7.WHO IS MY MASTER?

 あの火事が起きてから、数日後。  ジョースター卿は炎に包まれ、人間ではなくなってしまったディオさんも焼き尽くされた。三人いた私の主人は、今や意識不明のまま入院中であるジョジョさんだけになってしまった。私の仲間であった使用人たちも、みんな死んでしまった。あの屋敷の人間で生き残ったのは、ジョジョさんと、私だけ。それと、ジョジョさんの友人となった、スピードワゴンさんだけだ。  否。私の雇い主であるジョースター卿がいなくなってしまった今、ジョジョさんを主人と呼んで良いのだろうか。彼が目覚めない限りは、それすらはっきりしない。  そう。今の私はこれからどうしたらいいのか、全く分からなかったのだ。  私の進むべき道は、まだ、どこにも見えない。  だからだろうか。退院した私は、かつてジョースター邸があったはずの、燃え尽きた跡地に立っている。もう日が暮れてしまっていて、焼け跡の様子はよく分からない。  この地に立つことで、ジョースター卿は死んだと、ディオさんは死んだのだと、そう実感したかったのかもしれない。そうすれば、私が今後ジョジョさんに仕えるか否かに関わらず、やっと前に進めるような気がしたから。  いなくなってしまった、私の恩人のジョースター卿。彼の意思を継いだ誇り高きジョナサン・ジョースターの意識が戻った後に、私はジョジョさんに再び仕える。ジョースター卿もディオさんも死んだ今、それが正当な、私の生きるべき道だと分かっているはずなのに。  ならばこの胸騒ぎはなんだろう。私の脳裏に去来する、この想いは。  この、恐怖は。  なんということだろう。あれだけの惨事が起きたというのに、私はディオさんの死を実感できていない。それは、この場に立っても尚そうだった。むしろその想いは、もっと強くなっているように思う。  彼が死んだという気が、どうしてもしないのだ。ディオさんが焼け落ちたという情報すら、他人事のように思えて実感がない。ジョースター邸は全て焼け落ちて、館と共に彼も燃え尽きた、そのはずなのに。  それだけじゃない。私は未だに、ディオさんへの恐怖に囚われている。一年前に彼に初めて出会った時以上に、あの惨劇を見た日以上に、強く強く。 「……それにしても、酷い有り様ね」  思わず呟いた。誰にも届かないと分かっていても。  私の過ごした一年間が、走馬灯のように頭に過ぎる。歴史あるジョースター家のこの館が、私の一年の思い出が、あの晩に完全に消えてしまった。それはやっぱり、私にとってつらいものだったから。 「あら?」  焼けた屋敷の周りをぼんやりと見て回っていると、誰か人の気配を感じた。  誰だろう。スピードワゴンさんが、屋敷の様子を見たくて来たのだろうか。それとも、泥棒? ここまで焼け尽くされてしまったのだから、金目のものがいい状態で残っているとは思えないのだが。  何気なくその気配に向かって目を向けようとした、その時だった。 「誰だ!?」  突如聞こえてきたその声に、思わず身体を硬直させてしまう。  だって、その声は。その、聞き間違えるはずもないその声は。  もういなくなってしまった、もう聞くこともないだろうと思っていた、彼に紅茶を淹れることももうないのだと思っていた、死んだはずのもうひとりの主人の声で―― 「……ディオ、さん?」  私が思わずその人の名を呼んでも、どこにも、誰の姿も見えなかった。  だけど、私は確信していた。今の声は確かにディオさんのものであったと。  ディオさんは生きている。  私が、ディオさんが死んでいないような気がしていたのは、紛れもない真実であった。気のせいなんかじゃなかった。事実、彼は確かに生きていた。  だからといって、私にどうしろと言うのだろう? 私は、ディオさんの死を確信したくてここに来たのに。そうすれば、これからの自分の道を、迷いなく進めると思ったのに。  しばし沈黙が訪れる。私は何もすることができず、呆然としながら立ち竦んでいた。 「その声……ナマエか? おいワンチェン、あの女をこのディオの元に連れてこい」  ディオさんの言葉がどこからか聞こえてくる。  ワンチェン? そういえば、あの東洋人がそんな名前だと聞いていたような気がしたが、生きていたのか。  なんて考えている場合ではなかった。私はそこで、ようやく我に返る。  早く逃げなければ。本能が警鐘を鳴らす。殺されてしまうかもしれない。だって今のディオさんは、何人も人を殺した化け物だ。あの時殺されなかった理由も、よく分からないままだけど。ディオさんが死んでいない理由すら。  だけど。あくまで使用人である私は、人間でない存在に本気で追いかけられたところで、逃げ切れるはずもなかったようだ。ワンチェンという男も、もう人間でなくなってしまったらしい。  当て身でもされたのだろうか。身体のどこかに衝撃が走ったが、どこを打たれたのかもよく分からないまま、私は意識を手放した。  意識を失う直前、やけに優しげに私の名を呼ぶ声が聞こえたような、そんな気がした。  そして、しばらく後に目を覚ます。あれから、どれくらい時間が経ったのかはよくわからない。  辺りは日光が入ってこない薄暗い場所で、周囲の様子はよく分からなかったが、どうやら古びた屋敷らしい。人の手が長らく入っていなかったのか、なんだか薄汚れている。  私、どうしてこんなところに? 上手く頭が働かない。そうやって辺りを見回していると、突如、ぼうっと蝋燭の火が灯った。 「……ナマエ」  そして。低い声のした方向に目を向けると、ディオさんの姿があった。  その姿は、あの館の火事でほとんどの皮膚が焼けただれ、誰なのか分からなくなりそうだったけど。その鋭い瞳と声は、確かにディオさんのものであった。 「……ディオ、さん」  死んだと思っていた、死んだと思えなかったディオさんが、確かに私の前で生きていた。  人間でなくなってしまった、怪物となってしまったディオさんが。  私の、主人が。  正直なところ、私は混乱していた。  もちろん、この状況そのものに対しても混乱していたが――使用人である私は一体誰に仕えるべきなのか、それだけが私にとって重要だった。  私の恩人であり、雇い主であるジョースター卿は死んでしまった。ディオさんのことも、死んだと思っていた。だからこそ残った主人であるジョジョさんに仕えるべきなのか考えたかったのであって、ディオさんが本当に生きていたとなると、私はどうしていいか分からなかったのだ。  ジョジョさんとディオさんが今となっては敵対しているということは、分かる。ジョースター卿の意思を受け継いでいるのはジョジョさんであってディオさんではないのだし、倫理的にも悪であるディオさんではなくジョジョさんに仕えるべきなのだろうということだって、分かる。  だが、ジョジョさんは、まだ目覚めていない。今の私は、ジョジョさんに仕えているとは言えないのだ。  ならば。私は、ディオさんに仕えるべきなのだろうか?  そもそもディオさんは、何故私を殺さなかったのだろう。どうして、私のことを連れてきたのだろう。  私はずっと、そんなことばかり考えていた。  しばらくの沈黙の後。ディオさんが、ゆっくりと口を開いた。 「ナマエ。……君の主人は、一体誰だ?」  その言葉に、私は少し考えた。以前にも同じことを聞かれたが、しかし、あの時とは状況が違いすぎていた。 「……分かりません」  なので、私は素直に答えた。他に何と答えていいのか、分からないのもあった。 「雇い主であるジョースター卿は死んでしまいました。意識不明の重体であるジョジョさんは目覚めていなくて、彼に仕えるべきか否か、彼が目覚めるまでは分かりません。そしてディオさん。あなたが私をどうしたいと思っているのか、それが私には分かりませんから」  私が思うところを言うと、また沈黙が落ちた。  顔の皮膚が焼けてしまっている彼の顔からは、表情が読み取りにくく、ディオさんの思惑は私には読み取れそうにもなかった。  ぼんやりとそんなディオさんを眺めていると、彼は、静かに言葉を発した。 「ならば――」  魅惑的な声色。私の芯を揺さぶるような、そんな口上。 「どうだいナマエ。生涯を、このディオに仕えないか?」  それはまるで、悪魔の囁きのようだった。