「まずひとつ。私が言うことに正直に答えてちょうだい」 「嫌だと言ったらどうするつもりだ?」 私が言った言葉を、ディエゴは鼻で笑った。その余裕綽々な態度に、内心苛つく。無理矢理にでも答えてもらうわ、と答えたが、彼はさらに鼻を鳴らしただけだった。 「――じゃあ一つ目。あまりこういうことは言いたくないんだけど、ハッキリさせておきたいの。あなたがお義母様と結婚したのは、……遺産のためよね?」 「まあ、そういうことになるな。オレはむしろ、それに対して君が本当はどう思っているかを聞きたいところだが」 悪びれた態度も取らず、誤魔化そうともせず、ディエゴはハッキリと認めた。肩を竦めたその態度が気に食わず、私は苛つきながらついつい強い言い方をしてしまう。 「私? 今すぐにも離婚して、お義母さまに目を覚ましてほしいと思っているわよ! まあ、無理だとはわかっているけれど」 「……そういうことにしておくか。で、次はなんだ?」 私の答えを聞いても、彼は小馬鹿にしたように笑っただけであった。含みのある言い方に、腑に落ちない気持ちになる。だけど、構わずに次へ進むことにした。 「そういうことにしておくかって……まあ、いいわ。二つ目。あなた、まさか……お義母さまを、殺そうなんて考えていないでしょうね?」 これは、私にとってかなり重要なことだった。 金目当てで若い人が老人または老婦人と結婚する。小説の中でもよくありそうな、ありきたりな話だ。 だけど、その人に毒を盛る、だなんて展開になると話は変わってくる。金目当て、ということで結婚したことを糾弾するのは、もう諦めた。だけど―― 私は、お義母さまに大切に育てられた。物心つく前からずっと、一緒に暮らしてきた。そんな彼女を、出遭って一ヶ月も経っていないような男に殺されるなんてことは、あってはならない。 「フン。殺す、か。それもいいかもな」 「ちょっと、」 感情に任せて、思わず身を乗り出した私を、ディエゴは制した。 「まあ、落ち着けよ。考えてみろ、あの人の年齢、何歳だと思っているんだ? 失礼だが、わざわざ毒を盛る必要なんてないんだぜ。それに、別にあの人のことが嫌いな訳じゃあないからな」 「……ああ、そう。なら、お義母さまのことを殺す気はない、ってことでいいのよね?」 ディエゴは、肯定の代わりに鼻を鳴らした。そして、少しつまらなそうな目をこちらに向けてくる。話はもう終わりか? と言われた気がして、カッとなって次の言葉を吐き出した。 「まだまだ言いたいことは沢山あるのよ。私が『蛇』ってどういうこと? それに私が、あなたと結婚したお義母さまに対して嫉妬している? 馬鹿なことを言わないでよ。なんで、そう思ったのか、理由を聞かせてもらえるかしら」 ディエゴは何か口を開きかけたが、私の口は構わず走り続けた。まだ止まらない。まだ、止まらない。 「それに、……『運命』なんて、胡散臭い言葉を使って、『仲良くしよう』なんて言って……あなた、何がしたいの? そこがわからないわ。それに、今までどうして毎日私の部屋を訪ねてきたのかということも、あとは……」 「何故昨日急にキスをしたか、か?」 急に話に割り込まれ、息が詰まる。落ち着くために二、三回深呼吸をして、肯定の言葉を出さずに頷いた。 「是非、聞かせてもらいたいところだわ。淑女にとって唇の純潔がどれだけ大切なものかくらい、あなたにもわかるでしょう? ――私だって別に、例外じゃないの」 私が畳み掛けると、ディエゴは諦めたように息を吐いた。もしかしたら呆れただけなのかもしれない。 「……へえ、昨日オレのキスを拒まなかった癖に、唇の純潔だの何だの言うのか?」 「違うわ」 さっき、誰も見ていないのに袖で唇を拭った時よりも、大袈裟に拭って見せた。もしかしたら、これで口紅が完全に取れてしまったかもしれない、と思いながら。 これは、拒絶してみせたつもりだった。少なくとも、昨日出来なかった分の拒絶を見せたつもりだった。 でもそれは、この男――ディエゴ・ブランドーには届かなかったようだ。 「……フン。――ナマエ、君が嘘つきな『蛇』だということも、君がこのオレと結婚したあの人に嫉妬しているということも――昨日、君がオレのキスを拒絶しなかったことが答えなんじゃあないのか? どうしてオレがそう考えたかなんて、どうでもいいことだろう?」 「だから、違うって、」 ふざけたことを言う男に対して反論しようとするも、ディエゴに遮られた。言いたいことも言えない気持ち悪さに身体が支配されて、なんだか気分が悪い。 「君と『仲良くしよう』としたのは――そんな君の為さ。なあ、わかるだろう? 君にキスをしたのは、それを確かめたかったのさ」 「……わからないわ。適当なことを言って、誤魔化さないで。私は、白黒つけに来たのよ」 私が強く主張しても、彼は肩を竦めるだけで、はっきりとさせようとする気はないようだった。私が苛立っていることくらい分かっているくせに、男はいけしゃあしゃあとこんなことを言い出す。結局、誤魔化されてしまったのだろうか。 「今のオレにはこれ以上のことは言えないさ。君なら、じきにわかるだろうな。――そうだ、ナマエにこれを渡しておくか」 急に話を変えないで、ちゃんと答えてよ――と言おうとしたが、渡された小瓶が目に入る。何これ、と顔を顰めると、彼はなんでもないことのように告げた。 「これか? 東洋から手に入れた毒だ」 その言葉を聞いて、私は危うく小瓶を落としてしまいそうになる。やっぱりお義母さまを殺すつもりだったの、と呟いた。私の額からは、冷や汗が滲み出ている。――これで、誰かを簡単に殺すことができる。なんて恐ろしいのだろう。 「いいや、殺すつもりがあったのはあの人と結婚する前の話さ。あの人と結婚してからは、別にこれを使う必要なんてないと思ったからな」 「……用済みになったってこと? だからといって、どうして私に渡すのよ」 毒が入った小瓶を眺め、私は恐る恐るディエゴに問いかける。この男が一瞬でも本気で誰かを殺そうとした、と考えると、目の前にいる人間が一気に得体の知れない者のように感じられた。 「まあ、オレはあの人を殺さない、っていう一種の誓いだな」 「……私があなたに毒を盛る可能性は考えないわけ?」 「それも少し考えたがな。だが一つ、『運命』を当ててやろう。『君はオレを殺さない』」 特に顔色も変えず、ただただ平然とこう告げる彼。なんだか私は、ディエゴの掌で転がされている気がして、腸が煮えくり返るような感覚に襲われた。 「……あなたのその顔、気に食わないわ」 「へえ? このオレの顔にケチをつけたのは君が初めてだぜ」 「そうじゃなくて、」 ほら、そんな風に冗談を言う、いつも余裕ぶったその表情。本当の意味で真剣になったのは馬に乗っているレースの時だけだし、お義母さまと話す時には甘い仮面を被っている。私と話す時はいつも平然とした顔を見せている。 それを、崩してやりたかった。ある意味、自分以外の全てを見下しているような男のことを、私の手でめちゃくちゃにしてやりたかった。 私にそんなことができないことくらいは分かっている。でも同時に、彼のプライドを、ほんのちょっぴりでも傷つけることくらい、私にも出来るはずだ。 例えば、予想通りに動くと思っていた女が急に予想外の動きをして、自分に刃向かってきたら―― 私は、ディエゴに急に近づいた。 そして、彼の喉仏に向かって、文字通り噛み付いた。 「――ッ」 彼は、僅かにビクリと跳ね上がる。大きな声はあげなかったが、確実に痛みが彼の身体中を走り抜けただろう。 唇の純潔を奪われてしまった私としては、淑女的な振る舞いとやらも、淑やかさも、全てどうでも良くなっていた。 ただ、彼が少しでも虚をつかれたように目を見開くさまを眺めるのが、愉快でたまらなかった。 「ナマエ、お前……自惚れるのも大概にしろよ」 私が離れると、ディエゴは顔を歪めながら、憎らしげに呟いた。 いつもと少し違う、私を睨みつけるディエゴの瞳。私はそれを見て、ただただ笑った。そして私は、今起こったことがなかったかのように振る舞う。 「――さあディエゴ、もうすぐ朝食の時間よ? 私は先に食堂に向かっているわね」 そう言って私は、図書室の扉を開けて、廊下へと飛び出した。ディエゴがまだ出てきていないことは分かっていた。けれど私は、出てくるのを待ちもしなかったし、振り返ることすらしなかった。まだ有耶無耶になっている部分はあるけれど――それでも、気分は幾分か晴れていた。 「この家を支配するのはこのDioだ。ナマエ――あんな小娘に、邪魔されてたまるか」 男が私の背後で、並々ならぬ野心を込めたであろう独り言を呟いていたのが確かに分かった。 私は聞こえないふりをして、お腹の虫をおさめるために、朝食へと急いだ。してやった、という気持ちと、やらかした、という気持ちが半分ずつ私の中にあった。