考えてしまうくらいには、私も浮かれているみたいだ。 ナランチャは暫く呆気に取られていたようだが、やがて、柔らかく笑った。 「……へへっ。なんか楽しいな、こういうの」 「……うん、そうだね」 そして何となくお互いの目を見て、照れながら笑い合う。 しばらくそんな時間を過ごしたが、お互いちょっと照れくさかった。 だけどそれが、確かな幸福だと。これが私たちの道なのだと、そう思った。 嗚呼。気がついたら私は、自分の道を見つけていた。 そして私の目の前には、愛しい人がいた。 夕暮れという時間帯のせいで辺りは薄暗かったが、同時にそれは、彼のようなとても綺麗な色だと感じる。 ――私の名前は、ナマエ・ミョウジ。私の好きな人の名前は、ナランチャ・ギルガ。そして、大事な仲間である、ブローノ・ブチャラティと、パンナコッタ・フーゴ。 私はこれから、四人一緒のチームで、大切な人たちと共にあるのだ。 ヒーローと共に。好きな人と共にあるのだ。 「まあ、こうして二人でいるのって――けっこう、いいよな」 「うん。だから、これからもずっと一緒にいようね――ナランチャ」 「へへへ、当たり前だろ?」 そう言って、彼は笑う。夕陽に溶けるようなその笑みに、私も笑みで返した。 これから、私たちにはどんな未来が待ち受けているのだろう。もしかしたら、チームには近いうちに新しいメンバーが入ってくるかもしれないし、そうでないかもしれない。 ただ――どんな未来であれ、彼らと共に、同時にナランチャの隣で、楽しく笑って過ごせればいいなと、そう思った。 私の、新しい人生は、新しい旅は――これから、始まるのだから。