こうして、私は再びディオさんに仕えることになった。 彼に対しずっと感じていた恐怖を、忘れたというわけではない。むしろ、私は今でも恐怖を感じている。 だが、ディオさんの本性をあの火事の日に見て、そんな彼に仕えることを、本心から決めたからだろうか。私はその「恐怖」に、慣れてきたような気がする。必要なことは、恐怖を封じ込めることではなく、自分の中にある恐怖を理解することだと思う。 ジョースター家に仕えていた頃の私はきっと、ディオさんが笑顔の裏で、何を考えているか分からないのが怖かったのだ。 今でも彼の本心は分からない。何故、彼は私を生かしたのか、私を連れてきたのか。それが分かるまでは、私がディオさんへの恐怖を真になくすことはできない。 それでも。あのジョースター邸で働いていた頃よりは、私はディオさんの近くにいても落ち着けるようになっている。 だって私は、ディオさんに身の安全を約束されている。それなら、今はそんなに怖がることもないのだろうと。 ただ、あの屋敷での日々は戻ってこないと考えると、それはやはり悲しかった。 人間をやめてしまったディオさんの元で働くことは、予想していた以上に悪くなかった。 私は、本来孤独の身。両親は死に、かつての雇い主だったジョースター卿も死に、かつての使用人仲間だった人たちもみんな死んでしまった。私が社会から隠れて生活しても、特に問題はなかった。 それに、これが私が本心から選んだ道なのだ。ディオさんを一人にしたくないと、私は本当にそう思っているから。 ……強いて言えば、ただひとつ、気にかかることはある。それは、ディオさんと同じくかつての主人だった、ジョジョさんのことだけだ。 もう一人の主人だった人。彼は無事なのだろうか。意識を取り戻しただろうか。本物の紳士だった、優しかったあの人。 だが、それでも。ジョジョさんが目覚める前に、私はディオさんと契約を結んでしまった。それならば、少なくとも今の私は、気にすることもないのかもしれない。どこかで幸せに暮らしてくれればいいと、それだけ願っていればいいのかもしれない。ディオさんがジョジョさんとの戦いを選ぶ、その日までは。 私はこの生涯を、永遠に生きる男と共に過ごすことを、誓ったのだから。 「ディオさん、紅茶が入りました」 「ああ、ありがとう。そこに置いておいてくれ」 館で生活して、一週間と少しが過ぎた。私はいつものように、彼に紅茶を渡す。二度と彼に紅茶を淹れることもないのだろうと思っていたのに、今となってはこれがいつも通りの日常だ。 こうしていると、ジョースター邸で働いていた頃と、何も変わらないようにも思えた。ただ、ディオさんは全身に火傷を負っているし、そもそも今の彼は人間ではなくなっている。 それなのに、私があの頃と同じように彼に仕えているというのも、なんだか変な話のように感じた。それでも、私は主人に仕えられることに喜びを覚える。だってそれが、私の使用人としての生きる理由だから。 最初に再会した頃よりも随分火傷が癒えた彼。紅茶を優雅に口に運ぶディオさんに、私はさりげなく聞いてみた。 「……ディオさんは、人間の血を栄養にしているんですよね? 人間の飲み物を飲んで、何か意味があるのですか?」 以前から気になっていたことだ。この館に来てから彼が口にしているのは、人間の血と、そして私の淹れた紅茶だけだったように見えるから。 ディオさんは何気なく答えた。 「必要があるか否か、という話をしているのなら――全く必要は無いさ。人間の、特に若い女の血を吸えば、おれの身体の火傷は癒され、溢れるほどのパワーへと変換される」 身の安全を保証してもらって本当に良かった、と感じる。若い女の血という条件に、私も当てはまっているから。実際、そこら辺に女の死体が転がっている。これが彼の食糧。それにももう、慣れてしまった。 しかし、彼が飲む必要のない紅茶を飲んでいる理由については、教えてもらうことができなかった。今の私、悪に仕えている私には、主人が人殺しであることよりも、その疑問の方が問題だった。 死体を見る度に、考えることがある。 どうしてあなたは、私のことを殺さなかったのですか。 どうしてあなたは、私のことを連れてきたのですか。 本当にあなたは、私の紅茶を好んでいるのですか。 その問いは、私の恐怖の根源については、どうしても聞くことができなかった。 それから、また別の日の日没後。太陽が完全に沈み、ディオさんが目覚めてから少し経った頃に、紅茶を淹れることがこの館に来てからの習慣だ。 「失礼します。紅茶が入りました、ディオさん」 ノックして、彼の部屋に入る。ディオさんはベッドに寝そべりながら、私のことを迎えた。 「来たか、ナマエ」 そして、本を読んでいたディオさんの近くに紅茶を置く。それから彼が紅茶に口をつける姿を、そっと見守る。 ……極論、私の仕事はこれだけだ。昼間には掃除と、必要な分だけの買い出しに出る。そして夜になってディオさんが起きてからは、彼に紅茶を淹れる。自分の食事は自由に作ったり館のシャワーを浴びたりすることもできるし、必要ならこの場でディオさんに少しお給料を貰う。そして、少しの間ディオさんのお話を聞いたあと、少し遅い時間に眠りにつく。 お金の出処は聞いていない。食糧となった人間たちの持ち物から奪っているのだろう。 それでもいい。私は最初からこうだった。 私にとって大事なのは、主人だけ。私もとっくに、闇に生きる者に仕える、闇のひとつだ。 かつての主人であるジョジョさんとの戦いについては、そのときが来てから考えようと思っている。その日が来るまでは、私はじっと見守っていようと決意していた。 それでも。あくまで今の主人は、ディオさんだけだ。それだけは、変わらないことであった。 「なあ、ナマエ」 「なんでしょう?」 ティーカップから口を離し、ディオさんは呟く。 「おまえは本当に、永遠を望むことはないのか?」 「…………」 それは、最初に聞かれたことだった。そして、今も気持ちは変わらなかった。 「少し、考えてみましたが。やっぱり、私には必要だとは思いません。永遠は、私には必要ありません」 私は生涯をディオさんに仕えると誓った。 それは、人間として老いながら彼に仕え続けるということ。それが使用人として生きることだと、そう思っている。 「永遠に仕えば、おれの側に永遠に存在できるのだぞ? ……君は、おれを手に入れたいと、そうは思わないか? 永遠を過ごせば、多くのものを手にすることができるぞ。このディオのことすら、ナマエ、君の手に入るかもしれない」 どうだ? と彼は私の顔を見る。誘うように寝そべるディオさんの姿には、妖しい色気が感じられる。それは、挑発するかのようだ。私のことを、試しているような。 ちらり、と壁にかけられた石仮面を目にした。それを手にすれば、決して老いることのない若い身体と、永遠の生を授かることができる。 だけど。 「私の幸せは、ディオさん、使用人として生きることです。使用人として生きて、死ぬことです。あなたを手に入れたいと、そう思っているわけではないのです」 私の答えは変わらない。これが私の、誇り。 私は満足している。使用人としての人生に。 使用人は主人の影のような存在で、主人と対等とは言えないかもしれない。だけど私にとっては、それこそが誇りなのだ。 仕えるべき主人。充分な報酬。それ以外に、何を望めと言うのだろう? 主人に対しては、永遠に傍にいることはできない。必ずどこかで、別れが来る。それは遠い未来の話かもしれないけれど。それでいい、それが主人と使用人のあるべき姿なのだから。 「……相変わらずだな、ナマエ。君は何も変わらない。ジョースター邸にいた頃から、ずっと」 ディオさんはため息をついた。呆れられてしまったのだろうか、それとも。 「そんな君を無理やりおれのものにすることは、造作もないことだが。……やめておくとしよう。ナマエの意思で、ナマエ自身がおれのことを望む日を、待ってやろうじゃあないか」 「? それは、どういう」 思わず眉をひそめる。その言葉は、ただの使用人に向けるにはあまりに相応しくないように思えた。 彼は一体何を考えているのだろう。 私をこの館に連れてきた本当の目的は、一体何なのだろうか。 「少し、話しすぎたな。ナマエはそろそろ休む時間だろう。おれはこれから、食糧となる人間を探してくる」 「……はい。行ってらっしゃいませ、ディオさん」 私の主人は、私の疑問に答えず、そのまま去った。その口ぶりはあくまでいつも通りで、引き止める理由なんてものはひとつもなかった。 ならば、今の私にできることは待つだけだ。彼の帰りを。 それが、使用人としての生き方なのだから。 それから、独りの時間は長い。眠りについて、太陽が昇ってから私が目覚めても、主人は眠っている。 別に、それで構わないのだけど。広い館を一人で掃除するには、孤独であるくらいが丁度いいのだろうと、そう思った。