9.悪夢を夢見た日

 夢を見ていた。  これは、百年前の夢だ。  ジョジョさんとエリナさんが、ジョースター邸で、幸せそうに暮らす姿。それを嬉しそうに眺めるジョースター卿。友人のスピードワゴンさん。彼らに仕えている、私。太陽のように光り輝く、彼らの世界。ジョジョさんはエリナさんとの赤ん坊を胸に抱き、そして私に手を伸ばす――  幸せと違和感が溢れている空間に、私は。  このままではいけないと思った。  そして目が覚める。  ここは、百年後の世界だ。  見渡す限りの闇の中。私は、あの光の中にはもう戻れない。それを実感する。  そして私の隣には。仕えるべきたった一人の主人が。悪の帝王が、一人。  肌を重ね合わせるのは、これで何度目か。人間だった時よりも鈍くなった痛覚でも、噛みつかれた痛みは感じる。ディオさんよりは傷の治りは遅くとも、波紋や太陽の攻撃でなく、且つ脳にダメージがなければ、人間の血を得れば私の傷は治せるようなのだが。とはいえ、血だらけのシーツを洗うことを思うと、思わずため息が出てしまった。 「何か、不満か? ナマエ」 「……起きていたんですね、ディオさん」  私は起き上がった。ディオさんは寝そべりながら、私のことを観察するように眺めている。 「夢を、見ました」  ぽろりと飛び出たのはそんな言葉。全てを話したくなってしまうほどの、強烈な光の夢。  だが、ディオさんの目が興味深そうに動いたのに気付き、夢の内容について話すのはやめた。くだらんと一蹴されてしまいそうだったし、何より、私の本当の願望に気付かれてしまいそうだったから。 「吸血鬼も、夢を見ることがあるのですね」  だから私は、こう誤魔化した。人間でなくなってしまった私が、人間のような夢を見ると、ほんの少しだけ安心するような気がしてしまう。 「……元は人間の身体だからな。そういったこともあるのだろう」  つまらなそうにディオさんは口を開く。そんな彼に、私は問いかけた。 「ディオさんは……何か、夢を見ましたか?」  意味のない問い。だが、返答次第では意味のある問いになったかもしれない。 「……さあな」  だが、主人はただ、それだけ答えた。  ディオさんにひとこと断って、シャワーを浴びる。なるべく早く身の回りの準備をして、後で片付けに取り掛からないと――そう考えている自分に気付き、シャワーの中で自嘲した。  ここでの生活には既に慣れた。だが、こうしている間にも、ディオさんとジョースターの血統の戦いは近付いているだろう。  だが。私の本当の目的、ディオさんもジョースターも失わない方法は、まだ見つけられていない。  決戦の前に、自分のスタンドの研究も、館の人間の情報収集もしなければ、とは思っていたが――進捗としては、あまり芳しくない。こんな調子で、私に一体何ができるというのか。  ……考えていても仕方がない。私は私にできることをする、それだけだ。 「……ディオさん、御髪を整えても良いですか?」  身支度を整えた後。私はディオさんにこう申し出る。 「――何故だ?」 「好きにしろ、と。そう言ってくれたからです」  私がディオさんに仕えるにあたって、彼は好きにしろ、とそう言っていた。だからこう申し出る。百年前と同じことをしたいと、そう思ったから。 「……好きにしろ」  案の定、ディオさんはそう答えた。  百年ぶりに、彼の髪に櫛を通す。ベッドに腰掛けるディオさんの髪を、撫でるように梳いていく。  彼が肉体を得て以降、使用人がわざわざ髪を梳く理由もなかったのだろう。今まで髪を梳くことを命じられることはなかったが、しかし、私の申し出が受け入れられたことには嬉しく思った。 「百年前と同じだな……と。メランコリィな気持ちにでもなったか? ナマエ」  ディオさんはこう鼻で笑ったが、私は目を伏せた。 「……私は、私のすべき仕事をするだけです」  そう言いつつ、確かに私は、百年前に想いを馳せていた。  こうして密に触れ合うことで、ディオさんから少しでも情報を得られるのではないかという打算。  そして、少しの私情。百年前と同じように過ごせるのが、やはり嬉しい。  それを見抜くように、肩の星がきらりと光った。 「ディオさんの首から下は、ジョジョさんの身体……」 「そうだ」 「なら、ジョジョさんの頭はどこに行ってしまったのですか?」 「――知りたいか?」 「うっ……。なんだか怖いからやっぱり知りたくないです」 「怖がる必要もないだろう。……わたしが気が付いた時には、ジョナサンの首はどこにもなかった。今頃、大西洋の底にでもいるだろう」 「そうですか……。せめて、エリナさんが持っていればいいと思ったのですが」 「ジョナサンの死の原因となったナマエ、おまえがそれを言うのか?」 「……確かに。どの口が、ってエリナさんに怒られてしまいますね。ジョジョさんにも」  髪を梳きながら、取り留めもない話をする。ディオさんは中々情報を出さない。それでも、こうする時間に意味があると思いたい。淡い想いを噛み殺しながら、そう思った。  ディオさんは奪う者。ジョースター家からもそれ以外からも、多くを奪っている。首と肉体の繋ぎ目と、彼の持つ肩の星は、それを象徴しているようにも見えた。  ジョースター家とディオさんが決着をつけるなら、どちらも得ることは不可能のようにも思える。  だけど……だけど。両方を失わずに済む方法があるのなら、私はそれを選びたい。それがたとえ、どんなに困難な道だったとしても。  私は、ジョースター家ではないけれど。  ディオさんでもないのだから。