3.三人目の主人

 次の日。ジョジョさんは、まだ帰らない。  しかもジョジョさんはジョースター卿に、彼が頼んだ信頼できる医師たち以外から手当てを受けるな、と言い残したのだという。  一体、何が起きているというのだろう。  ジョジョさんは大丈夫なのだろうか。ジョースター卿の病気はどうなるのだろう。そして、ディオさんは――  そう思いながら、掃除へと向かう。私にできることは、それしかないから。  ジョースター邸はとても広いから、いくら掃除をしても足りない気がする。そんなことを考えながら、今日の私の担当場所に向かおうとしたのだが。 「――ディオさん!? どうされたのですか!?」  私は思わず、全てを忘れて駆け寄った。  その先には――ふらりと壁に寄りかかる、ディオさんの姿があった。 「ああ、ナマエか……」  ディオさんはちらりとこちらを見下ろす。……顔色が良くない。 「どうしたんですディオさん、具合でも悪いのですか」  まさか、ディオさんまでもが病気にでもなってしまったのだろうか?  心配して顔を見上げる私を他所に、ディオさんは、ぶっきらぼうにこう言い放った。 「ちょうど良かった。着いてこいよ」 「え? ど、どこに」 「街だ。このディオが連れて行ってやる、悪くないだろう?」  急にそんなことを言われ、思わず唖然としてしまう。突然何を言い出すのだろう、私の主人は。 「えっと……急ですし、掃除がありますし……」  しどろもどろになりながらも、なんとかそれを言う。  今まで仕事中に、急に街に出ようなんて言われることは一度もなかった。ディオさんは一体、何がしたいのだろうか。 「ナマエ。――『君の主人は、誰だ』?」  口ごもる私に、ディオさんが存外強い口調でそんなことを言うものだから、思わず面食らってしまった。 「えっ……? ジョースター卿に、ジョジョさんに、ディオさんです」  それは変わらない事実だ。雇い主であり恩人であるジョースター卿と、その息子たち。それが、私にとっての三人の主人。 「……おとうさんは、君が外に出ることを禁じたかい? ジョジョが、君に何か命を下したかい?」 「いえ、そんなことは……」  無い。だが、それはあくまで買い出しの日や休暇の日のことであって、勤務中に外に遊びに行っていい、ということにはならないはずだが。 「なら、このぼくの命令に君が従えないということは、ないと思うが?」  無茶だ。最近、彼にはこんなことばかり言われる気がする。  ディオさんは一体、どうしてしまったのだろう。それともこれが私の感じていた漠然とした恐怖の「答え」とでも言うつもりだろうか。  結局私は、自分だけでは判断できず、こうすることにした。 「……執事長に確認してきます。何も言わずに出ていくのも、申し訳ないので」 「そうか。なるべく早く済ませてくれよ」  ディオさんは冷たく言い放った。その言い方に、背筋が凍るような思いをする。  彼は、こんな話し方をする人だっただろうか。こんな風に、何かを強引に決めてしまう人だっただろうか。  それとも。これが、本来のディオさんなのだろうか。そう思いながらも、私は逃げるようにその場を離れた。  ディオさんが、何か強い感情を秘めながら私の後ろ姿を見ていたような、そんな気がした。 「ナマエ、君は酒を飲んだことがあるかい?」  そして。私はディオさんと共に、ジョースター邸近くの港町にある店に入っていた。  執事長に確認したところ、ディオさんと一緒なら構わない、と言われてしまった。ディオさんは使用人たちの間でも信用されていて、彼になんとなく恐怖を覚えているのは、きっと私くらいなのだろう。  だが、それにしても、この街はやや治安が悪い。ジョジョさんの向かった食屍鬼街ほどではないとはいえ。不安が私の体に募る。 「お酒、ですか? ありませんが……」  飲む機会なんてなかったから、彼の質問には素直に答える。飲もうと思ったことも、特になかった。 「酷い気分なんだ。飲まずにはやってられない、と思うほどにね。なあ、付き合ってくれないか?」  ディオさんは本当にどうしてしまったのだろう。お酒をこんなに積極的に飲む人だっただろうか。  彼が勝手にお酒を頼んだので、私も一緒に飲むことにした。それでも、付き合い程度に少しだけ飲んで、後は水だけにしようと思っていたが。 「ディオさん、そんなに飲まない方が……」  それから。私が心配になるほど飲むディオさんを見ながら、彼を介抱する。私自身も一杯だけ飲んだためか、あまり気分がいいとは言えないが。  ディオさんは調子が悪そうに見えたが、しかし、その瞳はいつも以上に鋭かった。 「――ナマエ。君は、おれが怖いか?」  そして。突然、冷たい声で言い放たれたその言葉に、思わず固まってしまう。  一体、彼は何を言っているのだろう。 「……フン、その瞳。気に入らないが――だが、おまえの恐怖は正しい。おまえの本能が、このディオを恐るべきだと認識したというべきか」 「……? ディオさん?」 「おれはナマエ、君に危害を加えた覚えはない。君に対しても、他の使用人、マヌケ共と同じように、優等生の仮面を被って対応していたはずなんだ。なのにおまえは、何故、そんな瞳でこのディオのことを見る?」  どうしてだろう。自分でも分からない。怖いものは怖いのだ。 理由もないまま。 「気に入らない。嗚呼、気に入らない。ジョジョのやつも、ジョースター卿のことも、ナマエ、君のことも」  おとうさんと呼ばないな、とぼんやり思う。彼はいつも、ジョースター卿のことをおとうさんと呼んでいるはずなのに。 「このディオの人生は、狂い始めているんだ」  そう言ってディオさんはブランデーを一気に飲み干して、そしてそのまま眠ってしまった。  これが彼の本性か。彼は一体何を企んでいるのか。私は、隣で眠るディオさんの顔をそっと覗き見る。  欠点などひとつもないような美しい顔に滲む、悪意のようなものを感じ取りながら。  それでも私は、主人のひとりに仕えることしかできない。私にとって怖い人であっても、彼は、私の主人のひとりなのだ。  たとえ、何かとんでもないことが、私の知らないところで起きていたとしても。