※夢主が非道・流血表現、ナランチャと敵対関係 それは、私が二年ぶりに――故郷ネアポリスへ戻ってきた時のことだった。 「……ナマエ」 そこで私は、どこか懐かしいような、それなのに聞き覚えのないような――そんな声に、急に名前を呼ばれたのだ。 あまりに突然のことに私は戸惑い、振り返って声の主の顔を見た。 「あなたは……」 一瞬、誰だかわからなかった。そしてその後、懐かしい記憶が蘇る。 最後にこの顔を見たのはいつだっただろう。最後にこの声を聞いたのはいつだっただろう。 幾分か背が伸びたように見えるし、顔立ちもほんの少しだけ、成長したように見える。それに服装も、私の記憶とは異なっていた。 この人に、会いたかったような、会いたくなかったような――そんな複雑な気分になりながら、私は目の前に立つ少年に声をかけた。 「……久しぶりね、ナランチャ。少し、背が伸びたんじゃない」 私の言ったことに、少年――ナランチャは何をするでもなく、ただ顔を顰めた。 そして、少しの間押し黙った後に、こう聞いてきた。 「言いたいことは、それだけなのか?」 ナランチャが言った、どこか棘のある言葉。それに対し私は、だよなあ、と内心舌打ちするしかなかった。 彼がこうやって言うのも、至極当然のことだと理解していたから。 「なあ、ナマエ」 ナランチャは一歩だけ、私の方へ近づいてきた。一歩後退したくなるけれど、なんとか堪える。 そう。私は、約二年ぶりに会う少年に対し――なんとも言えない気持ちを抱いてしまうのだった。 私がナランチャと出会ったのは、いつのことだっただろう。 そうだ。それは確か、私が家出を覚えた頃のことだった。 私が、家出仲間の女の子たちと仲良くなるのと同じ頃に、ナランチャとも話すようになったのだ。 ナランチャはいつも、数人の男の子たちとつるんでいた。そして私は、数人の女友達と一緒にいた。時々街でお互いを見かければ、話をしたり、万引きした食べ物を分け合ったりしたものだ。 ただ、時々何かを話すことがあっても、私はナランチャの過去を知らなかったし、私もナランチャに過去を話すことはなかった。 私がナランチャについて知っていることは、まともな家の出なのに、家に帰らずに友人の家を泊まり歩き、学校に行っていないことくらいだった。 そしてナランチャも、私のことは知らなかっただろう。――私の両親がギャングだったことは、知らなかっただろう。 最も、ここではそんなことを話す必要はなかった。自分の過去を話すということは――ある意味、弱みを握られるのと同じことだったのだから。 ある日のことだった。なんとなく、どうしてまともな家の出なのに学校に行かないのかと聞いてみると、ナランチャは顔を背けて言った。 「君こそ、何で学校に行かないんだよ」 ナランチャは何か思うところがあるのか、どうも不機嫌そうだった。 質問を質問で返された――それに対してわざわざつっかかる気にもなれなかったし、隠す理由もなかったので、私は素直に答えた。 「行く理由がないの。私にはここに友達がいる。親がお金をくれるから、学なんかなくていいの。いつか親が死んでも、一生遊んで暮らせるくらいだし、将来のための勉強なんて必要ない。私にとっては、ここにいることこそが『幸せ』なのよ」 私が答えても、ナランチャは一言相槌をうったあと、黙り込むだけだった。だから私は、もう一度ナランチャに訊いた。 「あなたはどうなの?」 「別に……」 そしてナランチャは吐き捨てるように言った。彼の拳は、固く握られていた。 「オレは、将来なんてどうでもいい。オレは今、友達と一緒に、楽しく生きている。今が楽しければ、それで良いんだ――オレに必要なのは、この世で一番大切なのは、友情だぜ!」 「ふうん」 「あ、なんだよその言い方! せっかく教えてやったのによォ――」 なるほど、とは思った。ナランチャはこういう価値観を持っているのかと、そうも思った。 だけど、なんとなく訊いてみただけだし、少し気になっただけで、そこまで興味があるわけでもなかった。 「ごめんごめん、なんとなく気になっただけだから」 「ったくよォ――」 その時は、本当にただの世間話で終わった。その後暫くは、彼の人生観について、特段深く考えることもなかった。 それからも私はただひたすら、漫然とした日々を過ごしていた。 そんな中。あの会話から、一年ほど経った頃のことだろうか――私は、いつの間にかナランチャの姿を見なくなっていた。 普段は女の子たちと一緒にいるから、ナランチャをいつ見なくなったのか、正確には分からない。 ナランチャがどこに居ようと、私には別に関係ないのだけれど――彼とよくつるんでいた男の子たちに、彼のことを訊いてみることにした。なんとなく気になったのだ。 「ねえ、ナランチャ知らない?」 私が訊くと、男の子たちは一瞬、『何言ってるんだコイツ?』と言わんばかりに、不思議そうな顔をした。 そして彼らは、とぼけるように言った。 「さあな――」 それはまるで、嘲笑しているみたいだった。少なくとも、心から友情を感じている人間に対しての言葉ではなかった。 「今頃、牢にでもブチこまれてるんじゃあねーの?」 「あんなヤツとは付き合わない方がいいぜェーナマエ。それより、オレとかどうよ」 この言葉は、何故か私のことを苛立たせた。 ここの不良たちは、イタリアに住んでいる男のくせして、女の子を口説くのが下手だと思う。 「遠慮しとくわ」 私が顔を顰めて言うと、男たちは笑いながら、品のないやり取りを繰り広げる。 「チッ、つまんねーな。こんなノリの悪い女、こっちから願い下げだぜ」 「ギャハハハハ――ッ! フラレてやんの!」 「カッコつけんなよ、だっせ――ッ」 それを聞き流しながら、私は友人の女の子たちの元に戻った。 「ナマエ、どうしたの?」 「別に」 友人の女の子たちと会話していると、ふとナランチャのことが頭にかすめた。 だけど――『ま、いっか』と思っただけだった。 ナランチャがどこにいようと、何をしようと、私には関係ない。 そう、それは結局――私の『幸せ』には関係のないことなのだから。 それから、一年後のことだった。 ナランチャは、少年院に入れられていたらしい。そして、少年院から出てきた彼の左目は、見るも無残なほどに腫れていた。 「おいおい、あいつの目、見たかァ――ッ?」 男の子たちが、笑いながら話している。 「彼の母親も、目の病気で死んだらしいわよ。うつされたくなかったら、彼とは付き合わないほうが良いわ」 女の子たちも彼のことを、ヒソヒソと小声で話している。 仲間内で流れる噂話を聞きながら――何故か、彼が昔言っていたことを思い出した。 『この世でいちばん大切なのは、友情だぜ』 『今が楽しければ、それで良いんだ』 あなたが大切にしているものは、本当にそれで良いの? 今、あなたは、楽しいの? ナランチャは左目を抑えながら、何も言わずにふらふらと歩いている。特に怪我のない、見えているはずの右目にも、光を感じることはできない。 「!」 ナランチャのことを遠目で見ていると、一瞬だけ彼と目が合った。合ったのは、右目だけだった。 だけど私は――すぐに、ナランチャから目を反らしてしまった。 ナランチャが今、楽しいと思っている訳がない――彼は恐らく、絶望している。かつて友情を感じていた人間たちと、彼自身の人生に。 それがわかりつつも、私は彼を見捨てたのだった。 「彼がどうなろうと、私自身の『幸せ』には、何も関係ないわ」 その後も――浮浪児になったナランチャを見かけても、話しかけることはなかった。結果的に、私も、彼を裏切った者のうちの、ひとりだった。 そして私はそのうち、事情があって違う街へ行った。それまでに、ナランチャと話すことは一度もなかった。 もう、死んだかもしれないとさえ思っていた。 だから、たまたまネアポリスに戻ってきたとき――彼に再会するなんて、考えてもいなかった。 「驚いたぜ」 ナランチャは静かに言う。あのとき患っていた左目は既に完治していて、彼は両目で私を射抜いた。 「まさか――ナマエも、ギャングになってたとはよォー」 その声色に、昔あった親しみはない。それが当然のことだとは、十分理解していた。 どうして彼が、私がギャングになったことを知っているのか、そもそも彼もギャングだったのか――その疑問は口に出さず、私はあえて、挑発するみたいに言った。 「そっちこそ――言っちゃ悪いけど、目の病気でとっくに野垂れ死にしてるもんかと思ってたわ」 そして実際、これは本心だった。まさか、ナランチャにこの場で、会うとは思っていなかった。 むしろ、生きているとすら思っていなかった。本当に生きているのかと、疑いたくなるくらいだった。 「ねえ、ナランチャ。あなた本当に、生きてるの」 彼は本当に生きているのか、夢でも見ているんじゃないか。 思わず、そう思ってしまい――気がついたら、彼の頭に手が伸びていた。ナランチャが本当に生きているのか、どうしようもなく確かめたくなったのだ。 だけど。 「気安く触んじゃねえッ!」 驚いた――勢いよく手を振り払われたのだ。払われた手に、軽い痛みが走る。 だけどこれは逆に、彼が確かに生きていることを実感させた。 「……固いこと言わないでよー。昔は回し飲みしたこともあったじゃない?」 適当なことを言ったが、本当にあったかどうかは曖昧だ。もしかしたらなかったかもしれない。半分、冗談のつもりだった。 だけど、そんな風に軽く言ってみても――ナランチャは、私のことを睨みつけるだけだった。 「……なあナマエ。勉強しなくても、働かなくても、一生遊んで暮らせるんじゃなかったのか? なのに、何でギャングになんて」 「ああ、その話ね」 警戒しながら訊いてくるナランチャを見て、私は思わず苦笑してしまった。確かに、昔、そんな話をしたような気はするけど。 「親がさ、私にお金くれなくなってさ。今更隠すこともないから言うけど――私の親、ギャングなのよ」 ナランチャは目を見開いたけれど、私は構わずに続けた。 「お金が欲しかったら身体を売れって。そんなの嫌って言ったら、自分で働けって。嫌になっちゃうよね、何もしなくてもお金くれるみたいなこと言っておきながらさー。結局、私の身体が売れるようになるまで放置されてただけってわけ。笑っちゃうよね」 ナランチャは暫く、驚いた素振りを見せていたが――やがて、表情を変えて言った。それとこれとは関係ねえ、そう呟いた声が聞こえた気がした。 「だから君は――麻薬を売るようになったのか?」 突然の、核心をついた言葉。 それによって、さっきまで自分の顔に貼り付けられていた、苦笑が消えたのがわかった。 「……どうして、そんなこと聞くの?」 「君さ」 ナランチャはまっすぐ私を見つめて言った。それは、今まで聞いたことがないくらい、冷たい声だった。 「ガキ相手に、ヤクを大量に売っただろ――最近、常連だった子どもが来なくなったことに気づいていないのか? それとも、知ってて平気な顔をしてるっていうのか? ギャングでもなんでもない、ただの子どもを殺しといてよォー」 ナランチャは依然、冷たい視線を向けてくる。 そして私は――顔に貼り付けていた感情が、全て抜け落ちたような気がした。 「どうして、そんなことを聞くの」 もう一度、同じことを訊いた。ナランチャはどことなくイラついた素振りを見せながら、私に向かって言う。 「調べてるんだ。ガキにヤクを売って殺したヤツを」 「殺した、ね」 私がなんとなく呟くと、ナランチャは顔を顰めた。ただ私のことを睨みつけ、話をしようとしなかった。 殺したなんて、妙な勘違いをされても困る。微妙な心境のまま、私は彼に聞いた。 「どうして、そんなこと調べてるの?」 「……その、死んだ子どもの親に依頼されたからだよ」 「依頼? そんなの、警察に任せておけば良いじゃない」 「ワザと言ってんのか? 警察はまともに取り合わないんだとよ。――多分、ワイロを受け取ってるからだ。そして、警察にワイロなんて渡すのは、多分ギャングだ――警察も動かない、相手がギャングって言うなら、オレたちみたいなのが動くしかねえからってよォ――」 この言葉を聞いて確信した。――彼は、真実にたどり着こうとしている。 それが分かってしまい――私はどうしても、苛立ちと焦りを感じてしまっていた。 「……本当はよ、犯人を見つけて欲しいって依頼が来たのは、オレの上司にだったんだ。オレの上司は信頼されているからな」 ナランチャは依然、私のことを睨みながら話を続けた。私も、目を逸らしたくなるのを堪えて睨み返す。 「なのに今、君の前にはオレがいる。何でかわかるか」 「……わからないわ」 「調べたら、君の名前が出てきたからだ。麻薬売りとしての、決定的な証拠もあった――だから、オレが行くって言ったんだ。顔見知りの、オレが」 「さあ、なんのことかしら」 私は誤魔化す。ここで彼に真実に辿り着かれれば――私は、私の『幸福』を失ってしまうから。 「トボけるなよ」 一歩。また、ナランチャが近づいてきた。 それで感じることができるのは、決して親しみなどではない――敵意、そして怒りだ。 「オレが行くって言ったのは、別に昔話をしたかったわけでも、恨みを晴らしたかったとかいう話じゃあねえ。ただ単純に、昔付き合いのあったヤツが――そんなゲスになっているのが、許せなかったんだッ!」 「ゲス、ねえ……」 真実に辿り着いたナランチャが、こういう風に私のことを言うこと自体が、理解できないわけではない。だけど。 私自身は、自分自身のことを――ゲスだとは、微塵も思っていなかった。 私は私の幸せを求めた。その過程で人が死んだ。それだけの話だったから。 「でも、それが本当だとして――あなたは、私をどうすることもできないでしょう? 一般人から依頼されたから、ホイホイ復讐で人殺しなんて――そんなバカなことないでしょう」 私は、自分を安心させるため、自分に言い聞かせるように呟いた。 こんな所で終わるなんて。『幸福』を手放すなんて――そんなの、あってはならない。 「……ああ、確かに最初はそうだったよ。オレたちははじめ、犯人を見つけて口を割らせるだけだった」 そしてナランチャは、私の言葉に同調するように言った。 だけど。それならまだ大丈夫か、と安堵しかけたところで――彼は静かに言った。 それはまるで、死刑宣告みたいだった。 「けどなァ――もう一つ、命令があったんだ。これは、『組織』の命令だ」 「……『組織』!」 「君のことを調べると、分かったんだ――君が、『組織』が許す以上の麻薬を取り扱っている可能性があるってな。だから、別の街で麻薬を売ってたのを、『組織』の追っ手から逃げてきて故郷に戻ってきたってなァ――」 自分の負い目を指摘され――全身から、冷や汗が出てきたことがわかった。 これは、これは。 ――これは非常に、まずいことになっている。 「それを報告したら、幹部はオレの上司に、犯人を見つけてこい、って命令したんだ。上司は、オレに対して命令した。生きて連れてこいとは言われてねー」 ナランチャが、私を睨みつけながら放つ言葉。 それを聞いて、最悪の事態になっていることが、今更わかった。どうしたら良いのかわからなくて、唇を噛むしかなかった。 「……ふーん。だからあなたは、私を始末しに来たってわけ? 麻薬売りなんて、この世界には私の他にも大勢いるっていうのに。麻薬が殺した子どもなんて、私が麻薬を売った子以外にも、たくさんいるわ」 平静を装って言う。誤魔化すのは諦めた――なら、あえて、挑発してやろうじゃないか。 始末されるくらいなら――始末してやる。本気でそう思った。 「それに実際、私を始末したところで、麻薬がなくなる訳じゃあないわ……代わりが出てくるだけでしょ。子どもに麻薬を売る輩なんて、私以外にもわんさかいる」 そう。私は麻薬売りではあるけれど、麻薬売買の中心にいる、麻薬チームではないのだし。 麻薬チームじゃなくっても、麻薬チームから麻薬を買い、高値で売り出す輩なんて数え切れないほどいる。確か、このネアポリスでは、涙目のルカとか言う人間が悪名高かったはずだ。 「確かにそうかもな……だけど!」 私の言葉を聞いて、また一歩、ナランチャは踏み出した。 そして彼が放った言葉は――今までで最も強い、激情だった。 「『組織』の決めたルールに従っていてもいなくても、麻薬を売るヤツは誰だって嫌いだ! 特に、子どもにヤクを売ったり、弱い者いじめするヤツなんかは」 力強く言い放ち、彼は私を睨みつける。その瞳に映るのはきっと、憎しみではない――怒りだ。 「子どもに麻薬を売るヤツは、子どもを麻薬で殺すヤツは、許せねえッ! たとえ、それが力の弱い、女だろうと関係ねえッ! 昔のことなんて関係ねえッ! 命令も関係ねえッ! ナマエ、おまえみたいに、無関係な子どもさえ殺すようなヤツは許せねえッ! ぜってェ――にッ!」 「知らないわよ、そんなことッ!」 ナランチャの激しい言葉。 それに対して、気がついたら――私の口からも、言葉が吐き散らされていた。 「私は他人なんてどうでも良い。私は、私が幸せになれるなら、お金が手に入るなら、他人がどうなろうと良い。そして、幸せを脅かす他人は許さないッ!」 そう、ナランチャがどう思うか――そんなの、私には全く『関係ない』。 私は私の幸せを手に入れる――それだけだ。 「私は、私の身体を一切傷つけず、莫大なお金を手に入れる――どこまでも無垢な身体のままでッ! そのためには、私の幸せのためには――他人の身体がどうなろうと、他人がどこでのたれ死のうと、関係ないわッ!」 私が吐き出した言葉。それに対しナランチャは、少しだけ怒りの表情を変えた。 どこか――同情的な目をした、と言っても良いかもしれない。 「そうか、君は――君にとっての幸せは、そんなもんなのか」 「……何よ、その顔」 それがどうも、私には気に食わなかった。 「あなただって、同じ穴のムジナの癖に――ひとりぼっちの、ナランチャの癖に!」 「悪いけど」 ナランチャは、今度は踏み出さずに――静かに言った。 「オレは今、ひとりじゃあねえ」 この言葉を皮切りに、辺りから音が消えてしまったように思えた。 暫く、二人は無言だった。静かな街の中で、お互いの息遣いだけが聞こえている気がした。 「で、ナランチャ」 気が付いたら、私はほぼ無意識的に訊いていた。 「あなた、敵なのね。私の邪魔をするって言うのね」 「……ああ。そうなるな」 「それならッ!」 ナランチャの返事と同時に――私は懐からナイフを取り出し、彼の頬を刺した。 「なッ!?」 ナランチャは突然のことに対処できなかったらしい。彼の右頬から、赤い血が急に吹き出てくる。返り血が自分についた気がしたけど、構ってなどいられなかった。 「やってみなさいよ……あなたが私の邪魔をするって言うなら、私の幸せの邪魔をするって言うなら――過去のことなんて関係ない。私も、全力でやってやるッ!」 「てめー……」 私が睨みつけると、ナランチャも睨み返してきて、どこからかナイフを取り出した。お互い、今にも爆発してしまいそうな、危ない雰囲気があった。 ふと、ナイフに映った顔。過去の自分が見えた気がして、ほとんど無意識的に顔を顰めた。 長いようで短い、沈黙が訪れた。 そして。 「ブッ殺してやるッ! 『エアロスミス』ッ!」 「『サーカス』ッ!」 二人は、同時にキレた。 ナランチャの背中あたりから飛行機のような何かが飛び出すのと同時に――私は、自身のスタンドを出した。 彼の表情が一瞬、驚きに包まれる。私もきっと、同じ顔をしていただろう。 ――こいつも、スタンド使いかッ! だが、驚いている暇はない。彼のスタンド――『エアロスミス』は、飛びながら私に対して攻撃してくる。 「撃てェ――ッ、『エアロスミス』ッ!」 「くっ……防御しなさい、『サーカス』ッ!」 ――まずい、メチャクチャに撃ちまくってくる! なりふり構わず攻撃してくる『エアロスミス』に対しては、上手く攻撃態勢が取れず、私はひたすらに防御するしかない。だが、機銃から乱発される弾丸を、全てはじき返すのはなかなか困難だ。 激しい音が鳴り響く。私は何とか弾丸を避けているが、そこまでスピードのない私のスタンドでは、防御するのも限界が近づいてきた。 「鈍いぜッ」 やがて――全ての弾丸を避けきれず、私の右わき腹あたりに、銃弾が命中した。 ――当たった! 「よし、命中ッ!」 ナランチャがこう言うと同時に、赤いものが見えたが――血が出ていたのは、私の身体からではなかった。命中したはずの私の右わき腹あたりには、怪我ひとつない。 そして、血が吹き出してきたのは――『ナランチャの右わき腹』あたりからだった。 「うぐッ……! な、なんだァ――ッ!? てめー、何をしやがったッ!」 ナランチャは顔を歪めながら、額に汗を浮かべて叫ぶ。それを確認して私は――自分の『スタンド能力』が発動したことがわかり、内心安堵した。 「気づいてないの?」 そして、察しが悪いな、と思った。彼は昔から察しが悪かったような気がして、思い出そうとしたけど、どうにも思い出せなかった。 「私の『サーカス』の能力……それは、『相手にダメージを反射する』こと! ナランチャ、死にたくなければ、私への攻撃をやめることね」 それだけ言って私は、怪我に苦しんでいるナランチャを背にし、走って逃げようとする。 ナランチャはなんとか倒れることなく、必死に攻撃の意志を見せているが――『攻撃すれば反射される』と思っている今では、攻撃に踏み切ることは難しいだろう。そして実際、ナランチャは私に対して攻撃してこなかった。 「て、てめ――ッ! 逃げる気か!」 「そうね」 一度だけ立ち止まり、振り返って言う。ナランチャの殺意が消えていないのは、十分わかっている。だけどやっぱり、彼は私を撃ってこなかった。 「さっき、全力でやってやるって言ったと思うけど――撤回するわ。……あなたがスタンド使いって言うなら、話は別だもの」 スタンド使いじゃなければ、ナイフで急所を刺されたときに反射すれば、一発で殺せる。だけど、スタンドという力を持っている人間相手に、一筋縄ではいかないことくらいわかっている。 そう、ここは――一旦逃げて、後でコッソリ、付け狙うのが得策だ。 そして私は、ひたすら走って逃げた。 後で、私の幸せを邪魔する者をどうやって殺してやろうか――それだけを考えながら。 いくらか道を曲がり、ナランチャが見えなくなったことを確認して、私は立ち止まった。――めちゃくちゃに走ったからか、息が切れている。 ナランチャは追ってきていない。しばらく距離を置いて、後で不意打ちで始末するべきだ。 だが、彼もどうにかして私を倒そうと必死だろう。のんびりしている暇はない。 回り道をして、彼のことを追い回そうと考えていた矢先――不意に、両足に衝撃が走った。 「な……!」 恐る恐る、自分の足を見る。すると―― 「何で……ッ?」 両の足首あたりから、鮮血が吹き出ていた。それを自覚するのと同時に、気が狂いそうなほどの痛みを実感した。 「ぐ…………クッ」 そして、後ろを見ると――小さな戦闘機、『エアロスミス』が、私に狙いを定めているのがわかった。 ――逃げなくては。 どうして、離れているはずのナランチャが私の位置を正確に突き止め、足首に正確に撃ち込めたかはわからないが――とにかく、逃げなくては! 足を動かすと、さらに強烈な痛みに襲われた。だけど、立ち止まるわけにはいかない。自分の足に鞭打って、私はとにかく走り出す。 それでも『エアロスミス』は、走る私のことも、相変わらず追いかけてくる。それを見て感じたのは――どうしようもない、『恐怖』。 「追跡……されている!? に、逃げられない!」 撃つなら撃ってこい――そうも思ったが、『エアロスミス』はただ追いかけるだけで、沈黙している。 なら、こっちから攻撃してやろうと『サーカス』を出したところで――違うところから、声が聞こえた。 「ナマエ」 その、もはや聞きなれた声を聞いて――私はただ、戦慄するしかなかった。 「確かに、君の足に……『命中』したなァ――」 ナランチャ・ギルガが私の前に立っている。いつの間に先回りしていたのか、私には分かるはずもなかった。 その真っ直ぐな立ち姿は、二年前には確かに独りぼっちだった少年なのか――思わず疑いたくなるくらいに、凄みがあった。 「君の能力――『反射する』だっけ? だけど、さっき不意打ちで君の足を撃ってみたら、確かに命中した――オレにダメージも反射されなかった。意識してないと反射できないんじゃあないか?」 図星だった。両足の痛みに耐えながら、私は唇を噛み締めた。 「……わかったわよ」 彼の言うことに、肯定も否定もせず――私は言った。覚悟を決めなばならない、それだけを実感しながら。 「どうやってあなたが、私のことを追跡したかまでは知らないけど。あなたが私を逃がす気がないって言うなら――今この場で、あなたのことを始末すれば良いんでしょう」 「違うな――始末されるのは、オレじゃあない。君だ」 「本当にできると思っているの? 意識していれば、私はあなたの攻撃を、反射することができるのよ」 「……かもな。だけど」 ナランチャは全く臆せず、『エアロスミス』を出現させた。そしてそれを、防御もできないくらい至近距離まで私に向かってきて―― 「ナマエ。本当に全部反射できるなら、最初からオレの攻撃を防御する必要なんてないよなー。本当に全部反射できるなら、オレの弾丸を避ける意味なんてないよなァ――ッ!」 ――まさか! 『もうひとつの弱点』に気づかれた!? 「いっけェ――ッ! 『エアロスミス』!」 ――まずい! 防御も間に合わない! 『反射』させなければ! 慌ててスタンドを出し、意識を集中させようとする。だけど。 「ば、爆弾ッ!?」 彼の『エアロスミス』は、至近距離で弾丸をめちゃくちゃに撃ちまくる。同時に、爆弾も落としてくる。 そして。 爆発音が鳴った。辺りが炎に包まれ、視界が赤で染まる。 激しい衝撃と熱が、私の身体に襲い掛かってきた。 私にも、攻撃が反射されたナランチャにも、ダメージが与えられる。 向かい合い立っていた二人は一瞬、全く動かず、ただただ無言だった。 そしてその後倒れたのは――私だけだった。 「ハァ、ハァー、ハァ――」 私を見下ろすナランチャは――倒れてしまいそうになるのを、必死で堪えている。 「いくら、攻撃されたところを意識したとしても、……ダメージの全てを反射することは、できない。そうだろ」 全身にダメージを受けた私は――それを全て反射することはできない。だから、本当の急所だけは必至で守った。 それを見越したのか、ナランチャは私の頭や、心臓を撃つことはなかった。ナランチャに還元されたダメージは、頭部の一部と、胸のあたりが少しだけだった。ナランチャもいくらか出血しているようだが、致命傷になることはなかった。 ナランチャは、自分にも攻撃が返ってくることを覚悟して――私のことを撃ったのだ。 そして、私は、急所こそ守っていたけれど――全身を撃たれあちこち出血し、全身火傷だらけだった。 こんな風になってしまっている自分はもう助からないと、本能的に実感していた。 「ナマエ。――オレは今から、君にとどめを刺す」 息切れを起こしながらも、ナランチャは『エアロスミス』を向けてくる。そんなナランチャに対し、私はなんとか笑顔を向けようとした。 「……そう。こんなに怪我をしてまで、生きようとは思わないわ。とっくに、私の『幸福』は、尽きたのよ」 彼は何も言わなかった。だから私はその分、息切れをしていても必死に口を動かす。 最後に言いたいことを、全て言い残そう。そう思って。 「もう、反射は無理だわ。どっちにしろ、この出血量じゃあ、反射した所で間に合わないわね」 彼は私の言葉を聞いて、何を思うのだろう。 ナランチャは息を切らし、頭から血を流しながらも、私のことをじっと見つめてくる。 その様子を見て、なんだか――この人に殺されるなら悪くないかもしれないと、不思議なことに、何故かそう思った。 「ねえ、ナランチャ。最後に、聞いてくれないかしら」 ナランチャはただ黙って、私のことを見下ろす。真っ直ぐ見つめてくる彼の両目をしっかり見据えて――もう息も苦しいくらいなのに、私は口を動かした。 「今更、遅いかもしれないけど――私、あなたのこと、結構好きだったよ」 この言葉を聞いて、ナランチャは微妙に表情を変えた。彼が何を思ったのか、ここからは読み取れなかった。 「――それさァ、今の話? それとも、昔の話?」 微妙な顔をして、彼は聞いてくる。だけど。 「……さあ」 自分でも、よく分からなった。 最後になって、どうしてこんなことを言ったのかさえも――私自身、よく分かっていなかった。 この世で一番大切なものは友情。それは、ナランチャが昔、良く言っていた言葉だ。 だが、ナランチャは昔、私に対して友情を感じていたのだろうか。 そして今、ナランチャが一番大切にしているものは、何なのだろう。 それは、今の私にはわからない。わかるはずもない。だけど。 「そんなの……」 彼は振り絞るように、ひとことだけ言った。 「本当に、今更だろ」 そしてナランチャは私に対して、彼のスタンドを向けた。最後の最後に、機銃から放たれる弾丸を見たけれど、反射する体力も、そしてその気もなかった。 最後に聞いた、ナランチャの言葉。 それを聞いて――私は、すべてにおいて納得したような気がした。 否、納得したかった、分かったふりをしただけなのかもしれない。だけど、それで良いのだと思った。そう信じたかった。 既に、全てが遅かったのだから。 もう二度と――昔の彼とも、今の彼とも、話すことはできないのだから。 そう、私の『幸福』はもう二度と――戻ってこないのだから。
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