誰も居ないような、とても静かな場所。 そこに、男が一人、何をするでもなく倒れていた。 横たわる男の顔は苦痛に歪み、皮膚は見るも無残なほどに爛れている。 それは、明らかに絶命していた。この『物体』が、今まで呼吸をして、歩き回っていたことなんて信じられないくらいだった。 そして、そんな男の前には――まだ若い少年がひとり、無言で立っていた。 「あなただけでも良かったんじゃあないの」 呆れの気持ち半分、揶揄の気持ち半分で、私は男を殺した少年――フーゴに言った。 一応、私もフーゴと共に、仕事としてこの場に出向いたのだが――私が何をするでもなく、彼は仕事をこなしてしまった。ちょっとした揉め事を解決するための話し合いのことも、頭の回転が早い彼に任せてしまった。それに、話し合いの結果として、男を始末することも、彼ひとりの能力に任せてしまった。 「…………」 私の言葉に、彼は沈黙をもってのみ答えた。ただ、無言で嫌そうに顔を顰めただけだった。 正直、この反応は少し意外だった。 怒るかな、と思い、実際怒らせるつもりで言ってみたのだけれど――フーゴは、嫌そうな顔をしているものの、『キレた』風には見えない。それが不思議でもあり、不気味でもあった。 結構長い付き合いであるつもりだけれど――結局、この少年のキレるツボは、未だによくわからない。 それから、少し後のこと。 ブチャラティたちの待つレストランに戻った後で、私はブチャラティに仕事の報告をしていた。 今回、私は何もできなかった分、せめてそれくらいは、と思ったのだ。フーゴは仲間たちに何か用事があったのか、私に報告のことを任せると、早々に仲間たちの元に行っていた。 「……そうか」 私の報告を聞いても、ブチャラティはこう言うだけだった。何もしなかった私にも、ひとりで仕事をこなしたフーゴのことにも、特に言及はしない。 そんなブチャラティに、私は思わず、噛み付くように聞いてしまった。気がついたら聞いてしまっていた――全くもって、無意識の行動だった。 「あの、私が行く必要はあったんですか」 私は結局、何もできなかったのに。私はこの仕事に本当に必要だったのだろうかと、疑問に思ってしまう。 「そうだな……」 突然とも言える、私の問い。それに対し、ブチャラティは少し考えてから答えた。それは少しだけ、意外な返答であった。 「今回は確かに、フーゴだけで回ったのかもしれない。ただ……」 「ただ?」 「あいつには、誰かが一緒にいてやる必要がある。取り返しの付かないほどにキレてしまわないよう、どこかで止める誰かが」 ブチャラティの言うことが、私にはいまいち理解できず、私は首を傾げた。 フーゴは別に、ひとりでも大丈夫な人間かと思っていたのだけれど。 「……私には、わかりません」 「そうか。なら、理解する努力をしたほうが良いのかもしれないな」 ブチャラティは立ち上がって、こう言った。彼の言葉が、妙に印象的に思えた。 「それに、君もだ。『自分が必要じゃない』――なんて、思うもんじゃあないぜ」 「ブチャラティ」 私は何か言おうとしたが、急に電話が鳴ったので口をつぐんでしまう。ブチャラティは電話の受話器を取ったので、その間に私は独り、そっと逡巡した。 正直なことを言うと、フーゴに対しての興味は、ある。 彼が何者で、どんな趣味を持っていて、どんな過去を持っているのか。私は、彼のことを何も知らない。何の音楽が好きなのかも、彼の誕生日だって。 そう思ってフーゴの方を見ると、彼は今、ナランチャに勉強を教えていた。その傍らで、ミスタとも会話を繰り広げ、その様子をアバッキオが音楽を聞きながら眺めている。 これが、いつもの光景。何の変哲もない、全くもっていつもの光景だ。 そして。 「あ」 気がついたら、フーゴはナランチャに対して『キレ』ていた。そこからナランチャもナイフを取り出し、殺し合いに発展しようとしている。それを、誰も止めようとせず、半分呆れ顔で眺めるだけだ。 それを見て、私は思う。彼はいつ、どんな時に、キレるのだろう。 少年は今――何に対して、ここまで怒りを表しているのだろう。 何だか無性に、それを知りたいと思った。彼の内面に触れてみたいと、そう思ったのだった。 だから、私は―― 「いったい何の用です? ナマエ。こんなところに連れ出して」 それから少し、後のこと。 私は、話があると言って、フーゴを外へ連れ出したのだ。フーゴは少し不思議そうな顔をしているものの、平然とした顔を見せている。 わからない――私には、彼のことがわからない。 今、平然と穏やかな顔をしているたった十六歳の少年が、おぞましいほどの獰猛な一面を持って残酷に人を殺したことなんて、嘘みたいだった。 不気味さを感じつつ、私は口を開く。もしかしたらキレられるかもしれない、そんな危機感も感じていたけれど――私は、私の中の探究心に、どうしても抗えなかった。 「単刀直入に言うけれど、フーゴ、私の恋人にならない? あなたのことが知りたいの」 だから私は、こんな無茶な要求をしてみせたのだ。 「は……?」 言っている意味がわからない、と言わんばかりにフーゴは目を見開く。 私はまず、そんな彼を見て――『怒らなかったな』と思った。 キレなかったな、と。 「あなたのことが、知りたいのよ。私はあなたのことを、全然知らないから」 私は、あなたがどうしてキレるのか、知らないから。 「あなたのことを知るには、あなたと一番深い相手になるのが一番でしょう」 「だからって……」 フーゴは顔を顰めているが、『キレている』ようには見えない。否、もしかしたら今にも爆発しそうな怒りを、堪えているだけなのかもしれないけれど。 ギャングという身分で、しかも同じチームの中で、恋人になるということ。 それは、生半可な覚悟でできることではない。『知りたいから』という理由だけで、恋人になるということを申し出るというのは、馬鹿げた考えにも捉えられるだろう。 なのに、彼はキレないで、難しそうな顔をするだけだ。フーゴの表情に込められた感情は、怒りを抑えるものなのか、それとも全く別のものなのか。 嗚呼、やっぱり。私には、この少年のことがわからない。 「普通、こういうのは、お互いが好き同士で、覚悟を持った上のもんじゃあないのか。見たところ、ナマエ。君の動機には、その二つともあるとは思えない」 「それでも、私はあなたのことが知りたいわ」 フーゴは、目眩でもしているような表情で顔を伏せる。そんな彼に、私はもう一押し、言ってみることにした。 「私はあなたのことが知りたい。だけど、それだけじゃああなたに申し訳ないから――そうね、精一杯あなたに尽くすくらいのことはするわ。悪くないんじゃない?」 私の言葉に、ぐ、とフーゴの手に力が込められた。『キレる』前兆か? とも思ったけれど、彼はやっぱり、振り絞るような声で言うだけだった。 「悪いけど――ぼくは、そんな理由でひとりの人間と深い仲になるなんて、ごめんだ」 フーゴはハッキリと、拒絶の声をあげるだけだった。それを聞いた私に起こった感情は、「当然か」という納得なのか。 それとも。 「そう。そりゃあそうよね。ごめんなさいね、変なこと言って」 「いえ……」 頭が良いからなのか、それとも違う理由からなのか。ただ、私が愚かだっただけなのか。とにかく、私の『恋人にならないか』なんて申し出を、彼は拒絶で応えた。 もしかしたら彼は、恋愛事が苦手なのかもしれないし、そうではないのかもしれない。彼が拒絶したのは、彼には常識があって、私にはそれがなかっただけなのかもしれない。 結局は、この質問とその答えにより、彼の何かが決定的に理解できた、というわけではなかった。もちろん、彼のキレる沸点というものも。むしろ、余計わからなくなったような気もする。 だけど。 「気にしないでください、ナマエ。ぼくも別に、気にしませんから」 フーゴがこんな誘いには乗らず――紳士的に対応したことだけは、わかった。軽い気持ちで乗らずに、かといってキレることもなく。 「分かったわ。悪かったわね」 今日のところは――それだけ分かっただけでも、十分だったのかもしれない。 だけど。自分の心になぜか、ふと寂しさを覚えてしまったことには、気がつかないフリをした。 「ほらナマエ、行きましょう」 そしてフーゴは、ケロリとした顔で歩き出した。今、仮にも女の子の誘いを振ったとは、とうてい思えないくらいに。 その背中をぼんやりと見送りながらも――私は、その後ろにそのまま付いていくことには、少し抵抗感を覚えてしまう。 結局、フーゴのことがわかったような、わからないような。何かが引っかかっているような感覚に、私は内心頭を抱える。 この人と一緒にいても、この人のことは結局、わからないかもしれない。 そこまで考えて、私はかぶりを振った。これで良いのかもしれないと、納得しようとしながら。 「ナマエ、どうしたんです? 立ち止まって。早く行きましょう」 「……ええ、分かってるわ」 少し離れてしまったフーゴの姿に、慌てて追いつこうと駆け足で行くと、ふと沸き上がる感情があった。 私は、この人のことを知りたいと思っている。それだけは、自分の感情も理解できたのだけれど、これはきっと、それだけじゃない。 それは、それは――私はもしかしたら、フーゴに対して、興味以外の感情を抱いてしまっているのかもしれない。 そういった考えが、チラリと脳裏に浮かんだけれど――私は、その考えを、頭から打ち消した。 それを自分の事として理解し、受け入れるにはまだ早い。そう思ったから。 彼のことと一緒に、自分の感情すらも少しずつ理解していけば良いと。そう思いながら、私たちはみんなのいる場所へ戻る。 私たちにはこれからも、一緒に過ごしていける時間が、きっとあるはずだから。 一緒に仕事をする時間が、これからもあるはずなのだから――
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