34.偽りの契約

「う……嘘だッ!」  ディエゴ・ブランドーが会いたがっている。  その言葉で、この男も言いたいことは分かったらしい。 『ディオぼーや。あの男はそう言ったんだ。このDioのことを、オレの母の誇りを、全て踏み躙るように』  ディエゴは、私の父について――つまり、彼の母親がどう死んだのかを――あまり語ろうとはしなかったが、それだけは独り言のように教えてくれた。彼はそれだけ、私の父を憎んでいた。  私の父はディエゴのことを覚えていたか? ディエゴの母親を死なせたことを。……たとえ忘れていたことがあったとしても、ディエゴ・ブランドーという名前は、このSBRレースが始まって以降、知名度が格段に上がっている。  ならば、きっと覚えているだろう。自分が殺した女の、息子のことを。  自分のことを恨んでいるであろう、ディエゴ・ブランドーという名の男のことを。 「……そうね、嘘よ。実はね、この指輪に誓ったものは、愛なんてものじゃあないのよ。笑えるわよね」  目の前の男がそんな答えを望んでいるわけではないことは分かっている。だが、言わずにはいられなかった。  私とディエゴが、この指輪に復讐を誓ったということは。 「でも、ディエゴ・ブランドーがあなたのことを恨んでいることは事実よ。理由は分かるでしょう? あなたが、彼の母親を死なせたから」 「ち、違う! あの女は病気だったんた、オレのせいなんじゃあないッ……」 「そう? それが事実だとしても、私にとってはどうでもいいことだわ。ディエゴにとっても、きっとそうでしょうね」  事実関係がどうあれ、ディエゴは、自分の母親はこの男に殺されたと思っている。私も、そうではないかと思っている。そこは、変わらない事実だろう。 「でもね、『お父様』。私、実はディエゴのことを恨んでいるの」  この言葉に、父は目を丸くした。どうやら彼にとって、予想外の言葉だったらしい。  そんな彼を気にすることなく、私は言葉を続ける。 「私はあの男に復讐したい。ディエゴ・ブランドーに。その手伝いをしてくれるなら、私はあなたを赦してあげる。幼い私を捨てた、あなたのことを」  本当は、許すつもりなんてないけれど。 「……オレに、何をしろって言うつもりなんだ?」  警戒しながら、男は言う。私はそっと、言葉を続けた。 「簡単よ。あなたがディエゴの目の前に現れるだけ。それだけでいい」 「……そんなことが、一体何になる?」  男の問いに、ふっと息を吐く。  それから――以前から考えていた、この男を唆す言葉を、私は一気に吐き出した。 「あなたがディエゴの目の前に現れた瞬間に、私が彼を殺す。あなたが元気で生きている姿を見ながら、ディエゴは死んでいく。そうすれば、私は彼に対して復讐できると思わない? ディエゴはあなたに復讐したいと思いながら、それが叶わず死んでいくんだもの」  その言葉に、男は考え込むような素振りを見せた。私は、畳み掛けるように嘘の提案を続ける。 「あなただって、ディエゴが生きているのは怖いでしょう? 自分のことを恨んでいる男が生きているなんて、いつ復讐されるかわからないものね。私に協力して、損はないと思うわよ?」 「……確かにそうだが、それでオレになんの得があるって言うんだ」  協力すれば許してあげると言っているのに、この男はそれ以上何を望むと言うのだろう。  まあ、嘘なんだけど。  私は少し考えた。この男を誘き出すには――この方法しか、ないかもしれない。 「……そうね。実は私は、法律上もディエゴと繋がりがあるの。だから私は、SBRレースでディエゴが得た賞金を得るわ。――そのきっかり半分を、あなたにあげる、と言ったらどう? 彼が優勝したとして、ニ千五百万ドルよ、良いと思わない?」  ディエゴがSBRレースの優勝候補者であるということは、この男も知っているのだろう――この瞬間、男の目の色が変わった。 「は……はは……悪くは、ないな……」  男は、焦点の合わない目で乾いた笑いを零す。そんな父親の顔を、私は冷めた目で見下ろした。  彼が本気で悔い改めれば、もしかしたら私は、本当に彼を許せたかもしれない。だが――むしろ、この男のことは絶対に許せないなと、そう思っただけだった。 「じゃあ、決まりね。あなたのこと、レースが終わる頃に迎えに行くわ。優勝した瞬間のディエゴを、蹴落としてやるのよ」  嘘だらけの会話だったが、この言葉は本当だった。この男を連れて、ディエゴを蹴落とすつもりということは。 「ああ、そしてオレは、賞金の半分を貰えるんだな?」 「……そうね。ディエゴは絶対に優勝するわ。復讐が完了したら、私はあなたに賞金の半分を渡します」  父親はにやけ顔を隠しきれていない。  賞金を渡す前に私がこの男を殺すつもりなことも、知らないで。  契約が完了し、私は仮面を被り直して、この街を出ていった。父親に裏切られて刺される可能性も、関係ない男に襲われる可能性も警戒して歩いていたが、無事にこの街を出ることができた。  そして、馬車に乗り込んで帰路につく途中で、私は思う。  思った以上に上手くいった。  もちろん、私が父に話したことの、半分以上が方便だ。  私は父と手を組んだつもりはない。それどころか、私がディエゴを殺す前に、ディエゴがあの男への恨みを晴らす時間をあげてもいいとすら思っている。 「……この指輪に、誓ったものね」  私はディエゴに復讐する。ディエゴは、私に復讐する。  そして二人は、世界に復讐する。  私は、私だけの復讐方法を――既に、決めている。  そのために、父をレースのゴール地点に連れて行くことは必要であった。だから私の父を騙すために、私は父と接触した。それだけの話だった。  全ては上手く回っている。  それでも、空虚な飢えを感じながら私は、どんよりとした空を見上げた。  この空の続く果てで、ディエゴは今、どこを走っているのだろう。私の知らない場所で、一体どうしているだろう。  それは、私には分かるはずもない。それでも、二人が再会して復讐が果たされる日を、ただ祈った。