21.抱えている道

「なんだあ? てめー」  あなたを探していました――  私に対し、そんな風に言い放った見知らぬ男。それに対し、ナランチャは敵意剥き出しで噛み付いた。 「おまえ、敵か? オレの仲間になんか用かよォー」  それに対し、『SPEED WAGON』と書かれた帽子を被った、スピードワゴン財団の一員だとか名乗る男は、あくまでも冷静に告げる。 「敵ではありませんが――あなたに、少々お伺いしたいことがあります」  男は、私に向かってこう言った。  男が冷静だからといって、私とナランチャが冷静でいられるとは限らない。私は困惑して黙り込むしかなかったし、ナランチャは逆に声を荒らげるだけだった。 「何だとオオ――てめえ、オレの仲間に手ぇ出す気かッ! ボケッ!」  ナランチャはそこで、懐からナイフを取り出した。キラリと光るナイフの中には、確かに殺意があった。 「ナマエには手を出させねえッ! 絶対ェ――にッ!」  こう言ってナランチャは、私のことを庇うような形をとる。そしてナランチャはすぐさま、男に対してナイフの切っ先を向けた。  しかし男は、冷静にそれを見つめるだけだ。男は表情を変えずに、私の方に声を掛ける。 「苗字名前さん。あなたに、少し聞いても良いでしょうか?」  ナランチャのことを無視する形で、男は私に対してこう言った。  しかも、何故か日本語で。 「……はあ?」  ナランチャは、惚けたように首を傾げる。それを確認した男は、また日本語で私に対して話しかけた。 「この様子だと、彼は日本語がわからないようですね――それなら都合がいい、日本語で話しましょう」 「お、おいてめー、何話してるんだ?」  イタリア人のナランチャには、日本語が理解できていない。それが分かっている男は、私に対して、日本語でひとつの質問をした。 「苗字名前さん。……あなたが彼と一緒にいるのは、あなたの意思ですか? 正直に答えてください。日本語で答えれば、彼にはあなたが何と答えているのかわかりません」  それは――もし、この男が私とナランチャの関係を知っていたなら、絶対にしてはいけない質問だった。 「……彼が、私を脅して、私を傍に置いているって言いたいんですか?」  日本語で、この男に言う。遠回しではあったが――この男が言いたいことは、こうであるとしか考えられなかった。  本当にそうだとしたら、こんなの。  男は何も知らないとはいえ、こんなの――私と彼に対する、侮辱だ。 「なら、正直に答えます。私が彼と一緒にいることは――正真正銘、私の意思です」  ナランチャにもこの気持ちは伝えたかったから、私はイタリア語でキッパリと言った。状況を把握出来ていないナランチャがぽかんとしたことと、男が別の意味で困惑したことがわかった。 「……ナマエ?」  話の流れを飲み込めていないナランチャが、不思議そうに私の顔を覗き込む。  反対に、男はどこか焦ったような素振りを見せて、眉を顰めながら私に聞いた。 「では、何故? ――何故、あなたは、彼と一緒にいようとするのです? 何故……あなたは、日本に帰ってこないのです」 「……それをどうして、あなたに言わないといけないの?」  本心だった。  質問に答えるのは簡単だ。ナランチャとのこと、自分が記憶喪失だということ。――だけど。  どうして私がこの男に、それを話されなければならないのだろうか?  男は最初、誰かの司令で私を探していたと言っていた。だけど――今の私にとって、そんなものは不信感にしか繋がらなかった。 「最初、あなたは――写真の女を見つけることが出来なかったから、帰ることができていないのかと思っていました。見つけられなかったのなら、それはそれで良いのです。今は、あなたが日本に帰らないことの方が問題なのです」  私が質問に答えないためか、男は話の流れを少し変えた。男の言葉に対し、私は首を傾げる。 「……写真の女?」  何が何だかわからない――そう言おうとしたところで、私はふと思い出した。  『記憶を失う前の私』の荷物の中に、日本人の美しい女の写真があったこと。その裏には、確かに『この女は生きている。』と、私の筆跡で書かれていたこと――  話が、少しだけ見えてきた。だから私は、頭を抱えながら思考を巡らせたくなる。  しかし、男はそんな時間を与えまいと言わんばかりに、さらに言葉を重ねた。 「あなたは日本に帰るべきです。あなたに何かあったとしたならば、それは私たちの責任。今は、あなたを無事で日本に送り届けることが、最優先です。あなたが何故、イタリアにいたがるのか。……それにもよりますがね」  畳み掛けるように男が言う。その言葉は、私のことを揺らがせた。  ある意味それは、私のルーツを探る第一歩であったのだから――  日本に帰る。  故郷に、帰る?  そこに、私の過去が、私が思い出せない、私自身の正体がある。今の私が思い出せなかったとしても、故郷にさえ行けば、何かわかるかもしれない。  この人に着いていけば、私は故郷がどこなのかを知ることができる。私の家だった場所を、私の友人だった人物を、知ることができる。 「……あなたに着いていけば、私は日本に行くことができる?」  ふと零した言葉。それに、ナランチャと男は反応した。 「ナマエ……?」  話の流れを飲み込めていないナランチャが、困惑したように私の顔を覗き込む。彼は少し、不安そうな表情をしていた。 「あなたはまだ学生ですし、日本に戻って本来の日常に戻るべきです――さあ、日本に帰りましょう、苗字名前さん」 「おい、てめー!」  男が、私の腕を掴んだ。私は咄嗟に抵抗することができなかったが、代わりにナランチャが声を荒げる。  私はこの一瞬の中で――咄嗟に、頭の中に考えを巡らせた。  この人について行けばきっと。日本に、それも自分の家だったところに行くことができれば――私は、自分のことを知ることができる。記憶を失っている分、時間はかかるかもしれないけれど、ほとんど確実に。  だけどそれは、彼らとの別れの道を意味した。  それはもちろん、ナランチャとの別れの道でもあって―― 「嫌!」  気がついたら、私は男の手を振りほどいていた。意外なほど大きな声が出たことに、自分でも驚きながら、私は自分の意志をはっきり告げる。 「私は――ナマエ・ミョウジ! 私は、彼と離されてまで、日本に行きたいとは思えないわ!」  それに私は今、この状態で日本に帰ったところで、私の知りたいこと全てを知ることは恐らく不可能だ。  私が記憶を失ったのは、このイタリアという国でのことだ。もし日本に行くことがあったとしても、知りたいことの全てを知るためには、このイタリアで全てに片を付けてからでなければならない。  私は、私のことを知りたい。それは事実だ。だけど。  もう私は、『組織』の一員だ。そう簡単に、『組織』から抜け出せるはずもない。  そして何より――ナランチャたちと無理矢理に引き離されて、『よく知らない』故郷に行くなんて、考えられなかった。  私のとっては、『住んでいた記憶もない』故郷なんかよりも――今の私の全ての記憶がある、このイタリアの街のほうが大事になってしまっていた。 「……あなたは」  私の言葉が全く理解できない、と言わんばかりに男の顔が歪んだ。  それはそうだろう。実際に男は、何も理解していない。私がナランチャたちに救われたことも、記憶喪失になったことも、ギャング組織である『パッショーネ』に所属していることも、全部。  そんな人間が、私を日本に引き戻そうとしていたのかと思うと――カッと、湧き上がる感情があった。  それはもう、自分でもどうすることもできない激情であった。 「おいッ、ナマエ、何を」 「……『イン・シンク』」  ナランチャが止める声も聞かず、私はほとんど無意識的にスタンドを発現させていた。  そして―― 「おい、大丈夫か? ナマエ」  気がついたら、私はナランチャの家に戻ってきていた。  冷や汗をかいているし、呼吸も荒い。正直、かなり気分が悪かった。  一瞬、自分が何故ここにいるのか、何が起こったのかわからなくなっていたが――すぐに思い出した。  私が、『イン・シンク』が、男の記憶を一部奪ったことを。  男の中から、『苗字名前』に関する記憶を全て奪って、無我夢中で逃げ出してしまったことを―― 「……『イン・シンク』」  あの時。私は逃げ出そうとはしていたけれど、『イン・シンク』を使おうとまでは思っていなかった。なのに『彼女』は勝手に出てきて、勝手に行動した。  それはつまり、私が『イン・シンク』を制御できていないということで。  自分が何をしてしまうか、誰のどんな記憶を消してしまうか、わからないということで。  いつか、自分が一番近くにいる人の記憶すら、奪いかねないということで――  嫌な想像を振り払いたくて、頭を振った。そして、心配そうに私の顔を覗き込むナランチャの視線から逃れるように、私はぽつりと言う。 「あの人は結局、なんで私を探していたんだろう。どうして、日本に戻させようとしていたんだろう」 「んー。なあ、ナマエは日本に行きたくはないのか?」 「うーん……。一回、行ってみたいなとは思うよ。自分が何者なのか、誰から生まれてどこで育ったのか、それは知りたい、思い出したいよ。だけど――それでも、ナランチャたちと離れるのは、嫌だ」  私が答えると、ナランチャは難しそうな顔をして押し黙ってしまった。そんな彼を気遣う余裕もなくて、私はさらに、悩みを吐露してしまう。 「ねえ、ナランチャ。私、いつか、日本に戻されちゃうのかな。強制的にさ」 「……ナマエ」  ナランチャは少しのあいだ黙っていたが、やがて彼は、私を安心させるように笑った。 「だーいじょうぶだって、オレがついてるからさ。心配すんなよなー」  ナランチャは、ぽん、と私の頭を撫でた。その柔らかく温かい行動に、私の気持ちはいくらか落ち着く。  ただ、それでも、無性に泣きたくなってしまいそうな感覚はあった。頭の中がこんがらがっていて、どうかしてしまいそうだった。 「あ……」 「ん? どうかしたか?」  こうしていると、私はふと思い出した。  私はまだ、CDショップに行って、好きな音楽をもっと探すことができていない。ナランチャと、好きな音楽について話すことも、できていない。ナランチャと約束した、夜景を観ることもできていない。  私たちは何もできないまま、家に戻ってきてしまった。  もっと、二人での時間を、楽しめたはずなのに。つかの間の休暇を、楽しむことができたはずなのに。 「……ううん、なんでもない」  それを思い出しても、私は何も言えなかった。  ただ、ナランチャと過ごせたはずの楽しい時間を、ずぶずぶとした悩みで消費してしまっているのが勿体無いと感じたし、なんだか悔しかった。