6.悪夢からの目覚め

 そこからの私の記憶は、それまで以上に曖昧だ。理解を超える出来事が多すぎて、あまりにショックを受けすぎて倒れてしまった私は、一時的に記憶障害になってしまったらしい。  だが、朦朧とした意識の中でも、思い出せることはある。死んだはずのディオさんが、頭を撃たれても平気で生きていたこと。彼が屋敷中の人間の血を吸い取り、化け物を作り出したこと。ジョジョさんとディオさんが戦っていたこと。ディオさんの唇の中から覗く、二本の牙。  そして、燃え盛る屋敷。  悪夢のような光景を見ながら、私はただ、こう思っていた。  私が今まで感じてきた、ディオさんへの漠然とした恐怖は本物だった。私が本当に怖かったのは、この日が訪れることなのだろうと。  それに今更気が付いたところで、だからなんだと、そう思う。  私は人が死んでいくのを呆然と見るだけだ。ただ、それだけだった。  気がつけば、私はいつの間にか病院に運び込まれていた。それまで自分がどう行動していたかは、全く思い出せなかったが――私はあの惨劇から生き延びたと、それだけは分かっていた。全て終わってしまったのだと、漠然と理解しながら。  頭痛がする。断片的に思い出した記憶の中、私は何故生きているのだろうと、疑問に思った。どうして、あの惨劇から逃げ延びれたのだろうと。  だけど。それ以上の問題が、私には残されていた。  怪我の手当てだけして、早々に私の様子を見に来てくれたスピードワゴンさんに、私は話を聞いた。  曰く――あの屋敷にいた人間の中で生き延びた者は、たった三人。ディオさんと戦って満身創痍のジョジョさん、腕を怪我したスピードワゴンさん。そして、私だけ。  みんな、死んでしまったのだ。執事長も、使用人仲間たちも、警察の人たちも、みんな……。ディオさんの手によって、殺されてしまった。そして屋敷は、焼け落ちてしまった。  屋敷の主、私の主人、恩人であるジョースター卿も、ディオさんに刺されて絶命した後、炎に焼かれてしまった。  ディオさん、怪物と化したディオさんも、詳細は不明だが焼け落ちてしまったらしい。  ほとんどの人間が死んで、生きのびたとしても大きな怪我を負ったというのに。  私は無傷だった。  二人の主人を失っていながら、何故使用人である私が生き延びてしまったのだろうと、ただそう思った。 「ナマエの嬢ちゃん……と言ったか。譲ちゃんよぉ、ディオの野郎となんかあったのか? あいつ、他の人間はゴミみてーに扱った癖に、嬢ちゃんのことだけは傷付けないように振舞っていたように見えたぜ」  その言葉を聞いて、目を見開く。  本当にそうなのだろうか。ディオさんが私のことだけを傷付けないように振る舞うなんて、そんなことをするだろうか。  ありえない。そう思う気持ちも大きい。あの恐ろしい人が、私のことだけ特別扱いするなんて。  しかし、事実私はここにいる。無傷のまま、ここにいる。私のすぐ近くで警察官は死んだのに、私は生きている。  呆然として、あまりのショックに倒れた私なんて、いくらでも好きにできただろう。殺して血を吸うにしろ、化け物にするにしろ。だけど彼は、私のことは殺さなかった。理由はどうあれ、それは事実であった。 「ディオさんには……」  スピードワゴンさんの問いに答えようと、私はディオさんとの一年間を思い出す。主人と使用人としての、一年間を。  私は、ディオさんに恐怖を感じながらも、彼に仕えていた。そして。 「私の淹れた紅茶を、よく褒めていただきました。ですが、それ以外のことは何も……」  ――それだけだった。私とディオさんの間に、それ以外の特別なものなんて何もなかった。それが些細な思い出として、残っている程度だ。  スピードワゴンさんは腑に落ちないような顔をしていたが、私が聞きたいくらいだった。ディオさん、あなたは何故、私を殺さなかったのですかと。その答えを聞きたくても、ディオさんはもう、焼け落ちてしまったらしいけど。  ディオさんは何故、私のことは殺さなかったのだろう。彼は一体、何を考えていたのだろうか。  そうやって俯く私に、スピードワゴンさんは何か言いたげだった。だが彼は、結局何も言わなかった。 「そうだ、スピードワゴンさん。ジョジョさんの様子は、如何でしょう?」  ふと顔を上げる。もうひとりの生き残り、唯一生き延びた主人のことは、やっぱり心配だ。  ジョジョさんが生き延びていてくれていたことは、嬉しい。だが、満身創痍であると聞いて不安でもある。 「あ、ああ。ジョースターさんはまだ意識を取り戻してねえ。悔しいけどよ……まだ面会謝絶だってんで会わせてもくれねえ。あの人は今、全くの孤独だってのによ……」 「孤独……。ジョジョさん、早く意識が戻るといいのですけど」  ジョジョさんは、父も、兄弟のように育った人も失った。あの屋敷にいた者の中で生き延びた人は、私たちくらいだ。  そして。私も、孤独感を感じ始めていた。屋敷にいた人は、ほとんど死んでしまった。雇い主が死んでしまった。使用人仲間たちも死んでしまった。仕えるべき三人の主人のうち、二人が死んでしまった。生き残ったのは、ジョジョさんひとりだけ……。 「私は……これから、どうしたらいいのでしょう」  今の自分の状況を思い返し、私は思わずぽつりと呟く。  そんな私に、そうだな、とスピードワゴンさんは少し考えるような素振りを見せた。 「ナマエの嬢ちゃんの人生は、嬢ちゃんのものだ。おれが決めるもんじゃあない。だが――ジョースター卿の意思は、ジョースターさんに受け継がれている。なら、ジョースターさんが目が覚めたら彼と話し合って、どうするか決めたらいいんじゃあねーか?」  ジョースター卿は死んでしまった。私がこの人のために働きたいと思った、雇い主は。  ならば。彼の息子たちの中でも、唯一生き延びたジョジョさんと、兎にも角にも相談してみるしかないのだろう。それは確かに、スピードワゴンさんの言う通りだ。ジョースター卿が死んでしまったとしても、ジョジョさんに仕え続けるという道も、きっとあるのだろう。  ジョジョさんは、生きている。それは確かなのだから。 「そう、ですね。ありがとうございます、スピードワゴンさん」  少し、これからの道に希望が見えてきたような気がした。否、まだ希望が潰えたわけではないのだと、彼の言葉によってそう思い出せたと表した方が正しい。  なので私は、感謝の気持ちを込めお礼の言葉を述べる。  スピードワゴンさんは「無理するなよ、ジョースターさんが目覚めた時にでもまた来るからな」なんて言って、颯爽と去っていった。  来客がいなくなって、私は、静かになった病室でひとり考え込む。  嵐のような一日だった。いろいろなことが起こりすぎて、現実感がどこにもなくて、正直なところ何もかもに実感が持てていない。  だけど。今の私にも、頭で理解できたことはある。  少なくとも、あの日々は戻ってこない。ジョースター家に仕え続けていたこの一年は。優しいジョースター卿も、怖かったディオさんも、もういない。私がディオさんに紅茶を淹れることも、もうない――  そう思うと、何故か涙が一筋零れた。