ジョースター家の男は短命であり、生涯でただ一人の女性だけを愛するらしい。 自分はそれを覆してしまったと、ジョセフ・ジョースターはいつだったか自嘲気味に話していた。若くしての死を覚悟したこともあったが、結局生き延びたと。自分は、生涯で二人の女性を愛してしまったと。 そのように話していた老人の言葉を、私はどうしても、鮮明に思い出さざるを得なかった。 「好きなんだよ、名前のこと……」 型破りな男の息子は、果たして型に嵌った男なのだろうか、それともやはり、型破りな男なのだろうか。 誇り高き一族の血を引く少年からの告白に――私は、すぐに答えることができなかった。 東方仗助のことが好きか嫌いか、と問われれば、もちろん好きだ、と答えるしかない。 そもそも、彼のことが嫌いな人間なんてそういないだろう。一部の変わり者(例えば岸辺露伴という漫画家)や、彼と敵対した者であれば、その限りではないだろうが。 だけど、私が彼のことを好きという気持ちは、限りなく憧れに近かった。同じ学校の女の子たちが、整った顔立ちと優しい性格を持つ彼に惹かれるのと同じように。もしくは、同じ力を持つ仲間として、同じ敵と戦った、頼もしい戦友としての好意として。 だからこそ、そこから一歩を踏み出すなんて、考えもしていなかった。今までの私にとっては、現状を維持することこそが幸福であったのだ。 だけど今、彼の方から一歩踏み込んでくれた。だから私は、このままでいるわけにはいかないし、考えなくてはならない。 彼と結ばれること。それ自体、私と彼にとって幸せな選択なのだろうか。 それに。彼がもしかしたら短命かもしれないということを、私自身受け入れられるのだろうか。 彼の人生で、ただ一人の女になる覚悟は、できているのだろうか。 あるいは――彼が結局は型破りな男であり、それを覆される結果になったとして――私は耐えきることができるのだろうか。 『好きなんだよ』 いくら考えても、答えは出なかった。ただ、彼の言葉が頭に響き、俯くしかなかった。 ただ毎日、ひたすら悶々と考えていても、答えが出ることはなかった。潔く決断して、行動するのが一番だと、分かっているはずなのだけれど。 それでも。どうしても行動することができず、ただいつも、彼のことばかり考えてしまう。彼と一緒に授業を受けている時でも、部屋でひとりでいる時でも。 そして今、雪が吹き荒れる中の帰宅途中でも、彼のこと以外考えられなくなっていた。 傘も帽子も忘れ、私は雪の重みを身体に感じながら、ぼんやりと彼のことを想う。 刺さるほどの寒さにさらされながら、ひたすら彼のことだけを考えていた。そうするしかなかった。 「……あ」 ふと顔をあげると、少し遠くに二つの影が見えた。康一くんと由花子さんだ。声をかけようかとも思ったけれど、二人が手を繋いでいることに気がついたので、やめた。とても邪魔できる雰囲気ではない。 私は見なかったフリをして、そそくさと歩き出した。すると一瞬、二人の会話が聞こえてくる。 「あたし、康一くんにチョコレートを作ろうと思っているんです。康一くんはどんなチョコが好きなの?」 「ええ、本当に? 嬉しいなあ、由花子さんが作ってくれたものならなんでも嬉しいよ」 話の内容から察するに、二人はバレンタインの話をしているようだ。すっかり忘れていたけれど、そういえばもうすぐだったなと、二人から離れることも忘れてぼんやりと考える。 ――バレンタイン……。 今までバレンタインに、誰かにチョコレートをあげたことなんてなかった。だけど、もし。私と彼が付き合ったのなら。 「――ッ」 彼のことがひたすら、頭の中でぐるぐる回る。この寒い中、顔に熱を帯びたのが自分でも分かった。 私は、何をしたい? 彼と、どうなりたい? 『好きなんだよ』 「!」 ふと、彼の言葉を思い出す。私はどうも、たまらない気持ちになって――気がついたら、私は走り出していた。 どうすればいい、どうしたらいい。私は彼と、どうなりたい。 いくら考えど、答えはどこにもなくて――私はいつの間にか、二人の影を追い抜いていた。 「あれ、名前さん?」 康一くんが私を呼ぶ声が、後ろから聞こえてくる。だけど、そんなのも気にする暇なく、私はひたすらに走っていた。 そして私は今、雪が吹き荒れていることも、全く気にしていなかった。 そう。私は今、雪が積もって足場が滑りやすくなっていることも、全く気にすることができていなかった。 「うわっ」 突如襲われる浮遊感。一瞬、何が起こったのかわからなくなる。 そして――気がついたら、私は尻もちをついていた。鈍い痛みが、身体に走る。 ああ、そうだ。私、滑って転んだんだ。 それを理解したとき、私は座り込みながら自嘲した。私は一体、何をしているんだろう――と、やけに冷静になる。 情けなさを振り払うように、勢いよく立ち上がろうとしたとき――不意に、私に対して低音が降りかかった。 「名前?」 それは、今最も会いたくて、最も会いたくなかった人の声だった。 「……仗助!」 彼は傘をさしながら、私のことを見つめていた。その、いつもと変わらないまっすぐな瞳に見つめられることが、今日に限っては私の心を見透かされているみたいで、無性に恥ずかしかった。 私は羞恥心に襲われて、立ち上がることも忘れて俯いてしまう。 「おいおい、大丈夫かよ。怪我はないか? ほら、掴まんなよ」 仗助はそんな私の様子を、怪我をして動けないとでも思ったのか――ゆっくりと、私に手を差し伸べた。少し迷ってしまったけれど、私はその手をとった。 手袋越しに、彼の手に触れる。彼の手に直接触れてみたいと、なぜか思った。 「ありがとう、仗助。大丈夫、怪我はないよ」 「そうかよ。気ィつけなよ、走ったら危ねーからよ」 「……そうだね」 恥ずかしさと、気まずさで、どうしても俯いてしまう。俯いて黙り込む私の前で――仗助は、おもむろに手袋を外した。 「名前、頭に雪積もってんぞ」 「え?」 そうだった。重たい雪が降る中、傘もささず、帽子を被ることすら忘れていた。それでは、頭に雪が積もってしまうことなんて、当たり前なことだった。 彼の手が、私の頭に触れる。……温かい。 「……ッ」 ちょっと過剰に反応してしまったけれど、彼は私の頭の雪を払ってくれただけだった。 そして仗助は、優しい口調で私に声をかけた。 「ほら、おれの傘ん中入っていきなよ。そんなんじゃ風邪ひくだろ」 仗助の優しい笑顔に――私はドギマギしながら、頷くしかなかった。 近い。 ひとつの傘にふたりで入るのは、こんなに狭く、心地良いなんて知らなかった。雪が吹き荒れる寒い日だというのに、どこか温かさすら感じる。 「雪が降る日に傘を忘れるなんてよォ、結構ドジだなー名前も」 「そんなこと言わなくても。今日の雪は重たいけど、もうちょっと軽い雪だったら傘をささなくても大丈夫なときだってあるし」 「ハハ、冗談だよ」 ぽつりぽつりと、会話が続いていく。自分が何を喋っているのか、いまいちよくわからない。 「でも、雪が降る日に傘は大事なんだぜ? 自慢の髪が崩れたら大変だしよォー」 それもそうね、と私が笑うと、仗助も笑ってくれた。一見いつも通りの会話ができていることに、必要以上の気まずさを感じないでいられることに、少しほっとする。 だけど。そこから、なんとなく会話は途絶えてしまった。 私も、きっと仗助も、次の言葉を探しあぐねていたのだ。次に私が言うべき言葉は、一体何なのだろうか。 ――告白の返事を、するべきだろうか。 でも。私が仗助の告白を保留していても、彼はいつでも優しかった。 だから、私が今この場で返事をしなくても、彼は何も言わないだろう。彼が優しいのは、私に対してだけではない。それはもちろん、わかっている。 でも、だからといって、私はこのままでいるわけにもいかないと思った。図々しい、とさえ思ってしまう――彼のことを受け入れかねている私が、彼の優しさに甘えるなんて。 どうしようかと、彼の方向を見て――私の口から飛び出したのは、今考えていたこととは全く違うことであった。 「……あ、仗助、肩に雪積もってる」 私が告白の返事をしなくても、仗助は、やっぱりいつでも優しい。 「いいんだよ! 名前さえ濡れなければ、おれはそれでいいんだ」 仗助はいつだって、こうやって気遣ってくれる。でも、仗助の傘に入れてもらっているという立場で、彼の告白の返事を保留しているという中途半端な立場で――そのまま仗助の肩に雪を積もらせ続けてしまうというのは、さすがに申し訳なかった。 「……そんな訳にはいかないでしょ」 だから、彼にもっと近づいた。 肩と肩とが、触れ合った。 「えっと、その……」 「あー……」 微妙な空気が流れる。今更ながら、すごく恥ずかしくなっていた。 だけど、それ以上に――ドキドキする。仗助の顔が、身体が、声が――こんなにも近くに感じられる。 嗚呼、この気持ちは。この、気持ちは。 「ねえ、仗助ッ」 私は、自分から発せられた熱をそのままぶつけてしまいたくなって――ほとんど無意識的に、声をあげていた。 短い命に触れるように、一番愛した人を見つけたときのように―― 「私は――」 仗助の顔を見ると、彼も心なしか、紅潮しているように見える。 それは寒さからか、それとも―― 「うわっ!?」 しかし。私が言葉を重ねる前に、私の言葉は、軽い悲鳴によってかき消されてしまった。 また、雪が積もっていて滑りやすくなっていた道で、滑ってしまったのだ。 だけど。今回、私は転ばなかった。 「っ……と! ったく、大丈夫かよ」 「……ありがとう、仗助」 仗助が、当たり前のように手を取ってくれたから。ギリギリのとこりで、転ばずにすんだ。 「仗助、反応早いね。おかげで、助かっちゃった」 彼の手に掴まりながら、私は言う。仗助は私に、笑って言った。 「あたりめーだろ? ずっと見てたから――」 「え?」 ここで、彼はハッと口をつぐんだ。口を滑らせたと思ったのかもしれない。 だけど、私は。 『ずっと見てたから』 私は――彼のこの言葉に、とても自分の心が動かされていることに気がついた。 そして、気がついた。私はやっぱり、この人が好きなんだと。 この人と一緒にいることができるということが、幸せなのだと。 くよくよ悩んでいた自分が、なんだか馬鹿らしくなっていた。 私は、彼の血統がどうであれ、彼が型破りであろうとそうでなかろうと――東方仗助という、ひとりの少年のことが好きなのだ。 それに気づくのは、少し遅かったのかもしれない。だけど、遅くても、確かに気がつくことができたのは幸いだった。 そして私は、照れながらそっぽを向くひとりの少年のことを、とても愛おしいと思った。 一つの傘の下で、二人は並んで歩く。 「名前……さっき、何言おうとしてたんだよ」 「あ、えっと……」 さっき言いかけた、告白の返事。それはもう決まっているし、心はもう決まっている。それを、今言ってしまっても良かったのだけれど――せっかくだから私は、少し先にあるイベントにあやかることにした。 さっき聞こえてきた会話に出てきた、あのイベントに。 「……仗助ってさ、好きなチョコとかあるの?」 「チョコ? なんでまた」 彼はこう言いかけて、それから気がついたようだ。 そう。……もうすぐ、バレンタインデーだ。 「あなたが好きなチョコ、あなただけにあげたいの。だから……その日まで、待ってて」 あなただけに、好きという気持ちを、あげたいから。 私が言った言葉に、仗助はすべて察したようで、彼は顔を逸らす。そしてその後で、仗助はぽつりと、まんざらでもなさそうに返事をした。 雪が降る空の下、一つの傘の下に並ぶ二人。 静かで、狭い世界の中で――少年と少女の心は、確かに寄り添っていた。
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