それから、私の仕事が少しだけ増えた。 といっても、ほんの少しだけだ。 以前と変わらず、館の掃除をすること。戦いの後の館の汚れを落とすことは大変だったが、日々を積み重ねていくごとに少しずつ綺麗になっていった。あと一週間もあれば、大体片付けられるのではないだろうか。 そして、自分が食べる分だけの食事の買い出しに出ること。この館に現在いるのは、私と、ディオさんと、ワンチェンだけ。私の食事は自分で用意。彼らの食事は、ワンチェンが遠くの町から仕入れているらしい。ただでさえ人口が減っているこのウインドナイツ・ロットで、これ以上事件を起こすのも目立ってしまうから、少し遠くの別の町から人間を連れてきているということらしい。人間を食糧とする存在がディオさんとワンチェンだけであり、ディオさんが首だけの姿であることもあって、連れてこられる人間は以前よりも格段に少ない。 それから、増えた私の仕事はこれだけ。 ディオさんの髪に櫛を入れて、髪を梳くこと。 彼との雇用条件であるひとつの紅茶を淹れても、首から下のない今のディオさんは飲めないから、自分で飲むしかない。改めてゆっくり味わうと、私の紅茶の味はこんな香りだったかと、不思議に思った。 悪くはないと思うが、とりたてて美味とは思わない。 だが、この味は唯一なのだと。彼がそう言うのなら、そうなのだろうと思った。 そう思いたかった。 「ンン~」 いつもの通り、私は彼の髪に櫛を入れる。機嫌が良さそうだ。髪を梳かれるというのは、どうやら心地好いらしい。決して力は込めずに、さらりと櫛を通す。心地良さそうに目を閉じるディオさんの表情を見ていると、少しだけ猫みたいだな、なんて決して口に出せないようなことを思ってしまう。 「ナマエよ。おれは本来なら、こんな情けない姿は人前では見せたくないのだよ」 櫛を入れられながら、ディオさんは口を開いた。私はそれを、黙って聞く。 「おれがこの情けない姿を見せるべき相手は、本当に最低限で然るべきだ。あの戦いを逃げ延びた唯一の屍生人であるワンチェン、おれのことを打ち倒し、このディオの肉体となるべきジョジョ。……そして、君だ。ナマエ」 確かにディオさんは、首だけの姿になってから、屍生人を増やそうともしない。最低限の食糧である人間は殺し、屍生人にもせず、ただ消費している。食事もとい吸血は、首の断面から出る血管針で行っているらしい。 だから現在、ディオさんのこの姿を知っているのは、確かにワンチェンとこの私だけではあるのだが―― 「その理由が分かるか? ナマエ。おれがおまえにも、この姿を見せる理由は」 突然そう聞かれ、思わず面食らう。 理由なんて考えたこともなかった。否、分からなかった。私には、私が殺されなかった理由すら分からなかったから。 しかし、私の口からは、ぽろっとこんな言葉が出てきていた。 「えっと……私が使用人だから、ですか?」 それは、咄嗟に出てきた言葉にしては、的を射る言葉ではないかと思った。 使用人にとって、主人は絶対的な存在だ。だがその代わり、主人の弱みが見えやすい位置にいる。その弱みを口外しない、それが使用人の誇りのひとつでもある。ならば、ディオさんはこうして、使用人である私に弱みを見せてくれているのではないかと。つまり、使用人としての私を、信用してくれているのではないかと。 そういう意味では、今のこの関係の方がよっぽど使用人らしく過ごせているなと、そう思った。 ジョースター邸にいた頃のディオさんは、怪我をしても体調が悪そうでも、私に手当なんてさせてくれなかった。街に連れ出されて共に飲みに出かけたことはあったけれど、それでもだ。 私は今の方が、使用人らしく過ごせているのではないかと、そう思う。 そんなことを考えながら、私はディオさんの表情を窺ったが――ディオさんは、あまり面白くなさそうだった。 「……フン。ただの使用人風情相手に、おれのこの情けない姿をわざわざ見せようなんてしないさ。君がただの使用人なら、掃除はともかく、おまえの淹れる紅茶に拘る必要も、髪に櫛を入れさせる理由も、無い」 「え? ……でも、首しかないのなら、自分では髪を梳けないんじゃないですか? だから、私にやらせているのでは」 ディオさんは一体、何を言っているのだろう。腑に落ちなくて首を傾げると、ディオさんは鋭い口調でこう言った。 「ナマエ。……おまえは、自分の仕事を『やらされている』と、そう思っているのか?」 その言葉に、一瞬硬直する。だが、なんとか返事を絞り出した。 「……いえ。あなたの望むことは、私の望むことです」 そう。主人の望むことは、使用人である私の望むこと。 それでも、考えることはできる。彼は私に、本当は何を望んでいるのだろうと。彼は私に、何を伝えようとしているのだろう。ディオさんは私のことを、一体どう思っているのだろうか。 それは、今は答えが出そうにはなかったけれど。 「ひとつ言っておく。おれは、やろうと思えば大抵の事はできる。たとえ、今のこの姿でもな。もちろん、自分で髪を梳くことくらい、朝飯前ってところよ」 ならば、私にこの仕事を命じているのは何故なのだろう。 それが分かる日が、いつか来るのだろうか。それは、今の私には分からなかった。