18.ギャングニ日目 午後

 結局、何を忘れているのかを思い出したのは、ブチャラティが待っているレストランに戻ったあとのことだった。 「無事に任務完了しました、ブチャラティ」 「そうか、ご苦労だった」  フーゴがブチャラティに報告している傍ら――ふと、思い出したのだ。  ここにいるみんなにとっては大した問題ではないかもしれない。だが、私にとっては大事な問題だった。 「どうしたんだよナマエ、変な顔して」  よほど、私が青ざめた顔をしていたのか――ナランチャが訝しげに聞いてきた。 「どうしよう、ナランチャ……」  どうすれば良いのか、分からなくて――私はナランチャに、すがるように言ってしまった。そうするしかなかった。 「ホテルで荷物取ってくるの、忘れてた……」 「レストランにも敵が来たんですね、ブチャラティ」 「……まあな。どこで情報を掴んだのか――オレたちのチームが警護している場所で、取引が行われていることを知っていたらしい。レストランかホテルかまでは、知らなかったようだが」  ――取引?  ブチャラティとフーゴは、難しい顔をして話し合っている。話している内容のことも気になるし、その中に入っていくのはためらわれたが――ナランチャはいとも簡単に、その中に入っていった。 「なあなあ、ブチャラティ」  ナランチャは軽い声で、ブチャラティに向かって言った。 「ちょっとさ、ナマエをさっきのホテルまで連れて行ってやりたいんだけど。ナマエ、忘れ物しちまったみたいでさ――良い?」  ブチャラティとフーゴは、一旦会話を中断する。ナランチャの言葉を聞いて、ブチャラティは少し考えた後、やがて頷いた。 「ああ、そうか……。そうだな、今日は解散、ってことにしても良い。疲れてるだろう、昼飯でも食べてくるといい」 「……良いんですか?」  私が驚いて聞くと、ブチャラティはまた頷いた。 「取引が終わった時点で、今日のオレたちの任務は、ひとまず終わったことになるらしいからな。みんな、よくやった」  取引。確かにブチャラティは、何度かそう言っている。  どうも、何故か。なんとなく、だけど。――何か、気になってしまう。  だから、ブチャラティへの感謝の言葉よりも先に――口から出てきたのは、疑問の言葉だった。 「えっと……その取引って、いったい……」  ブチャラティは難しい顔をして、口を噤んだ。そしてその直後、彼はまた、口を開こうとした。  しかし、ブチャラティが何を言おうとしたのかは、結局わからなかった――なぜなら、フーゴがそれよりも早く、私に向かって言ったからだ。 「ナマエ」  フーゴの声は、穏やかに聞こえる。だが、むしろそのために、彼の言葉が、深く私に刺さったのだった。 「余計なことは詮索しないほうが、身のためですよ」  ホテルに、私の荷物を取りに行く道中――私とナランチャは、昼食をとっていた。いろいろと忙しくしていて忘れていたが、私はかなり、お腹が空いていた。いつの間にか、午後二時を回っていたらしい。  私が、考え込みながらピッツァに手を伸ばしていると――ナランチャが、訝しげに聞いてきた。 「ん、ナマエ? どうかしたか?」 「え? ……ううん、なんでもないよ」  変な顔でもしていたのだろうか。慌てて誤魔化すと、ナランチャは少し、不安そうに聞いてきた。 「もしかして、ピッツァ、嫌いだったか?」 「ううん、全然そんなことはないよ! 美味しいよ」  そして、ピッツァを口に運ぶ。――うん、本当に美味しい。  そんな私の様子を見てナランチャは、安心したように笑った。なんだか私も、ナランチャにつられてしまった。  実際に、今、考えていたのは――ついさっき、フーゴに言われたことのことだった。 「余計なことは詮索しないほうが身のため、か……」  この組織で生き残るためには、きっと、それは大切なことなのだろう。  だが、どうも引っかかる――何か、私の知らないところで、重要なことが行われているような。しかもそれは、私にとって、何か大事なことのような―― 「ああ、さっきフーゴに言われたことか」  ナランチャは何気なく呟いた。そんな彼の前で、私はどうしても、いろいろと考えてしまうのだった。  あの時、――誰も来ないようなホテルか、ブチャラティとナランチャが警護していたレストランかどちらかまでは知らないが――何かしら、組織間での取引があったらしい。  だから敵はきっと、それが目当てで襲いかかってきたのだろう。  それがレストランかホテルかは、わからない。どんな取引だったのかもだ。  敵も知らなかったのだろう。だから実際、敵はレストランにもホテルにもやってきたのだ。  他のみんなも、取引のことは知らなかったのかもしれない。私は、取引が行われていること自体、知らなかった。  だが、もしかしたらフーゴは、取引が行われているということは、知っていたのかもしれない――新入りの、信用できない私には知らせずに。  彼が私を一人にせず、ナランチャと共に行動させようとした、ということは――実際、そのナランチャの声は偽物だったわけだけど――私を信用していない、という意思表明かと思っていた。  それは半分当たっていたけれど、半分間違ってもいた。私のことを信頼していない、という意思表明ではなく、ホテルを警護して、取引を守りきることのほうが重要だった、というだけだったのだ。  ただそれは、結果的に「私のことを信頼していない」ということを表していることに、変わりはなかった。 「その取引って……重要なものだったのかな」 「そんなに大事なものではないんじゃあねーの?」  私が独り言を言うと、ナランチャが口を挟んできた。どういうことかと、思わずナランチャの顔をまじまじと見てしまう。 「ブチャラティは幹部には気に入られているけれどよォー、幹部レベルの仕事はできないだろうからな。まっ、オレはブチャラティが幹部になるべきだと思うし、ブチャラティなら絶テェー幹部になれると思ってるけどな!」  ナランチャの言葉を聞いて、いくらか考えがまとまってきた。 「取引自体は重要じゃあなかった。でも、その取引を妨害すること自体は、命の危険につながる――ってトコ、かな。実際、取引を妨害した敵はみんな、死んだ」 「まあ、そういうことなんじゃねーの? よく分からねーけどよ。オレたちは、オレたちの任務を果たしただけだ」  なるほど。なんとなく、分かってきた気がする。  だけど。それはそれとして、その『取引』が、私の未来と過去を知るために、何か重要なものであるような気がしてならないのは、気のせいなのだろうか?  そして―― 「もーらいッ」 「あ」  考え込む私の横で、ナランチャは無邪気に、私の分のピッツァを手に取った。そしてそれを、口に運んで、言う。 「なあ、ナマエ。いろいろ考えるのも良いけどよォー、そろそろそれ、食べないと冷めるぜ?」 「……あ、うん。そうだね」  あんまり考え込んでしまったところでどうしようもない。一旦考えを放棄して、私はピッツァに手を伸ばした。  やっぱりこのピッツァは、心に染み渡るようで、本当に美味しかった。それはきっと、店の主人の腕前が良かっただけ、というわけではないだろう。  店を出る時、ナランチャが、当然のように代金を支払ってくれた。――本当に、頑張って働いて、たくさんの借りを返さなければならない。  それに、だ。もしかしたら、ホテルの荷物の中に、ちゃんとお金があるかもしれない。少しはそれで、返せるかもしれない。  荷物の中身は、確認しないとわからないけれど。『記憶を失う前の私』がどれだけお金を持っていたか、それは現時点では、誰にもわからないのだから。  ホテルに行って、私の荷物を受け取った後――私達はとりあえず、ナランチャの住んでいるところへと戻った。 「ありがとう、荷物半分持ってくれて」 「当たり前だろ? 女の子に、荷物全部持たせるなんてできないだろ」  ナランチャはやっぱり、良い人だと思う。たとえ、ギャングでも。 「……あ、そうだ、ナランチャ」  何? と振り向くナランチャに、私はずっと言えていなかったことを言った。なんとなく、タイミングが掴めなかったのだ。 「ゴメン。試験を受けていた時、部屋、勝手に片付けちゃってたんだけど。言うの忘れてた。大丈夫だった?」  ナランチャは一瞬キョトンとした。そして、屈託なく笑った。 「ああ、別にいいよ。むしろゴメンな、散らかってて」 「そんなこと」  ナランチャが笑って許してくれて、ホッとする。素直に言うことは大事だと、なんとなく思った。 「なあナマエ。それよりよ、荷物の中身、確認してきたらどうだ?」 「……うん。それもそうだね」  ナランチャがこう言うので、私は、彼に宛てがわれた部屋に戻った。  なんだか、ナランチャが何か言いたそうにしていたけれど、彼は結局、何も言わなかった。  荷物の中身は、特に大それたものは入っていなかったように思う。だけど、私にとっては、恐らく重要なものが入っていた。  衣類や洗面用具など、日常に必要なものや、パスポートなどの旅行に大事なものが多くある。  自分のものを使うということで、周りから何かを借りることが減ることになる。それは、自分にとっても、周りにとっても、大事なことだ。  ただ、どうしても見慣れないそれらは、よく知らない他人のもののように見えて、気味が悪かった――だけど、これは紛れもなく自分のものだと、そう言い聞かせた。  ――『記憶を失う前の私』も、『今の私』も、同じく私だ。『記憶を失う前の私』のものは、『今の私』のもの以外の、誰のものでもないのだ――  それに、ある程度のお金があれば、ナランチャとブチャラティに対して、ある程度の借りは返せる。さらに、ある程度の荷物があれば、ナランチャの負担も減らすことができるだろう―― 「よし」  そして、荷物の中身を探った。これは紛れもなく自分のものだと、どうしても感じてしまう違和感のことを、忘れようとしながら。  とりあえず、今いちばん大事なのは、お金だ。  記憶を失う前の私は、お金をどこにしまっていたのだろう、と荷物を探していると――ふと、二枚の紙切れが、目に入った。 「何これ」  思わず、独り言が飛び出てきた。その紙を手にとって、じっくり眺めてみる。 「写真……?」  それは、二枚の写真だった。どうやら二枚とも、同じ女性が写っているようだ。  一枚目は、古いけれど、ハッキリと女の目鼻立ちがわかる写真だ。写真に写る黒い髪の女は若く、美しい。  二枚目は、新しいけれど、女の顔がよく見えない写真だ。遠くから隠し撮りした写真だろうか? 一枚目の写真と見比べてみると、女は変わらず美しいが、それでも若さは失われているように見える。 「何、これ……?」  この写真が何なのか、全くわからない。顔立ちから察するに、日本人だろうか?  何故私は――『記憶を失う前の私』は、こんな写真を持っていたのだろうか? 「私の知り合い、だったのかな……」  しかし、それにしてはどうも妙な感じがする。顔を顰めながら、何気なく写真の裏を見ると、走り書きが書いてあった。  日本語で、間違いなく私自身の字で――こう、書いてあったのだ。 『この女は生きている。』  少なくともこれは、親しい友人に対しての言葉ではないのだろう。なら、一体これは何なのか。  自分で書いた字のはずなのに――当たり前だけど、見覚えがなかった。どうも奇妙で、不気味とすら言える感覚だった。 「私は――あなたは――彼女は――どういう意図を込めて、この文字を書いたの。どうして、イタリアにやってきたの」  何も思い出せない。何も、思い出せない。  今更ながら、恐怖のようなものが湧き上がってきた――私の中に確かに以前まで存在していた、過去の私の存在に。  そして思う。記憶を失う前の私と、記憶を失った後の今の私は、紛れもなく違う存在であるのだと。 「誰か、教えてよ……」  誰かに縋っても、誰も教えてはくれない。知っている『私』は、もういない。  ただ一人――全てを知っているであろう『イン・シンク』が、呼び出してもいないのに、私のことを見つめている気がした。 『余計なことは詮索しないほうが、身のためですよ』  さっきフーゴに言われた言葉を、なんとなく思い出す。  私のスタンド――『イン・シンク』も、私自身のことを、彼みたいに釘を刺してくるように思えて――どこか、忌々しく感じられた。