「おい、ナマエ」 「……何でしょう?」 それから一週間のこと。夕暮時に呼び出された私は、ディオさんの部屋に向かった。 彼はベッドで寝転がりながら、唐突にこう聞いた。 「君、本は読むかい?」 「時間があれば、少しは」 そう答えながら、そういえば最近は読んでいなかったなと思う。ディオさんと少しお話をするか、広く汚れた館の掃除をするかだけで、この館に来てからはそんな時間もなかった。 「おれは少しの間、この館から出ていく。だが、君は適当に時間を潰しているといい。この館にも、書庫はあるからな。必要なら、次に買い出しに行く時に新しい本を買ってきても構わない」 一瞬、意外に思った。今まで彼が、私が起きている時間に、この館から長い間出ていくところを見たことがなかったから。……私が眠っている真夜中に、外に出て食糧となる人間を捕らえることはあっただろうけど。 「こんな時間からお出かけ、ですか?」 もうすぐ日没だ。太陽を避けながらも、もうすぐ出発するのだろう。 「少々、きな臭くなってきたからな。部下とした二騎士と共に、おれは外に出る。いい子で待っていろよ、ナマエ」 その言葉を聞いて、ぴんと来た。二騎士、それは三百年前の英雄。ディオさんが蘇らせた、戦いの英雄。 それは、つまり。私が恐れていた日が、どうやら来てしまったらしい。 「……ジョジョさんと、戦うのですか?」 ほぼ確信していた問いを投げかける。予想通り、ディオさんは肯定した。 「その通り、おれは今夜、ジョジョを仕留めるつもりだ。……といっても、二騎士をジョジョたちの元へ派遣する……このおれが手を下すまでもないかもしれんな」 戦いは避けられない。ディオさんは下僕を引き連れ、ジョジョさんは仲間を連れ、そしてきっと誰かが死ぬ。ジョジョさんか、それともディオさんか。 深呼吸した。運命はもう、どうしようもないところまで来てしまっていた。 「私、ナマエは、ディオさんのお帰りを待っています。なので、絶対に帰ってきてください。私の元へ」 そして、私は跪く。 ジョジョさんにも死んでほしくないという、甘ったれたことを考えている場合ではない。 ――もう、覚悟は決めていた。 ジョジョさんに死んでほしくないという気持ちが、もちろん消えたわけでは無い。 だが、そんなことを言っていられないところまで来ていたことは分かっている。 だから私は、最も重要なことを宣言したのだ。 私はディオさんの大勢いる下僕ではなく、たった一人の使用人だと。 だからあなたは、一人ではないのだと。 「あなたは一人ではありません。あなたに忠実な使用人は、ここにいます。どうか、それを忘れないで」 もちろん私は戦いに赴くことはできない。それでも彼は一人ではない。 私が願うのは、ディオさんのことだけだ。 ディオさんが私の元へ帰ってくること。彼をひとりにしないこと。それだけだ。 だから私は、仕える主人のことを待つ以外にできることはない。それでも主人の帰りを待つことは、使用人にとって最も重要な仕事である。主人の帰りを、信じるということは。 それが、主人のことを一人にさせないことだと、私は思う。 「……ナマエ、おまえはそれでいい。……今はな」 暫しの無言の後、ディオさんが静かに言ったその言葉の意味は、今の私には分かりそうもなかった。 そしてディオさんは去った。その姿を私は、ひっそりと見守った。 そして、数刻後。 書庫で本を読んでいると、ディオさんが戻ってきた。もう真夜中だが、落ち着かなくて眠れなかったのだ。 「お帰りなさいませ、ディオさん」 なので私は慌てて迎え入れる。大きな負傷はなさそうだ、と判断し、挨拶をするだけに留めた。彼が大きく傷付くことはなかった、ひとまずそれに安心しながら。 「機嫌が良さそうですね」 鼻歌でも歌い出しそうな彼を見上げながら、私は言う。実際ディオさんは、ここ最近で一番機嫌が良さそうだった。 「ああ、このディオにとっての障害は、あの二騎士が処刑してくれよう。喜べナマエ、これでおまえは、このおれに安心して仕えることができる。かつての主人に目移りすることなど、二度と無いだろう」 ディオさんを殺すことのできるかもしれないジョジョさんのことを、ディオさんは逆に始末したのだと、そう思っているらしい。 「……そうですね」 ディオさんが大きな怪我をすることなく、私の元へ戻ってきてくれた。これは本当に嬉しい。 だが。ディオさんの言葉に相槌を打ちつつ、私は密かに考えていた。 ジョジョさんが死んだということを、私は喜んでいいのだろうか。彼にも死んでほしくないと、私は本当にそう思っていたのに。 私の心を分析してみる。ジョジョさんを始末したと聞かされたという点において、今の私には、喜びも悲しみもない。 それは、そもそも――ジョジョさんが死んだという感覚は、私にはなかったからだ。 あの屋敷の焼け跡を見てディオさんの死を確認しようとしたら、ディオさんが死んでいなかったような、それと同じような感覚がするのだ。 妙な胸騒ぎがする。決してこのまま終われないような、そんな気が。 むしろ、まだ戦いは終わっていないのではないかという、そんな予感が―― 「おれは『食事』をしてくる。ナマエ、おまえはいつものように、この部屋で眠っているといい。明日には、全てが終わっているはずさ」 「……はい」 彼の食事シーンに私が立ち入ることは許されていない。いくらディオさんが屍生人に対して命じているとはいえ、そんな場に私がいては私の身の安全は保証できないから。 だから深夜、私は自室で独り、眠る。 明日も、無事に生きられますように。ディオさんがいなくなる日が来ませんようにと、そう祈りながら。 「Good Night,ナマエ!」 「……はい。おやすみなさいませ、ディオさん」 ディオさんはひらりと手を振った。 これが、いつも通りの就寝だ。そのはずなのに。 なら、この予感は何なのだろう。 私の主人と、二度と会えなくなってしまいそうな、そんな予感は。 寝る直前、眠れなくて本の続きを読んでいると、指を切った。人差し指から、赤いものが一筋垂れる。 それに何か不吉なものを感じながら、それでも私には、これ以上は何もできなかった。