19.SEE YOU AGAIN.

「ディオさん、新聞を持ってきました……と、お食事中でしたか。失礼しました」 「いや、構わん。もう必要な分のエネルギーは摂ったところだ。おいワンチェン、その死体は全部喰っていいぞ」  夜になってディオさんの部屋を訪ねたら、ワンチェンが連れてきた女性を殺してディオさんが首から伸びる血管針で吸血していたところだった。女性の死体には、ワンチェンが食らいついている。こんな光景は時々見ることになるが、あまり気持ちのいいものではない。 「ナマエ、場所を移す。この部屋は、おまえにとっては血の匂いが酷だろう」  死体を骨まで食べてくれたところで、後で残った血の片付けするのは私だ。館の掃除をするのは私の仕事なので、そこは割り切っているが。  そんなことは口には出さず、私はディオさんの首をそっと腕に抱えて部屋を移ることにした。ふわりと、彼の髪が手に触れた。  ワンチェンが死体を食らう音だけが、部屋に残されていた。 「新聞か。何か気になることでもあったか?」 「……はい。ここを」  意を決して、私はディオさんに持ってきた新聞記事を見せた。 『ジョースター家のジョナサン・ジョースターとペンドルトン家の一人娘エリナ、結婚。新婚旅行はアメリカへ』  その新聞記事を、ディオさんは黙って読んでいる。その横顔を見ながら、私は深呼吸した。  見せないという選択肢もあったのかもしれない。私が新聞を持ってこなければ、ディオさんはそれを読むこともなかっただろう。ジョジョさんの行く末を知ることは、なかっただろう。  それでも。私の主人は、ディオさんだ。  ディオさんの幸せが、私の幸せ。  それならば――ディオさんの目的を果たすために、私は手助けする。その覚悟は、もう決めていた。  たとえ、誰かの幸せを壊すことになっても。  かつての主人の、幸せを壊すことになっても。  私はもう、既に裏切り者なのだから。  フム……と言いながら、ディオさんは少しの間、何か思案しているようだった。それを私は、黙って見守る。  船の中。逃げ場はない。ジョジョさん以外の波紋使いも、その船には乗っていないだろう。ディオさんが彼の肉体を手に入れるには、絶好のチャンスだ。このような好機を待つために、ディオさんは数ヶ月も待ったのだ。 「明日の夜にでも、おれはワンチェンを連れて出発しよう。あの男の肉体を手に入れるために。それから、一旦はニューヨークに行って、そこをしばらく拠点にすることも考えたい……館に戻ってくるのは、しばらく経った後になるかもしれないな」  ディオさんは口を開く。……思った通りだ。やっぱりディオさんは、この機会に、ジョジョさんの肉体を奪うことになる。 「それでも……待っていてくれるな? ナマエ」  ディオさんは首ごと振り返り、そして妖しく微笑む。そんな彼の言葉を聞きながら、私は恭しく礼をした。 「……はい。ディオさんが新たな肉体を得て、私の元に戻ってきてくれることを、願っています。たとえ、どれだけ時間がかかろうと――」  このイギリスから、ニューヨークへ。そして、船の中でディオさんはジョジョさんの肉体を奪い、ニューヨークに到着する。それからしばらくニューヨークを拠点として、アメリカから世界を手中とするための計画を実行しようとするのだろう。  それなら。私は、しばらく彼のことを待つことになるのだろう。そして私は、この館をひとりで守ることになる。  それでもいい。だって―― 「……なるべく早く帰ってくるつもりだ、そんなに心配するな」  ディオさんは、私の元に戻ってきてくれると、そう約束してくれているから。だから私たちは、ひとりではない。  彼のことが怖くても、彼のことが分からなくても。約束は果たしてくれるだろうと、そう信じているから。 「そんなに、心配しているように見えますか?」  ジョジョさんの人生が絶たれてしまうこと。それでも、ディオさんに彼の目的を果たしてほしいという思い。他にもたくさん、思うところはある。  それを顔に出してしまっただろうか。密かにそう思っていると、ディオさんはそっと口を開いた。 「……ナマエは昔から、余計な心配をしていただろう。必要ないと言っているのに、おれの怪我の手当をしようとしたり、なんてな」 「それは、誰だって心配しますよ」  ディオさんはいつだって、私に触れさせてくれることはなかった。心配すら、させてくれなかった。  私はあくまで率直な気持ちを告げたのだが、ディオさんは少し、クク、と可笑しそうに笑うだけだった。 「心配いらないと、そう言っただろう。おれを誰だと思っている? ナマエ」  形の整った笑みに、私はこう返した。そうするしかなかった。 「ディオさん。私の主人の、ディオさんです」  それから、次の日の夜。  色々なことがあったな、と改めて思う。  ジョースター邸に来たばかりの頃、大学生だった、私の主人のひとりであったディオさんが怖かったこと。  人間をやめてしまった時のディオさんが、ジョースター邸のことを燃やし尽くしたこと。  そんな彼が、私のことを殺さず、怪我ひとつさせず、この館に連れてきたこと。ディオさんに、生涯仕えることを誓ったこと。  首だけになったディオさんの美しい髪に、何度も何度も触れたこと。  そして、私と彼の間にあった、一杯の紅茶。 「じゃあな、ナマエ」  出発の日。その微笑みがかつてないほど優しそうに見えたのは、私の錯覚なのだろうか。ガラスケースの中に入れられた首だけのディオさんと、そのケースを持って旅立ったワンチェンを見送りながら、私はぼんやり思う。  分からない。分からないけれど、私はそれでも、この館で待ち続ける。  彼が戻ってくる日を待ちながら。  ディオさんが、また私の淹れる紅茶を飲んでくれることを待ちながら。  彼らがいなくなって一日目。昼間に館の掃除、夜に紅茶を淹れて独りで飲む。ディオさんたちは昼間に眠っていたから、私の生活はそんなに変わらないのではないか、とは思っていたが――やはり、彼らと会話する機会がないと喪失感のようなものがある。ディオさんの髪の感触が、手の中に名残惜しく残っていた。  彼らがいなくなって二日目。買い出しに出かける。時間の制限がなくなったとして、私のやることはあまり変わらない。ただ、待つ時間を消費するために、本を何冊か購入した。この本を、ディオさんは読んだことがあっただろうか。彼が帰ってきたら聞いてみたい。  彼らがいなくなって三日目。死体がないと掃除も楽だな、なんて思う。でもやはり、一人だとつまらない。主人あっての使用人なのだから、やっぱり早く帰ってきてほしいな、なんて思う。  彼らがいなくなって一週間と少し。ディオさんの、ワンチェンの、ジョジョさんの、エリナさんが乗った船が、爆発して沈没したとの情報が新聞に載る。  生還者は――エリナ・ジョースターと、彼女が抱えていた、身元不明の赤ん坊だけとのこと。  ディオさんは、私の元に帰ってこなかった。  詳しいことは何も分からないが――船の爆発と共に、エリナさんと彼女の抱えた赤ん坊以外のもの、全ての命は、全て消えてしまったと、新聞には書かれていた。  ディオさんは死んでしまった。  ディオさんは消えてしまった。  帰ってくると言っていた、待っていろと言っていたディオさんは、私の元に帰ってくる前に、どこかに行ってしまった。  そんな、そんなのって、  ――絶対に、何かが間違っているに決まっている!  だってディオさんは、私の元に帰ってきてくれると、そう約束してくれた。どれだけ時間がかかろうと、必ず。  一体あの船で、何が起こったのか? 分からない。新聞記事には、詳しい経過は書いていない。  ああ、それとも、ディオさんは本当は死んでいないのではないだろうか? 彼のことだ、爆発くらいのことなら想定しているのかもしれない。何か、シェルターのようなものに逃れることができたのかもしれない――  そこまで考えて、ふと思った。  私は、ディオさんの死を、きっと一生認められないのだろう、と。  ジョースター邸で警察に銃で撃たれた時。死んだと思われた彼は死んでいなかった。  ジョースター邸が全焼した時。燃やし尽くされたと思われた彼は死んでいなかった。  ジョジョさんと戦い、波紋エネルギーを与えられた時。死んだと思われたディオさんは、首だけになってまで、生き延びていた。  ならば。船の爆発に巻き込まれたディオさんも、本当は、生き延びているのではないか?  ……ディオさんが生き延びているにしろ、死んでしまったにしても。私はきっと、ディオさんの生存を望みながら生き続けることになるのだろう。だって仮に、ディオさんが死んでしまったにしても、私はそれを知ることはできないのだから。  ディオさんが、私の前に現れてくれるまで。 「それなら。私のやることは変わりませんね、ディオさん」  虚空に向かって、ぽつりと呟く。  時間がかかるかもしれないが、待っていろと。ディオさんはそう言っていた。  ならば、待ち続けるまでだ。ディオさんが戻ってきてくれるまで。館の掃除をして、紅茶の腕を落とさない。それだけだ。  ……たとえ、本当にディオさんが死んでしまったとしても。それでも私は、待ち続ける。  私はこの生涯を、ディオさんに仕え続けることを誓ったのだから。