「トリックオアトリート、ナマエ」 「言いたいことは色々あるけど。……その服で、ここまで来たの?」 そうですけど、と、悪びれる風もなく、私の家の玄関先に立つ少年――ジョルノ・ジョバァーナの姿を見て、私はただ、ため息で応えるしかなかった。 と、言うのも。彼は、ギャングなんて立場で、子供だとも言いきれない年齢でありながら――しっかりと仮装をしていたのだ。しかも、吸血鬼なんてチョイスで。 しかし――仮装している人間特有の、なんとも言えない違和感のようなもの。言い換えれば、服に着られているような感覚。それが、彼には全くなかった。 むしろ、似合っている。これまで見たことのないくらい、彼の身にまとった衣装が「ハマっている」。 赤く染まった瞳に、鋭い牙。他、彼のまとう吸血鬼の出で立ちに、天然の金髪が良く映え、妙に似合っている――寒気がするくらいに。だが、そのことについて口に出すのは、何故だか気が引けた。言ってしまえば、どこか畏れ多いような気分になったのだ。 頭の中にはびこる妙な考えを振り払うように、私は彼に声をかけた。 「トリックオアトリートって……。確かに、今日はハロウィンだけど。でも、もう仮装するような歳でも、お菓子を人にねだるような歳でもないでしょ、ジョルノ」 「僕は子供の頃、仮装なんてしたことありませんでした」 彼が答えた言葉が一瞬腑に落ちず、少しだけ考えを巡らせて――そうか、と心の中で舌打ちした。 考えが浅かった。彼の子供時代のことを、彼の境遇を、――もし彼がハロウィンを楽しみたくても、手放しで楽しめないような家庭に居たということを――すっかり、忘れてしまっていた。 「そっか、ごめん」 「謝る必要はないですよ」 「でも」 尚も罪悪感が消えない私の言葉を遮り、ジョルノはただ、特に気に留めた風もなく微笑む。 「それに、良いじゃないですか。今はこうやって、ナマエが出迎えてくれるんですから」 ジョルノの優しい言葉に、私は何も言うことができなかった。 私が黙ったままでいると、ジョルノは急に、話題を元に戻した。 「それよりナマエ、もう一度言いますよ――トリック、オア、トリート。本当は、同じことを二度言うっていうのは無駄なので、あまり言いたくなかったんですけど」 そしてジョルノは、衣装を見せびらかすような動きを見せた。どうやら彼は、今はとにかくハロウィンを楽しみたいらしい。 「……ああ、そうだったね。と、言っても……来るとは思ってなかったから、お菓子なんて用意してないんだけど……」 この国ではそんなに、ハロウィンが盛んというわけでもないのだから。 どうすれば良いだろうと、頭を抱える。そんな私を見て、ジョルノは微笑んだ――少年とは思えぬほど、どこか魅惑的に。 「なら、イタズラしちゃいますよ?」 普通なら、ジョルノと同じくらいの年齢の少年にこう言われたとして、そこまで警戒することもないだろう。きっと、顔に文字を書かれるとか、せいぜいその程度だ。 だけど、ジョルノの言う「イタズラ」が――その程度の冗談で済むようなものだとは……あまり、思えなかった。 どんなイタズラをされるかは分からないけれど、避けられるものならなるべく避けたい。どうすれば良いだろうか。どうすれば、イタズラされるのを避けられるだろうか。 少しの間、全力で頭を回転させた後で……ふと、思いついた。――そうだ、こうすれば。 「……ちょっと待ってて」 「何をです?」 「牛乳買ってくる。今ちょっと切らしてるから」 不思議そうに首を傾げるジョルノに、私は笑った。 「今から作るの、お菓子!」 お菓子がないのなら、お菓子を作れば良い。 よく思いついた。自分の咄嗟の判断に自分で感謝しつつ、私は近くのお店へと走った。 買い物から戻ってくると、ジョルノは私の家の前で佇んでいた。日陰に立つ彼は、まるで太陽光を避ける本物の吸血鬼のように見える。少年の持つ不思議な色気に、少しだけドキリとした。 「あ、ごめんジョルノ。家に入れておけばよかったね」 「全くですよ、吸血鬼に太陽の光はご法度なんですから。実は、今日来る時も日傘に入って来たんですよ」 「そうだったの? 凝ってるね……。あ、入っていいよ」 「お邪魔します」 ジョルノを家に上げ、私はキッチンへと向かう。……たまたま昨日、部屋を掃除しておいてよかった。 私は、キッチンで、卵と牛乳、そして砂糖を取り出した。ジョルノは近くの椅子に座り、私の手元を微笑みながら眺め始める。 さて。――作るものは決まっている。彼のためだけに作る、彼の好物のお菓子だ。人様の口に入れるようなものを作るのだから、普段よりも力を入れて作らなければならない。 気合を入れて、手を動かしていると――ジョルノは背中越しに、私に話しかけてきた。 「実は僕、本当に太陽には弱いんですよ」 「そうなの? なんか、今のジョルノに言われちゃうと、信じれちゃう」 「……まさか。冗談です」 あまり冗談に思えないのは、何故だろうか。もしかしたらジョルノの先祖は吸血鬼なのかもしれない、なんてくだらないことを考えてしまう。 このように、他愛ない会話をジョルノと続けながら――いつもよりも気合を入れて、私は料理を続けた。 「……ふう」 一息ついた。あとは焼き上がるのを待つだけだ。 ジョルノの近くの椅子に腰を下ろし、息を吐いたところで――今更のように、顔が熱くなってきているのを感じた。 さっきまでは、ひたすら手を動かしながら会話していたから、あまり意識することもなかったのだけれど――自分の部屋にジョルノがいること、そして彼のためだけに料理をしていたことを考えると――流石に、少し緊張してしまう。 「えっと、後は焼き上がるのを待つだけだよ。少し待ってて」 こう声をかけた後、何を話していいかわからなくなる。さっきまで何を話していたっけ? と、頭が真っ白になってしまった。 「そのことなんですが、ナマエ」 え? と彼の言葉に首を傾げると、ジョルノは微笑んだ。……その笑みに、なんとも言えない緊張感を持ってしまう。 「さっき、僕は『トリックオアトリート』と言いました。普通は、その場でお菓子を渡すか、イタズラされるかのどちらかだと思うんですよ」 ジョルノは、微笑みながらも言葉を続ける。 「でも、あなたはお菓子の用意をしていなかった。だから僕は、あなたにイタズラをする権利があると思うんです」 「私は、今お菓子作ってるじゃない。……ねえ。ジョルノは、何をして欲しいの? お菓子が欲しいの? それともイタズラがしたいの?」 頭が真っ白だ。彼が何をしたいのかが理解できず、私は首を振る。 「えっとですね」 ジョルノはどこか魅惑的に微笑み――そして、囁いた。 「僕はあなたにイタズラをしたいし、あなたのお菓子も食べたいです。……それじゃ、ダメでしょうか?」 「……随分欲張りだね」 彼の言葉を聞いて、私はため息をついた。少し冷静さが戻った――こういう所は、まだ子供なのかな、と思う。 「ふふ、すみません。――ですが、あなたは、僕のためだけに、お菓子を作ってくれている……。それに敬意を表して、当初予定していた過度なイタズラはやめておきますよ」 過度なイタズラって何? と問いかけようとしたおころで、ジョルノは自分の口許に人差し指を持っていった。『静かにしろ』と言うことらしい。 「ナマエ、目を閉じてください」 彼にこう囁かれると、どうにも悩ましい気持ちになってしまう。困惑しながら、私は目を閉じた。 閉ざされた視界の中で、何をされるんだろう、とひたすら不安になる。――まさか、キスされたりなんて……しないよね? そんな、まさか……。 どうも、心臓に悪い。どうしようもなく緊張していると――おもむろに、頬に何かがあたる感触があった。 「ッ!」 そして、その細い感覚で、なぞられる。これは――頬に、ペンか何かで、文字を書かれている? 目を瞑っている時間が、何故か非常に長く感じられた。文字を書かれている感覚と同時に、彼の息遣いすら感じられるような気がした。 「はい、もう目を開けても良いですよ」 目を開けると、にこやかに笑うジョルノの姿が目の前にあった。こうしてみるとただの少年だな、とぼんやり思った。 「あ、心配しないでください。水性ペンで書きましたから。すぐ落ちるタイプなので、大丈夫ですよ」 「何を書いたの……?」 何かを書かれていることは分かったが、どうにも何と書かれたかまではわからなかった。 「秘密です。鏡文字で書いたので、後で鏡で見てみてください」 「そっか……」 とにかく、過激なイタズラじゃなくて良かった。本当に、この年代の少年がやるように、顔に文字を書かれる程度だった――緊張から開放され、安堵していると、ジョルノは急に顔を近づけてきた。そして、耳元で囁く。 「それとも、別のイタズラをお望みでしたか?」 本当にこの少年は、どこでそんな殺し文句を覚えてくるのだろうか。腰が抜けてしまいそうなくらい、彼の言葉が鼓膜に響く。 彼の口許にある、恐らく仮装用の牙が、今更のように目に付いた。なんだか、噛み殺されてしまいそうだった。 「……冗談ですよ。だから、そんな顔しないでください」 「えっ、私、そんなに変な顔してた?」 「はい、とても」 彼の言葉に、どう反応していいか分からなくなってしまう。 だから、思わず思い切り話を逸らすことにした。今の私には、そうすることしかできなかった。 「お菓子焼けるまで、まだ時間あるよね。少し、話でもしよう?」 それから、お菓子が焼けるまで何を話していたのか――正直、よく思い出せない。 「焼けたね」 「焼けましたね」 オーブンから、さっき作ったプリンを取り出し――少し冷ました後、ジョルノに渡した。 「ほら。これが、トリート……お菓子。これで良いでしょ?」 「はい、ありがとうございます」 口ぶりこそ冷静だけど、ジョルノは何だか、いつもよりどこか上機嫌そうだ。――ジョルノの好物のことを、知ってて良かった。吸血鬼の姿をしたギャングも、このプリンの前ではただの少年にしか見えない。 ジョルノはスプーンを掴み、そしてとても美味しそうに食べ始めてくれた。 「ボーノ! 温かいままのプリンも、それはそれで美味しいですね」 「良かった。まだあるから、持って帰って、次は冷やして食べてね」 「一度で二度美味しい……素晴らしいですね、このプリンは」 「大げさだって」 口ではこう言うけれど、自分が作ったものを美味しそうに食べてくれるというのは、やっぱり嬉しい。 この人のために作ってよかったと、素直に思った。 「グラッツェ、ナマエ。とても美味しかったです」 「こちらこそ、食べてくれてありがとう。まだ余ったプリンあるから、持って帰って食べてくれると嬉しいな」 「もちろんです」 ジョルノの言葉を確認して、私はプリンを袋詰にしようと思った。だけど、ジョルノはそれを遮る。 「ああ、待ってください、ナマエ。僕が帰る前に、一度鏡を見てください」 鏡? と首を傾げた直後、思い出した。 「あ、忘れてた」 ジョルノに顔に文字を書かれていたことを、すっかり忘れていた。私は慌てて、少し離れたところにある姿見の前に立つ。 「ちょっと、これって……」 私の頬に書かれていた文字は――鏡文字で書かれていたので、はっきりと読み取ることができる――「TRICK AND TRICK」だった。 「イタズラと、イタズラ……。これって」 最初から、イタズラ目当てだったってこと? 私の問いに、ジョルノは困ったように微笑む。 「ナマエがお菓子を用意しているとは思っていませんでしたからね。まさか、作ってくれるとも思っていませんでしたが」 「全くもう」 ここで、お菓子を作らなかったら、私はジョルノにどんなイタズラをされてしまったのだろうか。 少し頭に浮かんでしまった邪な考えを振り払うように、私は洗面所に向かおうとする。水性ペンなら、水ですこしこすれば取れるはずだ。 「じゃあジョルノ。ごめんね、私、顔洗ってくるから……」 「ああナマエ。そんなこと、あなたはしなくていいんですよ。僕がその文字、とってあげますから」 ジョルノの言葉に、どうも怪訝に思ってしまう。 「え、水性なんでしょ? 自分で顔を洗うからいいよ」 「いいから、目を瞑ってください」 またか、と私は目を閉じた。今度は一体何をするのかと、少しだけ楽しみにしている自分がいた。 「はい、取れました。目を開けてください」 やけにあっさりと、ジョルノの言葉が耳に届いた。タオルかなにかで拭かれたような感覚すらない。思えば、少しだけ頬に指のような感触があったような気はするけど―― 何気なく、目を開けると――目の前には、小さな赤い薔薇が、一輪。 「わあ」 完全に不意打ちで、思わず間抜けな声を漏らしてしまった。ジョルノが笑うのを見て、私は慌てて口を抑える。 「……ど、どうしたの、その薔薇」 「インクに生命を吹き込みました。顔の文字はもう取れていますので、心配しなくていいですよ。最も、インクの量が少なくて、かなり小さなものにしかなりませんでしたが」 そして、ジョルノはその小さなバラを私に手渡した。なんだか、思わずため息を出してしまいそうだった。 「これが、最後のイタズラです。どうでしたか?」 「どうもこうも……」 今私の中にある感情を、どうまとめたら良いのだろうか。緊張、喜び、呆れ、高揚感――いろいろ思い浮かぶ言葉はあったけれど、それをまとめることはどうにも難しい。だから私は、こんな風に言い表すことしかできなかった。 「全く。私は、あなたに驚かされてばっかりだったわ」 「グラッツェ、ナマエ。今日は楽しませて貰いました。今度は僕が、あなたを楽しませてあげたいです」 ジョルノは帰り際、私に向かって楽しそうに微笑んだ。プリンが入った紙袋を持つ吸血鬼の図は、なかなかシュールだ。 「何言ってるの。私も、もう充分楽しませてもらったよ、ジョルノ」 イタズラされることも、プリンを作ることも――今日ジョルノと過ごしたこと、すべてが楽しかったように感じられた。このまま別れることも、なんだか名残惜しく感じてしまうくらいには。 じゃあ、また。別れの言葉を言いかけたところで、ジョルノはふと思いついたように言った。 「あ、大事なことを言うのを忘れるところでした」 何、と私が聞くと――ジョルノは少しだけ、意地悪そうに言った。 「ハッピーハロウィン、ナマエ。来年は、ナマエも一緒に仮装しましょうね」 それだけ言って、ジョルノは私の前から立ち去った。 何故か、彼の言葉がいつまでも頭から離れなかった。 来年。 来年も、ハロウィンはジョルノと過ごすことができるのだろうか。 こうして、イタズラされて、イタズラして、お菓子をあげて、お菓子を貰って、お菓子を作って。 他愛ない話をして、そして―― そんなことが、そんな未来が当たり前のようにやってくるのならば――それは、とても幸せなことなのではないだろうか。 「来年の仮装、考えておこうかな……」 柄にも無いことだし、仮装をするような年齢でも、お菓子をねだるような子供でもない。だけど。 来年も彼とハロウィンを過ごすことができるのならば――たまにはそういうのもいいかな、と思った。
back