時間というものは、着々と削り取られていく。 今日の義母は調子が悪そうで、私はベッドで寝ている彼女の傍で看病していた。 ディエゴは仕事があると言って、この家にはいなかったが、それが本当かどうかは知らない。本当に仕事があるのかもしれないが、義母の看病をしたくなかったから逃げたようにも見える。その上で、そんなことはどうでもよかった。 運命の日まで、もうあと数日。 もしかしたら、私と彼女がふたりで話す機会は――もう、これが最後なのかもしれないということの方が、私にとってはよほど重要なことだった。 「ナマエ、ナマエ」 「……私はここにいるわ、お義母さま」 うわ言のように呟く彼女に、私は慈しむつもりで応える。すると義母は、安心したように微笑んだ。 「もうすぐ私も、八十四になるのね。あなたが小さかった頃のことが、つい昨日のように思い出せるわ。立派になったわね、ナマエ」 「……そうね。その日までに、いい知らせを伝えられなさそうなのは、残念だけれど」 私は既に、義母に、ハンス・ポップとの縁談がうまくいかなかった、と伝えていた。嘘の縁談話をでっちあげるのにも、もう疲れていたから。その上で、今の彼女なら、うるさいことを言わないのではないかと、そう思っていたから。 その時の彼女は驚いた顔を見せたけど、あまり深入りはしなかった。残念そうな顔はしていたけれど――もう交流も存在していない男を、彼女の前に連れてくるわけにもいかなかったから、そうするしかなかった。そして、それでいいのではないかと、そう思っていた。 「いいのよ、ナマエ。それよりも――愛娘と、夫に祝われる誕生日。楽しみだわ」 その日に運命が決まることなんて知らずに、彼女は無邪気に笑う。私なんかより、よっぽど無垢に。 しばらく、無言の時間があった。だが、居心地の悪さなんてものはなくて、それは確かに親子の時間だった。 「ねえ、ナマエ。あなたには、『死の恐怖』というものは、あるのかしら?」 ……と思っていた私に、彼女は急にそんな言葉を投げかけた。 急に、どうしたのだ。およそ普段の彼女からはかけ離れた単語に、無性に嫌な予感がする。それでも義母は、穏やかに微笑みながらこんなことを言い始めた。 「ディエゴに聞いたことがあるの。あなたはどうして、こんなおばあちゃんのことを愛してくれるの、って」 冷や汗が流れた。同時に、彼女は今までディエゴの愛を疑うような素振りは一度も見せなかったのだから、正直驚いた。 彼女は愚かに、純粋に、彼の愛を信じ、彼のことを愛しているのだと、そう思っていたから―― 「彼は少し困っていたわね。それも当然ね、彼は私のことを愛しているなんて言うけれど、それが嘘なんてことは、ずっと前から知っていたもの」 彼女が何を言っているのか、即座には理解できなかった。義母は、ディエゴの愛が偽物であるということに――最初から、気がついていたとでも言うのか。 ……こんなことを私に言って、彼女は今更、どうしようと言うのだろう。私の義母は――これから、どうしたいと言うのだろう? 「あなたには心配かけたかしらね、ナマエ。だけど、老い先短い私には、彼に愛を囁かれるのが心地よかった。女として愛される喜びを思い出させてくれる、美しい嘘だった。……私は、あなたにとって良い母親にはなれなかったかもしれないわね」 「お義母、さま」 「愛しているわ、ナマエ。私は、あなたの母親になれて、嬉しかった。幸せだったわ。……ごめんなさいね」 私は即座に、「私も愛している」と言いたかった。だけど、何も言えなかった。 育ててくれた彼女に感謝しているのは間違いない。彼女を好きであることも間違いない。だけど、愛していると口に出すことは、どうしてもできなかった。 だって私は――彼女の運命を、握ってしまっているのだから。 哀れなひとだと思っていた。何も気がついていないと、そう思っていた。 だけど、彼女はまさか――何かに気がついているのだろうか。 そんなはずはない。私が何をしようとしているのかなんて、知るはずがない。彼女の幸せを、できるだけ静かに終わらせようとしていることに、義母が気がついているはずなどないのだ。 私は、何か冷たいものを首筋に感じながら、私達の運命を握る『あるもの』の存在を思い出していた。 私達の運命を、私の選んだ選択肢のことを。 引き出しの中にしまい込んだ、三人分の毒薬のことを。