ミスタと文学少女で甘系

 四つ葉のクローバー。  言わずもがな、それは幸せの象徴として信じられている。  実際、私も――昔、たまたま摘み取った四つ葉のクローバーを栞にして、愛用している。この四つ葉の栞は、私に幸せを運んでくれると信じて。  だけど、そのことを――一番理解して欲しい人には、おそらく、理解してもらえない。  それが何だか、無性に寂しかった。  机にしまい込んだ、四つ葉の栞。  幼少期からずっと使ってきた、シンプルで古い栞。これを人前に出さなくなったのは、彼――ミスタと出会った頃からだ。  ミスタは、「四」という数字を異常に嫌う。「四」つ葉を愛用する私と、「四」という数字を嫌うミスタは、馬が合わないかと思っていたけれど――何の因果か、私たちは惹かれあって、恋人同士となった。  そして同時に――臆病な私は、彼に嫌われるのを恐れて、四つ葉の栞をしまい込んだ。  だけど、それでも私は、四つ葉の栞を手放すことができない。――私にとって、四つ葉を手放すということは、幸せを手放すことと同義だからだ。  しかし、本当にこのままでいいだろうのか。私は、本当は、栞を手放したほうが良いのかもしれない。――「四」つ葉が好きということ。なんとなくそれは、ミスタを裏切っているような気分になるのだ。  傍から見れば、くだらない悩みのように見えるかもしれない。しかし、私は本気で悩んでいた。  このままでいても、埒が明かない――そう思った私は、勇気を振り絞って、決心した。  四つ葉のことを、ミスタに聞いてみることにしたのだ。 「ナマエ、なんの本読んでるんだ?」 「ミスタ」  待ち合わせ場所にミスタが来たので、私はそれまで読んでいた本に栞を挟み、本を閉じた。――もちろん、この栞は、四つ葉ではない。飾り気のない、何の面白みのない栞だ。 「この本はね……」  ミスタに少しだけ、読んでいた小説の概略を説明した。秘密を抱える主人公が、想い人にそれを明かして良いのか悩む、そんな物語。  ――なんだ。今の私みたいじゃないか。  声に出して説明してみると、主人公に共感する部分が多いことに、改めて気付かされる。この物語の主人公も、私も――これからどうなるか、全くわからないけれど。 「ふーん」  興味があるのかないのか、ミスタは曖昧な返事をした。そして、途端に話が途切れる。私は思わず、あたふたしてしまった。  ――どうしよう。さっそく、本題に入ったほうが良いのだろうか。でも、これでもし――四つ葉について、ミスタに否定的なことを言われてしまったら?  まだそこまで、心の準備ができていなかった。だから、これについては、後で話そうと思った。  しかし――この話題を後回しにするとなると、私は何を話して良いのだか、わからなくなってしまう。どうしよう、どうしよう、と焦ってしまった。 「じゃあ、ナマエ。とりあえずよ、どっか歩こうぜ」  だから、ミスタが何気なくこう言ってくれて、私はすごくホッとした。  私が黙っていても、彼はこうやって、自然に誘導してくれることが多い――こういうところは、年上の男だな、と思った。  想い人とともに歩き、語り合う。普段ならそれだけで幸せだし、今日だってもちろん、幸せだ。  だけど――四つ葉のことが頭から離れず、ミスタが懸命に話しかけてくれるのに、上手く返答することができない。このままじゃダメだ、と思った。  いつまでもうじうじしていても仕方がない。だから私は、話を切り出すことにした。 「なあ、笑えるだろ? だからよ――」 「ね、ねえ!」  ミスタの言葉を、思い切り遮ってしまった――彼はかなり、面食らったようだ。  ――やっちゃった。  思わず、罪悪感を覚える。だけど、ここで止まるわけにも行かない。私は言葉を続けた。 「ミスタは、四つ葉って、どう思う?」  さっき私が、ミスタの言葉を遮ったときよりも強く――彼は、面食らったように見えた。 「四つ葉……?」 「え、えっとね! 四つ葉って幸せの象徴って言うでしょ? ミスタは四が嫌いって言うけど、もしかしたら四つ葉のことは好きなんじゃないかと思って――」  言い訳にもなっていない弁明を続けながら、何を言っているんだ、と内心、自分自身に呆れた。そして、自分でも何を言っているのか、よくわからなくなってくる。  そんな私の言葉を遮り――ミスタは顔を顰め、低い声で言った。 「あのよ、ナマエ」  それはある種の、死刑宣告だった。 「四つ葉が幸せの象徴なんて、ウソっぱちだぜ!」  私の中で、何かが崩れた。 「……やっぱり、ミスタはそう思うの?」  ああ、とミスタは深く頷いた。そして彼は、淡々と言葉を続ける。 「オレにも、四つ葉は幸運だって、信じていた時もあったさ――ガキの頃だけどな。だけど、『ダメ』なんだ。オレにとって、『四』は、何があっても『ダメな数字』なんだ」  そっか。  そうやって、曖昧な返事しかできなかった。  もちろん、何も知らない、ミスタに非はない――それでも、私の中で、支えになっていたものが、消えてしまったように感じられた。  私のことを不審に思ったのか、ミスタは怪訝そうに私の顔を覗き込んできた。 「で、急にどうしたんだ? 何かあったのか?」 「――ううん、なんでもない」  多分、上手く笑えたと思う。そうじゃないと、困る。  するとミスタは、私のことを気にしているのか気にしていないのか、言葉を続けた。 「それによ――四つ葉が幸せだろうと、不吉だろうとな。そんなもんがなくても、オレは今、十分に幸せだよ。なあ?」  どうして、と聞くと、ミスタは少しだけ、照れくさそうに言った。 「ナマエとこうやって、一緒にいられるんだからな」  その言葉を素直に受け止め、幸せを感じられる単純な自分と――捻くれた見方をしてしまい、素直に喜べない、面倒な自分がいた。  その日はそのままミスタと共に過ごした。その時は多分、いつも通りに振る舞えたと思う。  だけど――自宅に帰ってきてから、どうしても凹んでしまう自分がいた。 「はあ……」  しまい込んだ栞、四つ葉のクローバーの栞。昔から使っていた栞、幸せの象徴だと信じてきた栞。  だけど、今では、醜いものにしか見えなくなっていた。  愛しい人に、四つ葉を否定されてしまった――もう、それは、私にとっての「幸せ」にはなりえない。  これはもう、私に幸せを運んできてくれる、そんな素敵なものではなくなってしまった。 「……ッ」  そんなことを考えていると――気がついたら、四つ葉の栞はゴミ箱の中にあった。  これで良いのだと、心から思った。  だけどやっぱり――どこか、寂しかった。 「あの主人公は、どうなったのかな。想い人に秘密を伝えたのかな、隠したのかな」  さっき読んでいた小説の続きが気になったけれど、どうも読む気にはなれなかった。  それから、少し月日が経った。  四つ葉を手放したところで私は、幸せを捨てたことにはならなかったようだ。今まで通り、ミスタとは楽しい日々を過ごしている。否、なんとか過ごせている。  そう、その代わり――とりたてて大きな幸せも、私にはなかったのだ。  でも、それで良いと思っていた。私は正しいことをしたと、ずっと思っていた。  それでも、四つ葉の代わりに使っている、飾り気のない、面白みのない栞を見るたびに、心が痛んだ。  代わりに使っている栞は、日に日に汚れていくように見えた。  自分の心を見ているようで、嫌になった。  そんな日々が続いていた、ある日のことだった。  今日も待ち合わせ場所で本を読んでいると、ミスタがやってきた。  彼は手に、何かを持っていた。 「ナマエ、これやるよ」 「どうしたの、これ? 開けていい?」  もちろん、と頷いたミスタを尻目に、私はプレゼントの包装をとく。  何だろう。プレゼントを貰ったという喜びより、中身が何だろうという疑問が先立つ。  そして、包装の中から出てきたものは―― 「これって……三つ葉の、栞?」  そう。  プレゼントの中身は、三つ葉のクローバーをラミネートして作られた、栞だった。しかも、シンプルなデザインが、以前使っていた四つ葉のクローバーの栞に、よく似ている。  驚いてミスタの顔を見ると――私がプレゼントの内容に驚いたように見えたのだろう、彼は満足そうに頷いた。 「ナマエがいつも使っている栞、ちょっと汚れてきただろ? だから、作ってみた」 「ミスタが作ったの?」  まず、そこに驚く。そして、そんなところまで見ていたんだと、嬉しい半面、少し恥ずかしかった。  まるで、自分の心の中を覗かれたような気がして―― 「前、クローバーが幸せの象徴とか言ってただろ?」 「……うん」  ミスタが、あの時の会話を覚えてくれていた、ということが少し、嬉しかった。  だけどそれよりも――どうしても、引っかかることがあった。 「でも、三つ葉のクローバーは、そこら中にあるものだよ。四つ葉のクローバは、たまにしか見つからないから、幸せの象徴と言われているけど……。でも、三つ葉は幸せの象徴には……」 「そこら中にある。それが良いんだよ」  ミスタの言っている意味がわからず、私は首を傾げる。そんな私に対してミスタは、屈託のない、素直な笑顔を見せた。 「滅多に見つからねー四つ葉なんかに有難みを感じるよりよォー、クローバー畑、当たり一面にラッキーな三つ葉があると思った方が、幸せじゃないか?」 「ミスタ」  嗚呼。彼はいつも、こういう考えで生きていたのか。  すとん、と、心の中で何かを感じた。納得した、と言ってもいいかもしれない。  そして同時に――ミスタの言葉に私は――どうしようもない愛しさが湧き上がってくることを、心で感じていた。  ふと、放置していたあの本を読んでみようかと、何故か思った。 「ねえ、ミスタ」 「何だ?」 「私、あなたのそういうところ、大好き」 「なッ……なんだよ。ナマエがそう言ってくれるの、珍しいじゃあねーか」 「嫌だった?」 「まさか」  いつもより、ミスタとの距離が近い気がする。物理的ではなく、心理的に。  きっと、これは彼が懸命に歩み寄ってくれたから。そして私が、心から、彼のことを好きだと再確認できたから。  私は、胸いっぱいの「好き」を込めて――彼に、キスをした。  今の私は、誰がなんと言おうと、何が起ころうと――どうしようもなく、幸せだった。  手のひらの三つ葉に、ほんのりと温もりを感じた気がした。

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