本を読んでいると、いつの間にか眠ってしまっていたようだ。夢うつつに、私は誰かのことを想っていた。 「ナマエ、ナマエ」 誰かが、眠っている私のことを起こす声が聞こえてくる。聞き慣れた声。だけど、なんだか懐かしいような気がしてくる。優しい声だ。 ――この声は、ディオさんの声……では、無い!? 「……ジョジョさん!?」 私は飛び起きた。そこにいたのは確かに、久方ぶりに再会したジョジョさんの姿だった。 状況が上手く飲み込めないまま、かつての主人が目をぱちくりしながら私の顔を覗き込んでいるのを、私は呆然としながら見ていた。 「ナマエ、こんなところにいたんだね。生きていてくれて嬉しいよ。行方不明になったと聞いて、心配していたんだ」 心底安心したような声色を聞きながら、私は目を瞬かせる。そして、どうにか脳内を整理しようと試みた。 私はジョジョさんが目覚める前に、ディオさんに連れ去られてしまった。ならば、ジョジョさん側からすれば、確かに私は行方不明扱いとなるだろう。 「それは……ご心配を、おかけしました」 今は、朝だ。早朝だ。本来なら、ディオさんが眠っている時間。 ……それでも今、ジョジョさんが、私の目の前にいる。ディオさんと暮らしていたこの館に。 その事実から読み取れる現実から、私は、目を逸らしていた。 「ジョジョさんこそ。目が、覚めていらしたのですね」 生きていたんですね、と言いかけて飲み込んだ。ディオさんに仕える騎士か、ディオさん自身に殺されていたかもしれないと、そう思っていた。何故か、彼が死んだ気がしていなかったのも、本当だったけれど。 「ああ、君にも心配かけたね。ぼくは大丈夫さ。退院して、あの火事のときの怪我は全く残ってないよ」 「それは、良かったです……」 ぼんやりと答える。死んでほしくないという気持ちがあった、かつての主人が私の前にいるというのに、上の空だ。 段々と、現実が迫っていた。それでも私は、認めたくなかった。 「あれ? ナマエ、怪我してるよ」 「怪我……いえ、大したものではありませんから」 本当に大したことはないのだ。昨日、本を読んでいるときに、紙で指を少し切った程度なのだから。だが、ジョジョさんは私の言葉を聞かず、私の指に手を触れた。 そして。軽い電流のようなものが私の身体を駆け巡ったかと思えば、私の指の傷が治っていた。身体が温まるような感覚があって、なんだか不思議だ。 「これは……」 ディオさんが言っていた、ジョジョさんが新たに得た力だろうか。ジョジョさんが得た力は、屍生人や吸血鬼を倒すことのできる力らしいと、そう聞いていたが。 「……うん、信じられないけれど。ディオは本当に、ナマエのことは屍生人にしなかったみたいだね。君に波紋を流してみても、君は消えない」 ジョジョさんは、私の傷を心配した気持ちももちろんあるのだろうが、それ以上にこの波紋という力を流しても、私が死なないかを気にしていたのだろうか。確かに、ディオさんの配下となった人間は、屍生人になっていることを疑うべきなのだろうが―― 「――ディオさん」 と。そこでふと、私は立ち上がった。 ディオさんは、ジョジョさんのこの波紋によって、倒されてしまったのか? 私の主人は、今の私の唯一の主人は。本当に、もうどこにもいなくなってしまったのか? 「ナマエ、どこに行くんだい!?」 慌てたようなジョジョさんの声は、私の耳には入らない。ただ、私は勢い良く立ち上がって、そして屋敷を駆け回った。 私の主人はどこに行ってしまったのだろう。そう考えながら。 飲みかけの紅茶が入ったティーカップ。破壊された館。この館の主人の、不在。 どこを見ても、ディオさんはどこにもいなかった。 ディオさんはここにいない。その事実に、私は少しずつ、現実に目を向け始める。 ――明日には、全てが終わっているはずさ。 ディオさんの言葉を思い出す。ディオさんはあの二騎士がジョジョさんを始末するのではないかと言ってこの館に戻ってきたが、しかし。ジョジョさんは二騎士を倒してこの館にやってきて、ディオさんと戦って、そして―― 嗚呼。本当に、全てが終わってしまったようだ。 死んだのはジョジョさんではなく、ディオさんのようだったけれど。 それでも。私は、ディオさんが死んだとは、どこか心の底で信じられなかったらしい。 ジョジョさんの波紋によって、ディオさんは倒された。それは、変えられない事実なはずなのに。 「ナマエ、大丈夫かい?」 ジョジョさんが、私のことを心配そうな顔をして追いかけてきた。 そんな彼に、私は言う。独り言のように。 「……ジョジョさん。私はディオさんに、身の安全を保証してもらいました。一生分、慎ましく生きていけるだけのお給料。そのために、この館を掃除し続けることと、彼のために紅茶を淹れ続けることを。一生彼に仕えることを、誓ったんです」 「えっ? それは、どういう……?」 困惑しているジョジョさんに、私は少々申し訳なくなりながら、それでもきっぱりと告げた。 「私は、使用人なんです」 ふう、と息を吐く。そして、混乱する脳を押さえ込むように、はっきり宣言した。 「館の片付けは、私に任せてください。私は、ここの館の使用人です。たとえ、主人が不在になってしまったとしても。……あなたに仕えることができなくて申し訳ありません、ジョジョさん」 ディオさんの不在。私はそれを認められていないだけなのかもしれないが、それでも。 私は、ディオさんに生涯を仕えることを誓った。 ならば、たとえディオさんがいなくなったとしても、私の主人がディオさんであることは変わらない。 あの誓いは、ディオさんがいなくなったところで、破棄されることを約束するものではないのだから。 「そうか。うん、君がそうすると言うのなら、ぼくは止めないよ。……ちょっと、寂しいけどね」 「引き止めないん、ですね?」 彼の顔を見上げる。彼はディオさんよりも、少し背が高い。 ジョジョさんは表情を引き締め、私のような元使用人にも、真摯に向き合ってくれた。 「それが、君の選択なら。この館に、君が住みたいと言うのなら、ぼくはそれを止められないよ。でも、もしナマエが、別の道を歩みたいのなら言ってほしい。ぼくは、いつでも君の支援をするよ」 かつての主人は、やっぱり優しい人で、本物の紳士なのだろうと、そう思った。 「だけどナマエ、石仮面がどこにあるかは教えてくれないかい? ぼくらは、あれを破壊しなくてはならない。そのために、手分けして探しているんだけど……」 その言葉に、どうしようか少々迷った。ディオさんが石仮面を飾っていた場所は知っているが、しかし、主人のいない間に勝手に壊すことに協力していいものかと。 「お――――い、ジョースターさああんッ!! 見つけましたぜッ! あの忌々しい石仮面をよォッ!」 ……迷っている間に、どうやらジョジョさんと一緒にこの館に来ていたらしいスピードワゴンさんが、あの石仮面を見つけてきたらしい。 ならば、破壊することを黙認しようと決めた。きっと、あの石仮面を残す意味は、きっとない。 ――ナマエ。君は永遠を望みたいと、そうは思わないか? だって私は、主人からのこの問いにNOと答えた。 ディオさんはきっと、石仮面で吸血鬼が増えることは望んでいなかっただろう。 石仮面を被った本物の吸血鬼は、ディオさんだけだったのだから。 そして私は、スピードワゴンさんと再会して言葉を交わし、他の波紋戦士たちとも顔を合わせ、そして石仮面が破壊された瞬間にも立ち会った。 私がこの館に住み続けると言うと、彼らは驚きつつも、本気で止める人はいなかった。同情されているのかもしれない。彼らは時々様子を見に来てくれると、そう言っていた言葉も、あまり耳に入らなかった。 そして私は、帰る彼らを見送ることになる。私以外誰もいなくなってしまった館に居ながら、それでも、私は使用人としての役目を果たそうとした。 「……さて。館の掃除をしましょうか」 私は、使用人であり続ける。誰もいない館を、私は守り続ける。館を掃除して、そして飲む者のいない紅茶を淹れ続ける。 私の主人が、この世にいなくなってしまったとしても。私はこの生涯全てを彼に仕えることを、誓ってしまったのだから。 それとも。私は、死を確認できていないディオさんの不在を、受け入れられていないだけなのだろうか。ディオさんの死を受け入れさえすれば、私は別の道を歩むこともあったのだろうか。 答えは出ない。だが、少なくとも今はこれでいいのではないか。 悲しみはない。ディオさんの死を実感できていないから。とはいえ、後悔はしている。私が眠っているうちに、ディオさんが一人で戦って、そして死んでしまったと言うのなら。 ディオさんを一人にしないと、そのつもりで、私は彼に仕えていたはずなのに。 そうやって、ため息をついた瞬間のことだった。 「おい、ナマエ」 突如。 聞き馴染みのある声が、聞こえてきた。 そんなはずがない。彼は死んだはずだ。 それなのに。私はその声を、素直に受け入れた。 だって私は、最初から彼の死を受け入れてなんていなかったから。死んでいないのではないかと、そう思っていたから。 そして本当に、彼が死んでいなかった。 声がした方向に向かって、私はゆっくりと振り返った。 「ディオ、さん」 肉体を失い、首だけになった私のたった一人の主人が、そこに佇んでいた。