29.永久に共に

 それから私は、しばらく孤独だった。  スピードワゴン財団の本拠地アメリカに連れられ、ディオさんとは別室に入れられていたのだ。  血液検査、その他の研究には素直に応じる。首だけになったディオさんがどうなっているのかは正直よく分からないが、誰か人が死んだという話は聞いていない。だからきっと、大丈夫だろう。  基本的に模範囚のように振る舞っていた私だったが、それでも、研究員たちには何度かこう主張した。  ディオさんと会いたい。  ディオさんと共にいたい、と。  そのためだけに私は生きているから。  彼を、ひとりにしないために。  ある日から、私たちは再び会うことを許された。スピードワゴン財団に従順にふるまう私がむしろ、ディオさんと研究員の間を取り持つことを期待されてのことだった。  柱の男というらしい上位存在の攻撃にも耐えられる、厳重な監視部屋。そこに私は、足を踏み入れる。部屋の真ん中には、吸血鬼の首が静かにあった。  身体を失い、スタンドを満足に出せなくなったディオさんの姿からは、かつての威光は失われている。だがそれでも、私が美しいと思うディオさんの姿は損なわれていない。  そして私は。ディオさんと、再会した。  それは、一九八九年二月二十七日。あの戦いから、一ヶ月と少しのこと。  ジョナサン・ジョースターを失ってから、ちょうど百年経った日のことだった。 「ナマエ」  ギロリと私のことを睨みつけるディオさん。その声には、怒りが滲んでいる。 「何をしに来た」 「会いに来ました」  その怒りに対して、静かに返答した。  私は、ディオさんが憎いからDIOという存在の首を切り落としたのではない。  ディオさんという、たった一人の主人が愛しいから。ジョースターたちの命も、ディオさんの命も、どちらも守りたかったから。  DIOの首を切り落とした。彼らの間にあったものを、断ち切った。  彼に私の気持ちが伝わっているかは、分からないけれど。 「…………」  ディオさんはしばらく黙っていた。だがやがて、口を開く。 「おまえは――何故このような行動をする?」  何故、首を切り落としたのか。その上で、何故こうやって会いに来るのか。  その答えは、もう出ている。 「ディオさん。あなたはこう言いました――好きにしろ、と」  そう。それだけが、今回の私たちの間にあった、唯一の契約条件だ。 「だから私は好きにしました。好きに、あなたの側にい続けました。そして、それはこれからも」 「このDIOの首を切り落としておいて、か? それは使用人が主人に歯向かうということ――おれは、契約破棄と見倣しているが?」  主人に刃を向けること。それは確かに、使用人のする行いではない。だけど。 「私は百年前、後悔したんです。たった一人の主人のためにかつての主人のことを切り捨てたら、両方失ったこと。その後、一人きりで、人生を終えることになったこと」 「…………」 「一番大事な人は、ディオさんですけど。私は、ジョジョさんの子孫たちも、失いたくなかった」  DIOという存在が空条ホリィに悪影響を与えている以上、どちらの命も失わない方法は、ないように思えた。  可能性があったのは、たったひとつだけ。  ディオさんとジョースターの繋がりを、断ち切るしかなかった。  そのために、私は主人に刃を向け――使用人としての生き方すら、捨ててしまった。  百年前にジョースター卿から与えてもらった、私の唯一の誇りを。 「そして、私は。人間だった頃、ジョースター家に仕えていた頃。ジョジョさんとディオさんが、ジョースター家を盛り立てていく姿を、見守っていたいと思っていたのです」  その願いが、真の意味で果たされる日が来ることは、もうないけれど。 「だから私は見守り続けます。ジョースター家の行く末を、そして、あなたのことを」  それでも。彼らのことを見守り続けることは、できるのだ。 「ディオさんのことを、愛する者として」  少なくとも、ジョースターの血統が続いていく限りは。  私たちの命が、続いていく限りは。 「ナマエ、おれはな」  重々しい沈黙の後、ディオさんは静かに口を開く。 「おまえのことが気に食わなかった。百年前から、ずっと」  百年前も聞いた言葉。だけどそれは、今となっては違う言葉のようにも聞こえた。 「おまえはいつだって、わたしの思い通りにはならなかった」  百年前のことを思い出す。当時の私は、あの館の使用人の中で唯一ディオさんのことを怖がっていた。そして、吸血鬼となったディオさんに、永遠を仕えることを断った。 「ジョースターの血筋を断ち切るための、天国に行くための駒のひとつとなり得る、忠実なる使用人。だがおまえを百年前から蘇らせた理由は、それだけではない」  そして、今。私はDIOという存在に必ずしも忠実とはならず、彼の首を切り落とした。 「違う男への忠誠心から使用人として生き続け、死んだ女。おれはそんなおまえから、使用人としての生き方を奪い、ただの女としようとした」  エジプトの館の一室で、私は抱かれた。それは、彼の性質からして、私が思い通りにならない存在であることが、我慢ならなかったということなのだろうか。 「今となっては……それは、無駄な行為だったがな」  だが、それ以上に。  それは、ただの執着心だったのかもしれない、なんて。私も、馬鹿なことを考えるようになったものだ。  ディオさん曰く。  私は、真の意味で思い通りになったことは一度もなかった女だった。  ジョースター卿への忠誠心から、今でも使用人として生きている女。  それをなかったことにするために。私から使用人という生き方を奪おうとした。  きっとそれが、彼の自尊心を保つ行為だったのだろう。 「おまえがわたしに歯向かい、取り返しの付かなくなったあとで、おまえがおれのことを見るようになったのは、皮肉な話だが」  私は今、使用人という立場すら断ち切っている。そうすることで、やっと私は口に出すことができた。  あなたのことを愛している、と。 「認めねばならない――わたしはいつも、おまえのことばかり考えていたと」  仏頂面のままディオさんは言う。それからそっと、目を伏せた。 「それは。私も同じです」  そして、私は微笑んだ。私と彼の間に、確かな繋がりが見えたような気がした。  今まで、私たちの間を繋いでいた紅茶。主人と使用人の関係の象徴のひとつだったもの。それを、ディオさんはもう飲むことはないし、私ももう淹れることはない。  それでも。そんなものがなくても、主人と使用人でなくなったとしても、私たちは――  もう二度と、ひとりになんてならない。 「好きにしろ、と。おれは確かにそう言ったな」  その後、ディオさんは口を静かに開く。 「……はい。覚えています」 「主人と使用人としての立場に縛られるな、と。そうも言ったな」 「はい。その通りです」 「おれはおまえとの主従契約期間に制限をかけなかった。それも確かだな」 「はい。それも確かです」  覚えている。百年後の世界における私たちの契約。  それが、今日。新たな形に生まれ変わる。 「ならば。今日よりおまえはこのディオの使用人ではない。契約期限は、今日までだ」  ああ、私が。  本当にずっと『待っていた』のは、この日のことだったのかもしれない。 「その上で、好きにしろ。おまえの好きなように」  その宣言は。  使用人と主人という垣根を超えて、私たち二人の関係性を結び直す、そんな言葉に思えた。 「……ディオさん」  私は彼の目をじっと見つめた。 「今は……待ちましょう、ディオさん。百年待ったんですから。いつの日か……ジョースターの一族が、平和に、自然に滅びた日。そのときには、あなたとまた、外に出たい」  ジョースターの一族は、いつまでも続いてほしい。  だけど、何事にも終わりは来る。  私たちの命以外は。太陽の光を浴びない限り。 「そのためには私は、千年待つことだってできます。あなたが滅びない限りは」 「当たり前だ。このディオが滅びる日など来ない――おれは、永遠を生きるのだ」  ……本当は、ディオさんと私の命も、永遠ではないかもしれないけど。  それでも私は、ディオさんの言葉を肯定した。 「そうです。全てが滅んでも、私たちは、共にいることができるのですから」  そう、世界が滅びるその日まで。  私たちは共にあろう。 「私は、ジョースターとディオさんが、自然に滅びる日を見るまでは。私は見守っています。それはきっと、世界が終わる、その日まで」  私はディオさんの首に手を伸ばす。  さらり、と。金の髪に触れる。  そして。何の後ろめたさもなく。私たちは口付けをした。  たとえ身体を失っても、私の淹れる紅茶を飲んでくれなくなったとしても。  唇を重ね合わせることだけは、変わらずにできるのだ。  百年前にどちらも失った日は、どちらも失わなかったことを実感した日となった。  ここにある愛が、誰かに許されないものだったとしても。  あくまで私は、幸せだった。