▼ナランチャ誕生日ネタ/※暗い 二〇××年五月二十日。 今日は、私の好きだった人の誕生日だ。 好きだった、と言えば語弊があるかもしれない。実際、私は今でも彼のことを愛している。 それでも今の私は、好きだった、と言うしかないのだ。 私の好きだった人はもう既に、死んでしまったのだから。 私の恋人だった人はもう二度と、年を重ねることはないのだから。 『オレの方が年上だからな』 よくこう言っていたナランチャ・ギルガは、もういない。 毎年この日は、ナランチャの記憶を思い出す。特に、彼が十七歳になった日のことを。ナランチャが生きているうちに迎えた最後の誕生日、二〇〇〇年五月二十日のことを。 その日の夕方、私はナランチャの家に招かれていた。 昼間は、彼のチームの仲間たち数名と、レストランでささやかなパーティをしたらしい。残念ながら同じチームではなく、そもそもギャングですらない私は、そこに行くことはできなかった。ナランチャとしては来て欲しかったらしいけれど、私の方が遠慮したのだ。 その代わりに私は、夕方に彼の家に行くことになった。 仲間のひとりとしてではなく、ナランチャの唯一の恋人として。 その日、私はナランチャの家でピッツァを焼いていた。ナランチャの好きな、マルガリータにポルチーニ茸をトッピングした、アツアツの特性ピッツァだ。 その時のナランチャは、ピッツァを作っている私のことをじっと見ていた。彼は時たま私に話しかけながら、幸せそうに笑っていたっけ。私もそれに返事をしながら、生地をこねたりして忙しくしていたっけ。 ピッツァを焼いている時間など、ちょっと暇ができた時には、他愛もない話をしていた。その時も私たちは、ふたりで笑っていたっけ。 そして、やっとのことでできあがったピッツァを、ふたり一緒に食べた時には――美味しい、って言ってくれたっけ。 その時の私は、ピッツァをあまり作り慣れていなくて不安だったから、喜んでくれて本当に嬉しかったことを覚えている。そして私の作ったピッツァを、残さず食べてくれたことも、すごく嬉しかった。 今でも、私の作ったピッツァを、美味しそうに、そして幸せそうに頬張るナランチャの姿を、鮮明に思い出せる。 それだけその時の私たちは、この上なく幸福であった。 ピザを食べ終えた時、ナランチャは私にくっついてきた。その仕草がどこか子供らしくて、微笑ましく感じてしまっていた。本当は、ナランチャの方が年上だったのに。 私が、誕生日プレゼントは本当にピッツァで良かったの、他に何か欲しいものはなかったの、と聞いたら、ナランチャは言った。 ――もうこれで充分だよ。オレはこれで、充分幸せだ。 幸せそうに微笑むナランチャが、たまらなく愛おしかった。だから私は、思わずナランチャの頭を撫でていた。 するとナランチャは少しだけ面白くなさそうに、子供扱いすんなよ、オレの方が年上なんだからな、と言った。それがなんだか面白くて、私は笑っていた。 するとナランチャは、ふと思いついたように、突然ぽつりと呟いた。 ――そうだ。オレは、ナマエが欲しいな。 思わず、不意をつかれた様な気分になった。少しだけ考えて、私は囁いた。 ――心配しなくても、私はもうあなたのものよ。 そして、もう一度ナランチャの頭を撫でた。ナランチャは一瞬目を逸らした後に、少し不服そうに言った。 ――あ、またそうやって年下扱いする! オレの方が年上だからな! ナランチャは膨れた。それがおかしくて、私はもう一度笑った。 するとナランチャは、不意に真剣な顔をした。ナランチャの目が、私のことをまっすぐ射抜いてきた。その視線に耐えきれず、私は思わず目を逸らしてしまった。 ――なあ、ナマエ。何回も言うけどよ、オレの方が年上なんだぞ。 いつも聞いていたはずのその言葉。だけど、不意にドキリとしてしまった。そしてナランチャは、ゆっくり顔を近づけてきた。 ――オレはナマエが欲しい。この意味、わかるだろ? さらに接近。 気づいたら、ふたりの唇は重なっていた。ナランチャの柔らかい温もりが、ただただ心地よかった。 ――ナランチャ。 離れてから私が言うと、ナランチャは、なんだ、と呟いた。 ――十七年前のあなたへ。おめでとう。 そしてまた近づいて、私の方からナランチャの唇に口づけを落とした。ナランチャはやや動揺して、揺れた。 私のことが欲しいと言うなら、差し上げましょう。あなたが生を受けた、その日から。そして―― ――私はずっと、あなたのものよ。十七年前のこの日から、今日という日まで。そして、これからもずっと。 私は真剣に言った。心から、私自身を彼に捧げたかった。 ……そしてその後、ナランチャは何と言っていたっけ? 少しずつ、彼の言葉を忘れていく。永遠に覚えていたくても、どうしてもできない。少しずつ、少しずつ、過去の記憶は新しい記憶に圧迫され、次第に薄れていく。 ナランチャと過ごした時間よりも、ナランチャと離れてからの時間の方が長くなっていく。 それでも私は、ナランチャのことを好きだったことは絶対に忘れない。絶対に。 忘れたと言うのなら、思い出せばいい。思い出せばいい……。 ……そうだ、思い出した。ナランチャはその後、照れくさそうにこう笑っていた。 『――オレは毎年、ナマエにそんな風に祝われたいな。それが、オレの幸せのひとつだ』 十七年前のあなた。十八年前のあなた。十九年前のあなた。二十年前のあなた。 そうだ。私はずっと、ナランチャのことをそうやって祝福したかった。ふたりで一緒にいれる限り、ずっと。 だけど―― 『オレの方が年上だからな』 私はずっと、そう言われながら、彼と一緒に生きていくんだと思っていた。 だけど、違った。 何度五月二十日を迎えても、あなたはもうずっと、十八歳になることはない。あなたはもう、年を重ねることはない。あなたはずっと、十七歳のままだ。 私があなたの年齢に並んでしまったのは、いつだったか。 私があなたの年齢を越えてしまったのは、いつだったか。 そんなことを延々と考えながら、ひとりで悶々とピッツァを焼いた。そして、それを淡々と自分の口に運ぶ。 何度も作った味。何度も作った、ナランチャの好きだった、マルガリータにポルチーニ茸をトッピングした、アツアツの特性ピッツァ。 何度も作ったものだし、あの頃よりもずっと美味しく焼けたとは思う。だけど、このピッツァがナランチャの口に入ることはない。 それでも私は、ひとりで笑った。ナランチャの誕生日という特別な日に、泣きたくなかった。たとえ何があっても、どんなことがあっても、この日だけは幸せに笑っていたかった。 だけど。 「……なんだか、しょっぱいわ」 味付けを失敗してしまったのだろうか。それとも、涙をこらえ切ることができなかったのだろうか。 私の隣に、彼の温もりはない。年上の彼を子供扱いして、怒られることもない。突然キスをされることもない。私からキスをすることもできない。 彼のための特性ピッツァを、食べてくれる人もいない。 お祝いの言葉を発しても、返してくれる人はいない。 「……××年前のあなたへ。おめでとう」 それでも私は、空に向かってこう言った。 口づけを落とすことのできる相手が、もういなかったとしても。 私が身を差し上げるべき相手が、もういなかったとしても。 どこかでこの想いは届いていると、信じたかった。 ナランチャのもとへと届いていると、信じたかった。 ひとりきりの五月二十日は、ただただ無情にも過ぎていく。 「私はいつまでも、なにがあっても、どんなことがあっても――あなたのものよ、ナランチャ」 もう既に年下になってしまった、愛しい人のことを思い出しながら。
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