おれの恋人、ナマエはいつも一生懸命だ。 恋人であり波紋の修行の妹弟子、ナマエ。 彼女も家族を、両親をあのコロッセオ地下の壁の中の生物に奪われた。 おれがそんなナマエを愛したのは、傷の舐め合いに過ぎないのだろうか。 ナマエと初めて出会ったとき、彼女は世界で一番寂しそうな顔をしていた。少なくともおれには、そう見えた。 「シーザー、お疲れ様」 修行終わり。おれの寝泊まりしている部屋にやってきたナマエは、屈託なく笑いながらおれの名を呼ぶ。 ナマエはよく笑う。それは、光のようで、太陽の光を浴びて虹色に輝くシャボン玉のようで。だけどそれが脆く儚いものであるということは、おれだけが知っている。 「ああナマエ、お疲れ。無理してないか?」 「無理はしてないよ。私、元気だから」 そう言いながらも、ナマエはおれにもたれ掛かってきた。そして、ため息まじりに呟く。 「でも、ちょっと疲れたかも」 「……あんまり、根を詰めすぎるなよ」 そして彼女の髪に触れた。そのまま頭を撫でる。壊してしまわないように、そっと。少しずつ強くなってはいるが、最初に出会った頃に彼女が纏っていた寂しさを思うと、力強く抱きしめることもできなかった。壊してしまいそうで、怖かった。 泣きたくなるくらいに。 しばらくの間そうしていた。そんな中、彼女はぽつり、声を漏らした。 「ねえシーザー。私たち、いつまで修行を続けなきゃならないんだろうね」 ナマエが弱音を漏らすのは珍しい。そんな彼女と目を合わせ、おれはしっかりと自らの決意を告げる。 「……強くなるまでだ。強くなって、仇を討つんだ。奴らを倒す、その日まで……」 自分に言い聞かせる言葉でもあった。おれたちは強くなって、仇を討たなければならない。 おれにとっては祖父と父の無念を、彼女にとっては両親の無念を。それまではナマエと共に強くならなければならない。強く強く。 ナマエは弱々しく呟いた。 「シーザー。私たち、全てが終わったら、その時は幸せに暮らせるよね?」 「ああ、二人きりで。それがおれの夢だ」 そして明るい家庭を築こう。他でもないナマエと。それが夢。 おれたちはしばらく見つめ合う。そしてふと、彼女は表情を緩めた。 「その言葉が聞けて良かったよ。私、シーザーがいるから頑張れる。いつか、シーザーと家族になれたらいいな」 そして彼女は笑う。その笑みの中には、儚さの中に確かに強さがあった。 自分の弱さを認め、それを強さに繋げていく。おれはそんなナマエのことを、世界で一番綺麗だ、と思った。 「だからシーザー。浮気はしないでよね?」 そして彼女は冗談混じりといった口調で言う。だがおれは、大真面目に答えた。 「しないさ。おれにはもう、ナマエしかいないから」 「調子のいいことを言って……。前には、シーザーにたくさんガールフレンドがいたの、知ってるんだからね?」 ナマエはどこかじっとりとした口調で言うが、おれは再び、真面目に言葉を重ねた。 「今はいないさ。誓って本当だ」 「そうなの? シーザーって女の子を傷付けないように、嘘なんていくらでもつきそうだけど」 ナマエは案外、あまり気にしていなさそうだ。軽い調子で、そんな言葉を紡ぎ続ける。 これがおれの本心なのに。おれにはもう、本当にナマエしかいないのに。 たくさんの女の子に声をかけるのは、ナマエと出会った時点でもうやめにしていた。以前までは、寂しい顔をしている女の子を見かけると、つい声をかけていた。 今は違う。世界で一番寂しそうな顔をしていたナマエの顔を、おれはもう見たくなかった。 たくさんの女の子の寂しそうな顔よりも。おれは、たった一人の目の前の女の子の寂しさを、おれの全てで埋め尽くしてしまいたかった。 「ナマエ。……これがおれの気持ちだ。受け取ってくれるよな?」 「えっ――」 だからおれは、ナマエに口付けた。きょとんとした表情の彼女の唇に、自らの唇を合わせる。 それは何度も行ったもの。だけど、今回はとびきり心を込めた。 ナマエに伝えたいことは、たくさんある。 本当に無理するなよ、とか。おれ以外にはその笑顔を見せないでくれ、とか。 愛してる、とか。 彼女の前だと気障な言葉ひとつ言えやしない。 否、言おうと思えば言える。思いつく言葉はいくらでもある。だが、その言葉を懸命に伝えたところで、ナマエにどれだけ伝わるというのだろう。 だからおれは口付ける。深く深く。言葉より雄弁に語る愛を伝えるように。輪郭が消えてひとつになってしまいそうで、だけど、おれと彼女の間にある輪郭が消えることは決してない。 ああ、心が一つに溶け合ってしまえばいいのに。そうすれば、おれがナマエのことをどれだけ想っているのかということを、彼女に全部、伝えることができるのに。 少しの後、後ろ髪を引かれつつもおれたちは離れる。いつまでもそうしているわけにはいかないから。やはり、名残惜しいけれど。 「ちょっと、いきなりはびっくりするでしょ!」 不意を打たれたナマエは、顔を赤くして軽く怒ってみせる。その反応が、初心に見えて可愛らしい。 「ああ、悪いな。おれがナマエのことを世界で一番愛しているということが、伝わってほしくて」 「そういう気障なことをペラペラ言うのがちょっと胡散臭いの!」 「……本当のことなんだけどな。おれが、ナマエのことだけを愛しているということも、全部」 おれが真剣に本心を言うと、彼女は赤い顔のまま、小さく呟いた。 「……うん。伝わったつもりだよ。シーザーが私を好きっていうこと」 それからナマエは微笑んだ。おれにとびきりの愛を、伝えるように。 「だからシーザー。私の気持ちも伝わったよね? ……私も愛してる、って」 熱っぽく見つめ合う。愛しい気持ちが零れるようで、おれたちは再び、唇を合わせた。さっきのものよりも、深く、長く―― これは傷の舐め合いなんかじゃない。決してそれだけではない。おれとナマエの間に確かに存在する、この愛は。 二人でいれば寂しくなんてない。もちろんおれと彼女の間には仇討ちという別の目標があって、ずっと二人きりでいるわけにもいかない。 それでも。おれとナマエの紡ぐ将来の先にあるものは、明るい未来であるということ。それがおれたちの愛の向こう側にあるものだと、おれはそう信じていたかった。
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