恋は何味?

「ナランチャはさあ、『恋』したことある?」  仕事の休憩中に、私が突然そう言うと、ナランチャは面食らったようで、今まで見たことのないような変な顔を見せた。 「……『恋』ィ? まさか、ナマエからそんな言葉が出てくるとは思わなかったぜ」  変な顔のままで、ナランチャは言う。なんで? と聞くと、 「いや、だってさァ……」  とナランチャは言いにくそうに口篭った。 「もしかして、私に色気もへったくれもないと思ってる?」 「べ、別にそんなことはねーよ!」  私の言ったことにナランチャは過剰に否定する。どうやら、図星のようだ。 「まあ、私のことはいいじゃん。どうなの? ナランチャ。ナランチャにも初々しい初恋のエピソードくらいあるでしょ?」  私がニヤニヤしながら話の流れを本題に戻すと、ナランチャは難しそうな顔をして黙った。 「……初々しい恋なんて……、できる環境にあったことは、ないかなァ……。もしかしたら十歳になる前にはあったのかもしれねーけど、全然覚えてねー」  ナランチャは頭をぽりぽり掻いた。その言葉に嫌味な空気は感じられないが、私は少し後悔する。  言われてみれば、確かにナランチャはそんな環境になかったのだろう。母親が死んで、家出して、少年院に入れられて、浮浪児になって、そしてギャングになって……。  考えてみれば、ナランチャは結構壮絶な人生を歩んでいる。私が聞いていないだけで、もっと酷いのかもしれない。 「そっか、ごめんね変なこと聞いて」 「別にいいけどよォ――。本当にどうしたんだァ急に? 熱でもあるのか?」  そうじゃないけど、と口を濁す。ナランチャの澄んだ瞳に見つめられて、心が痛い。 「んー、とねえ。『初恋はレモンの味』なんて言うじゃない? 恋の味って美味しいのかなって思って」  能天気なことを言い出す私に、ナランチャは呆れたようだった。 「色気より食い気、ってやつか? レモンキャンディなら今食べてるけど、いるか?」  ナランチャがレモンキャンディを私に渡してくるので、少し躊躇ったが断った。 「別にいいよ……。というかナランチャ、どこでそんな言葉覚えたの」  私が呆れて聞くと、彼はへへ、と笑う。 「フーゴに言われたことがある」 「なんだ、私もナランチャも、似たもの同士か。色気より、食い気」  そう言って、私たちは笑った。 「……でもよー、ナマエ。オレはまともな恋愛はしてないけどよ、キスの仕方くらいはわかるんだぜ」  えっ、と思わず振り向く。見ると、ナランチャが余裕そうな表情で、ニヤリと笑いながらこちらを見ていた。 「ナマエにはないんじゃあねーか? 恋もそうだけど、キスなんてさ」  図星だった。  そう、私に大した恋愛経験なんてない。だから、ナランチャに『恋の味って美味しいのかな』なんて言ったのだ。  しかし、ナランチャにこんな所で優位に立たれるとは思っていなかった。もしかしたら、私の知らないうちに年上のおねーさんにつまみ食いされている可能性もある。彼もギャングの端くれだ。うちのチームの男共はみんな顔が整っていて女の子から言い寄られることもよくあるようだし、ナランチャにもそういう機会があったのだろう。少なくとも私よりは。 「そうだなァ、オレは『初恋の味はレモンの味』というより、『ファーストキスはレモンの味』なんだと思うぜ」  じり、とナランチャがこちらに近づいてくるので、思わずのけぞった。ナランチャの瞳が目の前にある。甘いレモンキャンディの香りが漂う――    暫くの間、二人は無言だった。  心臓の鼓動だけが耳に聞こえてくる。ナランチャだけが目の前にある。頭の中が、ナランチャでいっぱいになる。  彼が近づいてくることたびにドキドキする――この感情は、一体何なのか。私にはわからない。 「なあナマエ。全然初々しくはねーかもしれないけど。オレは君が好きなんだ。嫌なら嫌って言ってくれ。嫌いなら嫌いって、言ってくれ……」  殆ど懇願するように耳元で囁かれてしまえば、私は何も言えなくなる。身体中に電気のような衝撃が走った気がした。――これが、恋、なのかな。  少しの間、二人は無言で見つめあっていた。ナランチャの瞳に射抜かれ、心がくらりと揺れる。  ナランチャは何も言えない私の目をじっと見つめていたが、私の沈黙を肯定と受け取ったらしい。  そうして、ナランチャは私に唇を押し付けた。  恋の味がした。

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