10.舞踏会にて

 朝食のスープを啜っている時、私とディエゴは互いに平然とした顔をしていた。  だけどその胸の内に、それぞれが殺意にも近い感情を秘めていたことを、お義母さまは知るはずもなかった。  哀れな老婦人は、そんな私たちのことを気にかけた様子もなく、唐突に私に告げる。 「ナマエ、あなたに手紙が来てるわ。『ナマエ・ミョウジ様へ』……社交界の招待状、ね」 「あら! 舞踏会も開かれるのよね?」  私は、若い男女がお見合いの場として出逢いを求める、舞踏会のことを期待してお義母さまに聞いた。彼女は頷く。 「当然。あなたもそろそろ、結婚相手に目星をつけておきなさい。じゃないと、私みたいに幸せにはなれないわ」 「そう、かしら……。まあいいわ、ありがとうお義母さま」  お義母さまは、私の言ったことを恐らく違う意味で捉えているのだろう。結婚しないと幸せになれないわよ、なんて熱弁し始めている。私のことを想ってそう言っているのは分かっていたけれど、どうも『金目当て』だとハッキリ宣言された身としては、どうも苦笑が飛び出てきそうだった。  お義母さまが本当に幸せなのかは、私には判断出来ない。私に言わせてみれば、彼女は幸せではない。だけど同時に、お義母さまにとっては幸せなのかもしれない、とも思った。私からして見れば彼女が幸せではなくても、何も知らないお義母さまにとってはきっと、幸せなのだろう。  ちら、とディエゴを伺うと、彼は何かを小馬鹿にしたような色をした目を細めていた。彼の作り笑いは、最初にここへ来た時よりも上手になっている気がした。 「大体、十六歳で初めて社交会に出席したのに、あなた、まだ相手の目星すら付けてないなんて。流石に良くないわ」 「……なかなかいい男性の方がいらっしゃらないのよ。仕方が無いわ」  お義母さまから目をそらす。実際、何度か社交界には招待されたが、いい男なんてなかなかいないのだった。  顔は良くても招待客の中では裕福ではない方の人。裕福であっても二十以上年齢の離れている人。礼儀のなっていない振る舞いをする人。そんな男ばっかりだ。そんな風に選り好みしていたら、本命の相手も何も無い。それこそ、私を見つけてくれる王子様なんて、どこにも―― 「まあ、いいわ。でも、今まではあなたのペースでのんびりさせていたけれど、そろそろ決めておきなさいよ、いいわね」 「わかっているわよ」  私は嘘をついて、飲み物を口に運んだ。  ディエゴは口を挟まなかった。 「なあナマエ。君、前から思っていたんだけど、演技が上手だよな」  部屋に戻ろうとする道すがら、ディエゴに話しかけられた。正直、少し意外な気持ちになる。朝食前にあんな風に言い争ったのだから、暫くは警戒して近づいてこないかとも思っていたのだけれど。  もしかしたら、離れることが警戒という訳ではなく、敢えて近づくことこそが、彼にとっての警戒なのかもしれない。 「――演技? 何のことかしら」  わざと、白々しく『演技』する。もうこの男の前で、淑女らしい振る舞いをする理由はない。この男は、私から合意なしで唇の純潔を奪ったのだから。 「オレ相手だけじゃあなく、あの人と話してても、君が『演技』をして、無理に淑女らしく振舞っていることが良くわかる。流石は、『蛇』……ってところか? なあ、ナマエ」  そう言われ、思わず彼の瞳をみつめる。それは以前の様に、油断しきった色を持っていなかった。 「前から思っていたんだけど、あなた、何故私が淑女的な振る舞いが大嫌いって見抜いたわけ? 今までそんなこと、誰にも言われたことなかったのに」 「簡単さ。オレも、演技は得意だからな。演技してるヤツのことなんて、その目を見ればわかるさ。――じゃあオレは部屋に戻る。また後でな、お嬢様」  そう言ってディエゴは自身の部屋の方へと戻っていってしまう。彼が今の会話で何をしたかったのか? それはよくわからなかった。 「ふん、参ったわね」  はあ、とため息ひとつ。彼のやりたいことはよくわからなかったが、一つわかることがあった。  ディエゴは今までのように、慢心して私のことを見たりはしないだろう。きっと今まで彼は、少し油断して私のことを見ていたはずだ。だけど今日、あの一件があってから――彼は、私に対しても油断せずに行動することになるだろう。なんだか、今まで以上にやりづらくなりそうだ。  そう、彼はきっと、飢えた爬虫類。飢えて獲物を狙い撃つ、それこそ彼の言うところの『蛇』。 「蛇、ねえ。やっぱり私に言わせてみれば、あなたの方がよっぽど蛇だわ。爬虫類のような、狙った獲物を確実に仕留めようとする目」  この言葉は誰にも届かず、空気の中に消えていった。  数日後、社交界が開かれた。勿論私は――使用人が付添うとはいえ――一人で行く。ディエゴもお義母さまもいない空間では、いつもより自由になれた気がした。  まず、テラスで行われる午後のお茶会で、女性の『お友達』とお喋りする。だけど、やれ最近デビューしたばかりの男の顔がいいだのなんだの、私にとってはかなりどうでもいい話ばかり。正直退屈だった。  それよりも私は、夜の舞踏会で『王子様』のような人と出会いたかった。けど、今回もあまり期待していない。――夢ばかり見ていないで、少しは現実を見ながら結婚相手を探した方がいいのかもしれない。いつの間にか、選り好みできない年齢になってしまいそう。『壁の花』扱いされるなんて、絶対嫌だった。  そんなことを思いつつも、私はにこやかに笑いながらお喋りをするのだった。変なところでしくじって、二度と社交界に招待されない、なんていうのも嫌な話だったから。  でも正直な話をすると、彼女たちの話の内容は全く聞かずに適当に相槌を打ち続けた。そして、適当なところで質問したり軽いジョークを挟めば、会話は成り立つ。人間関係なんて、案外そんなものなのかもしれない、なんて考えてしまっていた。  暇で暇で死にそうになりそうでいると、やっと夜が更けてきた。  そこで、やっと建物の中に入って、音楽と共に踊り出せることになった。少し待っていると、男に話しかけられる。 「踊りましょう、お嬢さん」 「喜んで」  彼に誘われたので、そっと微笑んで彼と踊り始める。――この男とは、前も踊ったことがある。確か顔は良いが、礼儀のない振る舞いをしたことがあった男。この男との出遭いもまた、最悪だった。むしろ、この男がまだ舞踏会に招待されていたことに驚きだ。――こいつは、言うまでもなくナシ。  踊る相手が次々と変わっていく。あまり変わり映えしない相手ばかりだ。見たことがあったり、見たことがなくても容貌からしてパッとしなかったり。  こういった人ばかりなら、ディエゴの方がずっと良い――と一瞬考えかけて、慌てて頭を振った。今、私、何を考えた? 「一緒に踊っても? 可愛らしいお嬢さん」 「えっ!? あ、失礼……。勿論よ、素敵な方」  少しぼんやりしていたところで話しかけられ、思わず驚いてしまった。そこで慌てて取り繕ったけれど、少しわざとらしかったかもしれない。だけど彼は、気にした様子もなく微笑み、優雅に踊りをエスコートした。良かった、と内心ホッとする。  そこでようやく気がついた。この男はきっと、午後のお茶会で『お友達』が、噂していた人だ。顔はそこそこ良いし、馬の腕も悪くないらしい。彼とはまだ、一度も会った人がなかった。――『王子様』というには決め手に欠けるけれど、なかなか悪くない人材かもしれない。 「ねえ、君の名前を教えてくれないか? 僕はハンス・ポップ」 「ナマエ、よ。ナマエ・ミョウジ」  私たちは踊りながら囁き合う。この空気はもしかしたら、なかなか良いのではないのだろうか。今まで踊ってきた人の中でも、かなり印象が良い。 「ミョウジ家のお嬢さんか。君に会えて光栄だよ。君の瞳も、君の名前も、宝石のように輝いていて素敵だ」 「あら。お世辞が上手なのね、ハンス・ポップ」 「お世辞なんかじゃあないさ」  最近社交界デビューしたという、噂の彼は、口先が特段上手いらしかった。彼と踊りながら、こっそりと品定めをする。――お世辞が上手な唇。全体的に悪くない顔立ちと、エスコートするにも紳士的な態度も崩さないその振る舞い。あくまで噂を聞く限りだが、家柄も馬もそこそこ良いと言う。  王子様、にはならないかもしれないけれど、もしかしたら私は、彼を愛することができるかもしれない。いつ会えるか分からない、もしかしたら出会えない王子様を夢見るよりは、この『ハンス・ポップ』と語り合って踊る方が良いのかもしれない。  一応、この名前は忘れないでいよう、とそっと頭に刻みつけた。  けどやっぱり――私の人生において、誰かとの出遭いは最悪なものであることに、変わりなかったらしい。それを今の私は、まだ知らない。