24.暗闇を抜けて

 暗闇の中、じっと耐えていると、急に衝撃が走った。  そして、光が差し込んでくる。完全に闇は晴れなかったが、正直かなりホッとした。まだ身動きはとれないままだったが、外界の声も徐々に聞こえてくる。  それは、聞き間違えるはずもない、今の私が最も聞きたかった仲間たちの声―― 「アンタか……? ナマエを攫ったのは」  知らない男の声ではなく、聞き慣れた声が聞こえてきた。これは間違いなく、フーゴの声だ。  私の五感は、特に聴覚は、確かに復活しかけていた。自分がどこにいるか、どういう状況にあるのかは、未だによくわからないが。 「間違いね―よッ、フーゴォ! 二人分の『呼吸』があった……。どう見ても、ここにはひとりしかいねー、そしてこいつは特に息を荒げてもいないのに、確かに二人分の呼吸があったッ!」  続いて、別の声が聞こえてくる――間違えるはずもない、私のヒーローの声。  ナランチャ・ギルガの声。  ――二人分の呼吸?  彼の言っていることがよくわからない。もしかして、ナランチャのスタンド能力か何かだろうか? そういえば、私はナランチャの飛行機のようなスタンドを見たことはあったが、詳しい能力は知らなかった。  ともかく、彼らの会話から察するに、仲間たちとこの見知らぬ男の近くに、私は確かにいるはずだ。しかし、彼らにも私がどこにいるのかは見えていないらしい。  私は一体、どこにいるのだろう? そして、どうやったらこの男のスタンド能力から抜け出せるのだろうか。 「てめー……ナマエを返しやがれ、このボケがッ」  ナランチャの、怒りに滲んだ声が場に響く。それに対し、男の焦ったような声が応えた。 「な、何言ってんだ? テメーら。急にオレのことを撃ちやがって。ここにはオレ一人しかいねーし、なんならオレはさっきこの店に入ってきたばかりで、テメーらのことなんてなんにも知らねーぜッ」 「チクショー、とぼけやがって……どこだ? どこにナマエを隠しやがったんだ?」 「だから、知らねえっての!」  男とナランチャの会話が聞こえてくる。男の声は、ナランチャの怒りに圧倒されているように、やや震えていた。急に攻撃されて、動揺しているのかもしれない。しかしそれだけに、この男が次に何を仕掛けてくるのか読めず、恐ろしさのようなものを感じる。  そんな空気を読んでいるのか読んでいないのか――フーゴは二人の間に割って、冷静に話しかけた。 「まあ、一旦落ち着きましょうよ。そんなことを延々と言い争っていてもどうしようもないですからね。それにナランチャ、もしかしたらこの男が、人よりも肺活量が多いだけかもしれないですし、もしこの男が無関係だった場合、本当の敵スタンド使いを見失ってしまうかもしれない。ぼくらは、確実に、敵スタンド使いを排除しなければならないんです。ナマエを攻撃するようなヤツは、ジュリオチームのひとりにほぼ間違いないんですからね」 「……ちぇっ」  フーゴが二人に冷静に語りかけると、彼らの空気は一旦落ち着きを取り戻した。しかし、五感がまだ完全に働かない私でもわかるくらいに、彼らは危うい空気の中にいることはわかった。 「じゃあ、ひとつひとつ聞いていきましょうか。あなた、今入ってきたばかりと言うのなら、何故食べかけのピッツァがあなたの目の前にあるんです? 半分ぐらい食べてますよね、それ」  フーゴはまず、こう切り出した。それに対し、男は食って掛かる。 「そ、それはだな、オレって結構早食いなんだよ、だからだよッ! 文句あっか!」 「じゃあ、さっきからチラチラこちらを見ていた理由は? あなた、ナマエの出した白い箱が飛んでいるのを、目で追ってこちらを見ていたでしょう」 「そ、それはたまたま目に入ったからだよ。深い意味なんてねえー、たまたま見ちゃうってこと、あるだろ? その相手が特に変なヤツじゃなかったとしてもよ」  フーゴは男に質問していくが、男は全て否定する。それらが全て嘘だとわかっている私は、どうも歯がゆい気持ちでその会話を聞くことしかできなかった。  それからも、彼らの会話はヒートアップしていった。あくまでも、フーゴは冷静なままであったが。 「フーゴォ、こいつで決まりだよッ! 早くぶちのめそうぜェ――ナマエを攫ったクソ野郎をよオオオオオオ」  そんな中ナランチャは、もう待ちきれない、といった風に叫んだ。声だけでも、その気迫が伝わってくる――思わず、身震いしたくなるくらいに。 「ナランチャ、少し黙って。もう少しで終わりますから」  それでもフーゴは、ナランチャの声にも冷静なまま対応していた。怒りなんていう感情は持っていません、って感じだ。  そしてフーゴは、最後にこう切り出した。冷静な声色の中に、ナイフのような切れ味を感じる―― 「じゃあアンタは、無関係なスタンド使いであるってことか? 少なくとも、スタンド使いであることは間違いないでしょう」 「お、オレは、スタンド使いなんかじゃあねーぜ! オレは! 無関係! だ! な、なんのことだか、サッパリ、全然わかんないぜ――ッ」  男がフーゴのその質問に対しても嘘で答えた、その瞬間――五感がまだ完全に復活していない私の感覚でもはっきりわかるくらい、空気が冷え込んだことがわかった。  そして。 「……トボけてんじゃあねーぞッ! オレをナメてんのかッ!? そんなくだらねーウソで、このオレを騙せるとでも思ってんのかッ!?」  『誰か』の声が爆発した。否、よく知っている声だ。  パンナコッタ・フーゴの声だ―― 「『スタンド使い』じゃあないヤツが『ナマエが出した能力の白い箱』を目で追えるかッ!? ナランチャが撃った機銃を機銃と認識して『撃ってきた』なんて言い草するかァ!?」  初めて聞く彼の怒号に、思わず呆然とする。 「このッ! 我慢ならねえッ! このドグサレ――ッ」  加えて、彼の怒鳴り声に合わせて、衝撃が揺らめいた。男が攻撃を受けると、私にまで攻撃自体は伝わっていないが、衝撃波だけは伝わってきているようだ。フーゴは今、素手かなにかで男のことを攻撃しているのかもしれない。  フーゴは今の今まで、冷静に対処してきていた。なのに、何故そこで急に怒鳴り声を上げたのか、そして何故ここまで怒っているのか。  正直、理解できなかった。ナランチャは、仲間、つまり私が攫われたことに対して怒ってくれていると考えても良いだろうが(そしてそれは正直嬉しかったが)、フーゴの場合は確実にそうではない。 「えー、こんな時に限ってキレんのかよフーゴォ、早くしてくれよなァ、オレだってぶちのめしたくてしょうがねーんだからよオオオ」  そんな彼のことを見ても、ナランチャは少し驚きつつ、こうやって呆れているくらいだった。  そして、理不尽なほどの怒りをぶつけられていた男は、しばらく声も出せていなかったようだ。だが――男はやがて咳き込み、絞り出すように声を出した。 「て、てめえ……。予定変更だ、ひとりひとり殺ろうと思ってたが……このビチグソ女を仕留めてから、オメーらを皆殺しにしてやる……ぜ……」  ――ちょっと!  どういう原理なのかはいまいちわからないが、急に首が締まるような感覚に襲われ、私は慌てる。  男が焦りつつも、満足そうに笑ったのが感じられた――その時。  フゥ、と、呆れたようなため息が聞こえてきた。  一瞬誰のものか、わからなかった――けど、理解した途端、ゾッとした。  これ、さっきまで思いっきりブチギレてた、フーゴのため息だ。あんなに怒っていたのに、今や、この場にいる誰よりも冷静である。  急に怒り出して、急に静けさを取り戻す――まるで、嵐みたいだ。  ――フーゴって、怒ったら怖い人なのか……。今度から彼と話すときは、気をつけた方が良いかも……。  現実逃避のようにそう考えている間にも、首の締まる感覚は強まっていく。そんな中、フーゴの落ち着いた声が、辺りに響いた。 「こいつは黒で決まりですね。ナランチャ、こいつが動けなくなる程度にエアロスミスをぶち込んでやってください。ぼくのスタンドでは、こいつの息の根を止めない程度に痛めつけることはできませんし、どこにいるのか知らないが、ナマエにも被害が出る可能性がある」 「言われなくても……わかってるぜェェ……」  フーゴが言い終わるよりも早く、ナランチャは返事をした。抑えきれない怒りが、抑えてきた怒りが、今にも爆発しそうな風に感じられた。 「てめー、ナマエを早く返しやがれッ! 『エアロスミス』!」  彼の声と共に、エンジン音が響き――そして、銃撃音が聞こえてくる。  そして、これまでで一番強い衝撃を感じた。撃たれた、というよりは、ふっ飛ばされた、って感じだ。  それと同時に――私は、完全に五感を取り戻した。 「やったッ! ナマエがこのクソッタレの影から出てきたぞ――ッ」  ナランチャの声が聞こえてきた。それを聞きながら、私は状況を把握しようとする――おそらく、ナランチャが男を攻撃したことによって、男のスタンド能力が切れたのだろう。私は今まで、男に五感を奪われていたのと同時に、男のスタンド能力で隠されていたのだ。  自分が今どこにいて、どこに座り込んでいるのか、今ではよくわかった。本体らしき見知らぬ男が、そこに倒れているのもだ。 「……ッ」  しかし、それらが完全にわかっていても、なぜか私は立ち上がることができなかった。  足に力が入らない。スタンドを出す気力すらない。 「なるほど、影にナマエをとらえていたのか。エアロスミスのレーダーにナマエの呼吸があったのも、そのためってところですかね」  内心焦りながら周りを見渡そうとしていると、近くにいたフーゴは私の姿を見て、冷静に分析した。それを聞いて、私も納得する。  ――なるほど、私は、あの男の影の中にいたのか。  私は、影の中に閉じ込められていたんだ。だから、何もかも真っ暗で何も感じられなくなっていたし、イン・シンクの視界でも本体である私を見つけられなかったんだ。  さながら、見えないブラックホールに引きずり込まれたように。  今までの状況を理解したのはいいが、どうにも力が入らなくて、私のまぶたは下がってきてしまっている。  すると、完全に目を閉じてしまったと同時に、ナランチャの焦ったような声が聞こえてきた。 「おい、フーゴ! ナマエが目を覚まさねえッ! し、しまった! ナマエにも攻撃がいっちまったみたいだぜッ! おいナマエ、大丈夫かッ!?」  ――大、丈夫。  声を出そうとしたのに、声が出ない。何故? 「大丈夫、直接攻撃を受けたようではないようです、衝撃を食らって気絶しているだけでしょう。それより、先に――逃げようとしているそいつを、行動不能にすべきです」  男はまだ、行動不能にはなっていないらしい。私も応戦しようとするが、どうにもぐったりしてしまう。男のスタンド能力に捕われていた際の、後遺症のようなものだろうか。  五感は戻ってきているのに、まぶたが上がらなくて、結局声を聞いて状況を判断する以外のことはできなかった。 「! あいつ、スタンドを出すぞ――ッ」  ナランチャの声。私も加勢したいと思うのに、どうしても起き上がることができない。  目を、開けていられない。  二人は、大丈夫だろうか――  男の声、二人の声、物音が私の耳に届く。なのに、どうしても私は、意識を掴んでいることができず、結局手放してしまった。  ――意識が、遠のいて……。  目が覚めたら、男は既に死んでいた。 「……?」  軽く辺りを見回して、いつの間にか人気のない路地に移動していたことに気がついた。一般人を巻き込まないためだろうか。  そして二人の仲間も、無事だった。  戦いがどれくらい続いたのかはわからないが、二人ともあまり怪我はないようで、軽い調子で会話をしている。それを見た私は、そっと胸をなでおろした。 「ッたく……ぼくの言うことなんて、聞きやしないんだから」  私に背を向けるような形で、フーゴは立っていた。彼は怒っているわけではなさそうだが、かなり呆れた声色をしている。 「えーッ、ブチャラティの命令では、ジュリオチームの奴らは見つけ次第殺すんだったろー? それに、ナマエに危険が及ぶんならよー、さっさと殺すしかないじゃあねーか」  フーゴの声に対し、ナランチャはあっけらかんと返した。彼の顔は、フーゴの影に隠れてよく見えない。 「始末するのは、そりゃあそうですけど。それより先に情報を聞き出すことが、結果的に彼女を守ることになると思いますがね」  彼らの会話を脳内で反芻する。  フーゴは、男をすぐには殺さずに情報を聞き出すつもりだったが、ナランチャはそれを聞かず、すぐに男を殺してしまったのだろう。 「ナランチャ、あなた……拷問の仕方も知ったほうが良いですよ。始末すればそれで良いってわけじゃあない」 「なんだよフーゴ! オレに命令すんなよ、年下の癖によォ――ッ」  二人はまだ同じ調子で、軽く言い争っている。下手したら、いつかどちらかがブチギレて、殺し合い一歩手前までに発展するかもしれない。――だけど。  この光景、なんか平和だな。そう思い、私は思わず笑った。  私の声が聞こえたのか、二人は一旦会話を中断した。  そしてナランチャは、こちらを向いて顔を覗き込んでくる。 「お、ナマエ、目ぇ覚ましたか! 心配したんだぜ」  彼の笑顔を、なんだか久しぶりに見た気がする。彼の屈託のない笑みを見て、私は久しぶりに心からほっとしたような感じがした。 「ナランチャ。フーゴも、ありがとう」 「どーいたしましてッ」  全てのわずらわしい気持ちのことを、今だけはすっかり忘れて、私とナランチャは顔を見合わせて笑った。  そんな私達を見たフーゴは、呆れたように息を吐き、そして――彼も、口元にそっと笑みを浮かべた。 「まあ、良しとしますか……きちんとした拷問はできませんでしたが、それでもあの男が勝手に喋っていた分、ある程度の情報は得られましたし」  ある程度の情報?  そうだ、あの男は、気になることを言っていた。――ジュリオチームの最後のひとりは、私の家族を始末するために、日本にいると。 「フーゴ、その情報って……」  私は彼からそれを聞き出そうとしたが、今はそれは叶わなかった。 「騒がしいな……」  なぜなら、私達の上司、ブチャラティがこちらに向かってきたからだ。  どうやら仕事の電話を終えた後、私達の姿が見えなくなっていたので、探しに来たらしい。 「あ、ブチャラティ、こっちこっち」  ナランチャがブチャラティに手をふると、ブチャラティはこちらに駆け寄ってくる。 「フーゴ、ナランチャ、ナマエ、何があったんだ? 怪我をしているように見えるが……」 「それがですね……」  すると、フーゴもブチャラティの方に駆け寄った。私はそれを見て、フーゴから情報を聞き出すのは、とりあえず後回しにしようと思った。  私には、まだ時間は残されているはずだ。今すぐ敵にまたもや襲われるってことは、きっとないはずだから。――私の家族はどうだか、わからないのが不安だけれど。 「まあ……なんとかなった、ってところかな」  とりあえずの危機が去り、私は息を吐いて、空を仰いだ。三人の仲間たちは今も無事で、私の近くにいる。  頭上の空は、青く穏やかだ。さっきまで戦っていたことが嘘みたいだと、そう感じた。