あなたに綴りたいこの想い

「露伴先生、こんにちは。今日はオフなんですか?」  それは、大学受験勉強の気分転換に外に出たときのこと。  たまたまカフェ・ドゥ・マゴに寄ったら、岸辺露伴がコーヒーを飲みながら、何かスケッチしていた。  熱心にスケッチしているように見えるから、お邪魔かもしれない。そうも思ったけれど、どうしても彼と話をしてみたかったので、意を決して話しかけた。  彼の漫画の一読者として、一ファンとして。漫画家としての彼に興味があったから。  だけど、それだけではない。私は、露伴先生と知り合って以来、彼のことが好きだったのだ。  彼の反応を、ちょっぴり緊張しながら待つ。すると露伴先生は、少し間を開けて、紙とペンに向き合いながら言葉を紡いだ。 「オフ、ねえ……。確かに今週分の原稿はもう描いたし提出した、それに今は特にアポを取った取材や遠出をする予定もない。君の言う『オフ』に当てはまるかもしれないな。だが、この岸辺露伴に言わせれば、『漫画家に真のオフは存在しない』」 「……? というと?」  首を傾げて彼の言葉の続きを待つ。彼の言っている意味が、よくわからなかったからだ。  岸辺露伴は、力を込めて言葉を続けた。 「ネタというものは何気ない日常にも転がっているんだ、そして漫画には『リアリティ』が必要だ。あえて普段通りの日常を過ごすこと、友人たちと会話すること――それも立派な『取材』になりうる。最も、この岸辺露伴は、基本的には友人など必要にしていないが。ああ、もちろん頼りにしている親友はいるがね」 「なるほど……」  康一くんのことだな、と苦笑する。変人で人嫌いの彼が親しくしている相手として、私達の間で康一くんは有名人だ。  それにしても――彼のこの反応だと、私との会話を歓迎しているのかそうではないのか、いまいち判断し難い。彼の価値観を知れること自体は嬉しいのだけど。  露伴先生の様子を窺いながら言葉を探していると、彼はふと、こんな言葉を漏らした。 「だが、まあ。先ほど言ったように、特にこれといった予定がないことも事実だよ」  え、と思わず彼の顔を見る。すると露伴先生は、じっとこちらを見つめていた。 「人間関係は煩わしいし子供は嫌いだが、時に読者の声を聞くというのも漫画家にとって大事な事だ。今どきの女子高校生の意見というものも、一応聞いてみたいところだしな」  彼の顔は真剣だった。その眼差しに、思わず胸が高鳴る。  それは――漫画家としての、誇りを持った男の顔だった。 「ぼくは結構、きみのことは気に入ってるんだぜ。苗字名前」  恐る恐る、彼と相席する。緊張しつつも私は、とりあえず話題を出してみることにした。 「漫画家は読者の声を聞くことが大事、でしたよね。なら、ファンレターとか持ってるんですか?」 「もちろん目を通しているし、保存もしているよ。内容も覚えている。神経質そうな字で『気持ち悪いよ、アンタの絵!』とか書かれたファンレターは傑作だったね」 「それ、ファンレターなんですか?」  この人根に持つタイプだな、と思う。でも、そうやって彼の話を聞くのが、なんだか楽しい。  そうして彼の話を聞いていると、露伴先生は突然、こんなことを言い始めた。 「それより『取材』だ。あー、その、最近きみ、ちょっと色気づいてきたんじゃあないのォ? 彼氏でもできたのか?」 「え!? そ、そう見えますか?」  思わず驚いて、そしてドキドキしてしまう。  だって、私が好きなのは露伴先生なのだから。アピールも兼ねて、つい張り切ってしまう。 「残念ながら彼氏はできてませんけど……今はアピール中といったところで。頑張ってるつもりではあるんですけど、ま! 今のこの関係性でも、今のところは充分というところですね!」 「……その話、長くなるかい?」 「聞いてきたのは露伴先生の方じゃないですか!」  そうやって少し怒りつつも、呆れたような表情を見せる彼を見て、あまり面白い話ではなかっただろうかと反省した。  ……確かにこれは、取材としても良くない話題だったかもしれない。  露伴先生の漫画に、恋に恋するような少女は出てきそうにないのだから……。  気を取り直して、私は話を仕切り直そうとする。  彼はさっき、最近の女子高生の意見を聞きたい、なんて言っていた。……だけど、私にその役割が果たせるのだろうか? 「うーん、最近の女子高校生と言ってもですねー……。私、受験生ですし、そんなに遊んでいるわけではないんですよ。今日はたまたま、気分転換に外に出ただけというか」 「ああ、そういえば君、受験生だったな。ぼくは十六の頃から漫画家だから、大学受験というものをしたことはないが」 「先生は大学に入ろうとは思わなかったんですか?」 「思わなかったね。知識を得るのは必要だが、大学が勝手に組んだカリキュラムに従って勉強するなんてまっぴらさ。わざわざ大学に入らなくても、勉強は自分でできる」 「へぇ~っ。でも、露伴先生と一緒に大学行けたら楽しそうだけどなあ」 「……君、勉強したくて大学に行くわけじゃなくて、遊びたいから大学に行くタイプか?」 「決めつけないでください! 私にだって、やりたいことはあるんですよ!」 「へェ。ま、せいぜい頑張りなよ。それもまた、学生の特権だからな。ぼくは漫画さえ描ければ、それでいいが」  ……本当に、これで取材になっているのだろうか? でも、こうやって露伴先生と雑談するのは、やっぱり楽しい。  それに、心なしか露伴先生も楽しそうに見えるし――これでいいのではないか、なんて思った。  それにしても、露伴先生と大学か。軽い気持ちで言ったことだが、そんなことがもしできたら楽しいだろうな、なんて思う。  それに。憧れのキャンパスライフで恋愛なんて、漫画のネタにならないだろうか。……一瞬だけそう考えて、慌ててその考えを打ち消す。  恋に恋するような女の子が、ピンクダークの少年に出てくるイメージは全く湧かない。一切。  ……なんて思いつつ。だけど、気になることはあった。 「ねえ、先生。……先生って、恋愛漫画は描かないんですか?」 「恋愛ィ?」  私がこんなことを言うと、何を言ってるんだこいつは、みたいな顔で見られてしまった。  だが、一応は真面目に返答してくれる。そういうところは、さすがプロといったところだろうか。 「恋愛ねェ。確かに古今東西、恋愛を主軸にしたテーマの作品、人の心が揺れ動くサスペンス作品に傑作は多い――だがな」  そして、露伴先生はじっと私を指さした。その眼差しに、思わずどきりとしてしまう。 「少年漫画の読者はそんなところを見たくて、漫画を読んでいるわけじゃあないと思うがね」 「えー、でも昔から少年漫画にもあるじゃないですか、ラブコメとか」 「なら、訂正しよう。ぼくの漫画の読者は、そんなところを見たくてぼくの漫画を読んでいるわけじゃあない。戦い、心理的駆け引き、ブラフ……。恋愛にうつつを抜かして戦いを放棄するぼくの漫画の主人公を、君は見たいかい? 見たいと言うなら、いくらぼくの漫画の読者とはいえ、君の目は節穴だと言わざるを得ないが」  本当に口が悪いなこの人。そういうところも好きなのだけど。 「うーん、先生ならそれも面白く料理しちゃいそうですけどね。ほら、先生の漫画で恋愛の駆け引きなんて見てみたいなー! ……なんて」 「……君ねェ、いつからぼくの編集者になったんだい?」 「そんなつもりはないですけど……図々しかったですかね、すみません」  呆れたような視線が刺さる。また調子に乗ってしまっただろうかと反省していると、岸辺露伴は静かに言葉を続けた。 「――ぼくは読者に敬意を払っている。全ての読者にだ。君みたいなヤツにだってね。だからといって、君のお願いを聞いてやる義理も無い。サインくらいならスペシャルサンクスだがね」 「えっ、頼んだらサインしてくれるんですか!?」 「……どうも君と話してると調子が狂うな」  しまった。憧れの漫画の先生にサインを貰えると、つい気持ちが上がってしまった。露伴先生の気持ちも考えずに。  どうしていつもこうなのだろう。露伴先生に、そんな顔をしてほしかったわけじゃない。  私は、岸辺露伴が好きなだけなのに。 「……やっぱり私は見てみたいけどなあ、露伴先生の恋愛漫画」  そして、飛び出る言葉はこんなもの。まるで、拗ねた子供のようだ。  そんな私を、露伴先生は観察するように見つめる。そして――彼は、ゆっくりと口を開いた。 「ぼくは別に、何も恋愛自体を否定しているわけじゃあないよ。……そうだな、機会があれば『取材』するのも悪くないかもしれない。だが君は――本当に、それで良いのか?」 「…………」  じっとこちらを見つめる目に、ドキリとしてしまう。そして、本能的に思ったことは――  良くない。そう思った。  私は、岸辺露伴という人間に恋をしている。  彼がどこまで私のことを見通しているのか――それは、私にはわからないけれど。  でも、こういった形でその想いを伝えてしまうのは。私は『違う』と、そう思った。  たとえ、彼に嫌われてしまったとしても。  私が彼の漫画を好きだということは、絶対に変わらないのだから。  彼の漫画が好き。漫画家としての彼が好き。  ……岸辺露伴という、人間が好き。  それでも、私が大学に進学したら、彼と会える機会はグッと減るだろう。  それでも――この気持ちを伝える方法は、あるはずだ。  離れていても、私は彼の漫画を読めるのだし、それに。 「……露伴先生、ファンレターは目を通してるし、内容も覚えているって言っていましたよね」 「ああ、言ったな」 「なら、私が手紙出したら、内容、覚えててくれますか?」 「読者からの手紙となれば、それはもちろん、読むし覚えるよ」 「じゃあ、私個人として、岸辺露伴さんに出した手紙は、読んでくれますか?」 「……内容による。だが、君の書いた手紙くらい読む時間はあるよ。内容を覚えるかどうかは、わからないがな」  フー、と息をつき、露伴先生は立ち上がった。今日はこれでお開きということだろうか。果たしてこれは、彼にとっての「取材」になったかどうかは分からないが――それでも、私は楽しかった。  彼にとっても、少しはそうであればいいなと、そう願いながら。 「先生、いつかファンレター出しますね。けど……いつか、露伴さんにも、お手紙出しますから」 「……楽しみに待っているよ、名前」

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