「……? いきなり、何を言い出すのよ」 突然、他人に『運命を信じるか』なんて言われたら、たとえそれを言ったのが永遠の愛を誓った恋人だったとしても、怪訝に思うだろう。ましてや、遺産目当てで老婆を誑かしたように思われる、胡散臭い男なら尚更だ。 そして男は、半分私を無視して、平気で最低なことを言い放つ。 「そうだなァ、オレはあの人と結婚したことが運命だとは思わないぜ」 「……やっぱりあなた、お義母さまと結婚したのは遺産目当てなんじゃないの! 今まで何だかんだ誤魔化してきたけど、やっと尻尾を出したわねッ!」 思わず睨みながら立ち上がると、まあ落ち着けよ、と男は悪びれる素振りもなく言った。周りの人たちが私たちに好奇の目を向けている? そんなこと、どうだっていいわ。 「別に、結婚した人が『運命の相手』である必要はないと思うぜ。オレとあの人が結婚したのはそういうことだ。それより、話を続けていいか?」 この男はこれで、誤魔化したつもりなのだろうか。今ひとつ腑に落ちないが、男を睨みつけたまま勢いよく席に座り直した。 「そう、オレはあの人と結婚したことが運命だとは思わない。ただ――ナマエ。君と知り合えたのは、運命だと思っている」 一瞬、喉が詰まった気がした。彼が言った言葉を、上手く飲み込むことができない。だが、なんとか言葉を吐き出す。 「まさか、それで口説いてるつもり?」 男は肩を竦めてこちらを見つめてくるだけだ。なんだか腹が立って、一度回り始めた私の口は走り出し、そして止まらなくなる。 「あなたが言うと、『運命』なんて使い古された陳腐な言葉も、様になって聞こえてくるのね。そうやってお義母さまを誑かしたり、女の子たちを堕としてきたのかしら? 反吐が出るわ」 私の口からとめどなく言葉が吐き出る。自分でも二度と止められない気がするほどに。 「そんな口説き文句を使ってまで、……『私と仲良くなりたい』わけ? なんだか、納得いかないわ」 私がそこまで言ったところで、ようやく男は、ややズレた視点から話を切り込んだ。 「……そうだな、君がオレを嫌っているように見せているのは、オレが君の義母と遺産目当てで結婚した――と、思っているからだろう?」 私の口が一旦、強制的に走るのをやめさせられた。思わず、面食らってしまう。 「……そうよ。本当は、お義母さまがそんな単純な『女』でないことと、あなたが遺産目当てでお義母さまを誑かして、お義母さまと私の平穏を脅かすような『男』でなければよかったんだけれど」 嫌っているように見せている――という言葉が引っかかったが、それはひとまず置いておくことにする。とりあえず、この男が何をしたいかわからないうちは、慎重に言葉を選ばなければならない。 「オレはあの人を愛していない。だが、嫌いじゃあないさ。なあ、それで免じてくれないか」 「……やっぱり遺産目当てなんじゃないの」 もう、いちいち噛み付くことにすら疲れた。ここまでくると、諦めの感情が私の頭を締めてくる。ため息をひとつ付いたところで、ふっ、と言葉がまた、走り出した。 「……ねえ、さっきの『嫌っているように見せている』って何よ。私はあなたが嫌いなのよ。お義母さまを説得するのも、遺産目当てで近づいたあなたを糾弾するのも、もう諦めるわ。でも私はあなたが嫌いなの、それは変わらないわ。私はあなたが嫌いよ」 声に出して、男のことを『嫌い』と言ったのは初めてだったかもしれない。何故だか、物凄い違和感に襲われた。なんだか、喉から出してはいけないようなものを出したような、変な感覚に襲われる。 「それは本当か?」 男は、目を細めて、こう言った。私は、思いっきり顔を顰める。 「本当に決まっているでしょ。私はあなたのことが嫌いだわ」 男はついに、クク、と笑い始めた。私の眉間に、更に力が入る。 「やっぱり『蛇』は嘘つきなんだな、ナマエ」 「……何を言っているか、わからないわ」 「本当は分かっているんだろう?」 何を、と私が呟くように聞くと、男はずいっ、と私に顔を近づけた。知らず知らずのうちに、私は後ろへとのけぞってしまう。 それでも男の整った顔は、目は、口は、私の目の前にあった。のけぞったとしても、お互いの息遣いが聞こえるほど、今の私たちの距離は、近い。 この距離のままで、男は笑いながら、最悪のことを言い出した。 「気づいているんだろう? ナマエ。自分が義母のことを本当はどうでもいいと思っていることも、遺産目当てとかそういうことはどうでも良くって、このオレと君の義母が、君を差し置いて結婚しているのが気に食わないってだけのことも。分かっているんだろう? 自分が、醜く老いたあの人に対して、醜く嫉妬しているだけだということも――」 「――ふざけたことを言わないでッ!」 思わず男の頬を目掛けて、右手が飛び出た。しかし、男はその動きを予測していたらしく、すげもなく止められてしまう。私の手首を掴みながら、男は憎らしいほど表情を変えなかった。そして、ただただ平然とこう放つ。 「フン、図星か?」 その言葉に、サッと血の気が引いた。私には、何も言い返すことができなかった。――この言葉を否定しないといけない、否定しないと、否定しないと―― 「――さて、話は今日のところは終わりとしようか。『我が愛娘の、ナマエ』」 何も言い出せない私を尻目に、男は突然やや軽い調子で、厚かましくもこう囁いた。芝居がかった口調が、どうしようもなく気に食わない。私はとてつもなく吐き気に襲われた。 「……私は、あなたのことが嫌いよ。それは、変わらないわ。運命を信じるか? そんなの知らないわ! たとえどんな運命が私を待っているとしても、あなたのことなんて、何があっても大ッ嫌いよ!」 今思えば、感情に任せてこう言ったのは、今まで生きてきて、一番の失敗だったのかもしれない。 「……そうか」 私が叫ぶように言ったのを聞くと、男は表情を変えずただそう呟いた。そして再度、私に顔を近づけてくる。 「そこまで言うのなら、このオレのことを拒絶してみろよ」 男は更に私に顔を近づける。私には拒絶する暇もなかった。男は接近をやめない。私と彼の唇同士が触れ合ってしまうまで、彼は止まらなかった。 柔らかい感触と、柔らかなぬくもりが一箇所に押し付けられる。目の前が、彼一色だけになる。何が起こったかが分からなくなったにも関わらず、身体中の熱が、顔に一気に集中してしまう。 暫くの間、二人は離れることはなかった。 私は、何故か動くことができなかった。何をされているか、何が起こっているか、全く理解することができない。私は一体、何をしているの? 早く、早く拒絶しないと。この男が言ったことを、否定しないと―― 結局、私は動けなかった。動かなかった。 最終的に先に離れたのは、結局のところ男の方だったのだ。 「これで、運命が変わったな」 呆然としている女を見下し、私のファーストキスを奪ったディエゴは、端正な顔を呆れるほど歪め、ただただ美しく笑った。