ミスタとラッキースケベスタンドに遭遇

 ――何で、こんなことになっているんだろうか。  オレはため息と同時に、どうにか気を落ち着かせながら、思考を巡らせた。  ――本当に、どうしてこんなことに。  文字通り、自分の『上』に倒れ込んでいる少女、ナマエのことを見て――グイード・ミスタはもう一度、深い溜め息を吐いた。  こんなことになる、たった数分前のこと。  そうだ。その時、オレがアジトに戻ると、ひとつの影しかなかった――アジトにいたのは、ナマエひとりだけだったのだ。 「おう、ナマエ。なんだ、おまえひとりか?」 「お、お疲れミスタ。うん、今は私だけだよ」  ナマエの声は、どこか慌てているように見えた。いつもすました顔をしているナマエにしては珍しいと、オレは少し、不思議に思う。 「どうかしたのか?」 「別に、どうってことはないわ」  どうってことはない。それは言い換えるならば、確実に、何かが起こっているということだろう。隠しておきたい、何かが。  どうってことはない――こんな言い方をあえてするのは、隠し事が下手ということか、それとも詮索させる気はないということか。正直なところ、オレにはよくわからなかった。  というのも、オレはナマエのことをよく知らない。オレが、ナマエについて知っていること――それは、最近チームに入ってきた割に、生意気な口をきいて、それでいていつも、やけに冷静なこと。これくらいだ。  そう、同じチーム内にいるというのに、彼女のスタンド能力すら知らないのだ。これは――お互い、全くと言って良いほど、信頼関係を結べていないという証拠だろう。  ここまで考えたところで、オレは思考を放棄した。  ――まあ、どうでもいいか。  ナマエが慌てたような声をあげようと、ナマエが何か隠し事をしていようと、オレには関係ない。別にそれで、オレに不利になることは、何もないのだから。  オレがナマエに背を向け、水でも飲みに行こうとした――その時。  突如。  背後から、派手な音がした。全く予期していなかった、その鈍い音に面食らう。 「おい、どうした」  振り返って、思わずナマエの方を見ると――ナマエが、これまた派手に転がっていた。 「ちょ、ちょっと! こっち来ないでよ」  オレは、ナマエが慌てて言うのを聞いて、言う通りにするような人間ではなかった。  いつも冷静なナマエはこんな時、一体どんな顔をするのか? なんとなく好奇心が掻き立てられ、オレは感情の赴くまま、ナマエの方を見る。  すると――何をどう転んだらそうなるのか、彼女のスカートが捲れあがっていた。特に意識した訳ではないが、どうしても視線はそっちに向かってしまう。  ナマエは慌ててスカートを抑えたが、それでもちょっぴり、中身が見えた。 「見た……?」 「……何を、だ?」 「質問に質問で返さないで」  ナマエは、スカートを整えた後、ふらふらと立ち上がった。だが、またバランスを崩して倒れてしまった。その瞳は、恐らく怒りに燃え、顔は茹でダコみたいになっていた。 「ったく……殺してやるわ」 「オ、オイオイオイオイ。そこまで言うことはないんじゃねーかァ?」  ナマエの言った言葉が冗談には思えなくて、慌てて弁解する。だがナマエは、オレの言葉にも顔色を変えず、淡々と言い放った。――羞恥と、怒りに燃えた顔のまま。 「あなたに言ったわけではないのだけれど。殺してほしいなら、殺してあげましょうか?」 「ハハ、照れ隠しにしか聞こえねえな」 「やっぱり、見たんじゃあないの!」  ナマエは依然、噛み付いてくる。そこまで気にすることかよ、とは思ったが、黙っておくことにした。女の子からすれば、そりゃあ気になるものなのだろう。  だが、オレにはそれよりも――もっと、気になることがあった。 「オレに言ったわけじゃないってんならよ。その『殺してやる』なんてフザケた言葉。……誰に向かって言っているんだ?」  ナマエは一瞬、虚を突かれたように目を見開いた。しくじった、という感情が丸見えだ。  だが、ナマエはそれでも、頑固に隠し通そうとする。 「あなたには関係ない」  ナマエは、また立ち上がろうとした。近くのテーブルに手を置き、よろよろと立ちあがる。  だが、そしてまた、倒れてしまった。再び、鈍い音がした。  何か、おかしい――初めて、そう思った。ここでオレは、やっと――初めて、明確な「違和感」を感じることになったのだ。  どうも、おかしい。生まれたての赤子ならともかく、この年齢にもなって――一度ならともかく二度も三度も、家の中で転ぶなんて――普通じゃない。絶対に。 「……殺してやる」  しかし、こう呟いて立ち上がろうとするナマエに対し、手を貸す気にもならなかった。彼女に手を貸したところで、憎まれ口が返ってくるのがオチだ。  だが、それでも――この言葉だけは、言っておくことにした。 「あのよ、ナマエ」 「何」 「そんな言葉を使う弱虫、この世界にはいないんだぜ」  ナマエは一瞬黙った。そしてまた立ち上がろうとして、転んだ。スカートの中身は、見えそうで見えなかった。 「……別に良いわ、弱虫だろうと」  自覚はあったのだろう。ナマエは悔しそうに唇を噛み締め、こう言い捨てた。 「私が、殺してやると言った相手で、殺しそびれたヤツなんていないもの」  彼女の言葉はただ、虚勢を張っているだけなのか、それとも本心なのか。それすら、オレにはわからなかった。 「ねえ、ミスタ。悪いけど、水取ってくれない。見ての通り、転んでばかりで、喉が渇いても飲めないの」 「水か?」  ナマエは急にこう言い出した。――やっぱり、水も汲めないほど転んでばかりいるなんて、普通じゃない。  怪訝に思いつつ、水を汲んできて、ナマエに手渡そうとした。 「ほらよ」 「ありがとう……って、あッ!」  だが、ナマエはまたそこで、バランスを崩した。上手くコップを掴むことができなかったのだ。  水がナマエにかかって、コップが地面に落ちた。コップは割れなかったものの、重い音がした。 「おい、大丈夫か!?」 「…………」  オレの呼びかけに答えず、ナマエは無言で自分の服を見た。オレもつられて、ナマエの服を見る。  彼女の服が、透けていた。じわじわと、水の模様が彼女の服に広がっていく。普段見えないはずの衣服が、半分見えていた。 「なんなの、もう……」  ナマエは半べそで立ち上がった。こんなナマエを見るのは初めてかもしれないと、呑気にもそう思った。  ナマエの服が、ナマエ自身にぺったりと張り付いている。  ナマエは、落ちたコップをぼんやり見つめている。  ナマエは、ゆっくりコップを拾おうとして――また、バランスを崩して、倒れてきた。  オレの方に向かって。  どうしてこうなったのか。  とまあ、こうやって経緯を思い返してみても――何か変だ、という違和感はあれど――ナマエが覆い被さってきた点については、「事故だ」としか言い様がなかった。  ただ、経緯はどうあれ、ナマエがオレの上に被さっている。それだけは、動かしようもない事実だ。 「オイ、おまえ……わざとやってんのか?」  さっきから、煽るようなことばかりしやがって。  ちょっとしたお遊び、または警告のつもりで、オレは彼女を押し倒し返してやろうと思った。――もちろん、この状況で、本気でやろうとしたわけではないが。  だが――いざ動かそうとすると、なぜだか身体が動かない。 「……え?」  否、動くことには動く。動くのだが――起き上がることが、できない。ぐらり、視界が揺らぐ。  ナマエひとりくらいがのしかかってきた所で、持ち上げられないほどヤワではないのだが。――なんだか、バランス感覚が掴めないような、目が回っているというか、平衡感覚が掴めないというか――そんな、妙な感覚に襲われる。 「……わかった」  困惑するオレを差し置いて、ナマエは、ぽつりと呟いた。 「やっと、わかった……!」  混乱しているオレとは対照的に――ナマエは興奮したように立ち上がった。どこまでも真っ直ぐに。さっきまでずっとふらついていた――そんな違和感なんて、なかったかのように。 「ミスタ、しばらくそのまま転がっていて。立ち上がっちゃあダメよ」 「お、オイ、何をするつもりだ」 「決まってるでしょ」  困惑しているオレの問いに対して、ナマエは――どこまでも毅然とした、どこまでも清々しい笑みを見せた。 「こんなふざけたマネをしたヤツを、ブッ殺しに行くのよ!」  だから、その言葉は使うなって。  そんな言葉、今のオレの口からは、出せなかった。  ナマエが飛び出して出ていったのを見送った後、オレはもう一度、どうにかして立とうとする。だが、うまく立てない。  例えるなら――文字取り、目を回したような感覚。  普通に目を回しただけなら、そんなに長く続く症状ではない。だがそんな感覚が、いつまでも続いている。  こんなの、普通じゃない。だとすれば、考えられるのは―― 「あいつ。……スタンド攻撃を受けていたのか」  薄々、そうかもしれないとは思っていたが。  平衡感覚を失わせるスタンド。だからナマエはあれだけ転び、そして今のオレもうまく立つことができていないのだ。――オレにとって、思いがけないラッキーが何度か起こったのは、ただの偶然だろう。多分。  だが。何故、攻撃対象が、ナマエからオレに移ったのだろう。そもそも、何故ナマエは攻撃されていたのだろう。それから――  いくら考えても、わからない。否、考えられるほど頭がまわらない。平衡感覚が失われるだけで、人はかなり気分が悪くなるのだと、ここで自覚した。  だから、このままでは立ち上がることすらできない。立ち上がってみても、すぐにまた倒れてしまう――地獄のような時間だった。  だが、そんな時間にも終わりは来る。どれくらい時間が経った頃だろうか――不意に、身体が軽くなった。  いくらぼうっとして回らない頭でも、この瞬間、ナマエがスタンド攻撃の主をブチのめしたことくらいはわかる。 「……あいつ」  だが、だからといって、すぐに清々しい気分になることもできなかった。  オレは、この気持ちを、どう表すべきだろうか?  その答えは――どこにも、なかった。 「ミスタ!」  オレが何もせずにぼうっとしていると、ナマエが駆け込んできた。 「いろいろと悪かったわね。本体はブチのめしてきたから、もう大丈夫」  ナマエは、すっきりした顔で笑っている。そんなナマエを見て、オレの頭には、放棄していた疑問が少しづつ湧き上がってきた。 「……なあ。何であの時、攻撃対象がナマエからオレに変わったんだ?」 「ああ。きっと、射程範囲内にいる、頭の低い人物から順番に攻撃していくのよ。あの時、あなたの頭は私の頭の下にあった。正確には違うかもしれないけれど、まあそんなところだと思うわ」  そこで、ようやく納得した。なるほど――ナマエがオレの上に倒れてきたことで、オレの頭は、ナマエの下に移動した。そこで、身長差が逆転した――そういうことだったのか。 「じゃあ、本体に心当たりはあったのか?」 「あー、うん。まあね。中距離型だったらしくて、アジトのすぐそばに居たわ。笑えるわよね、すぐにぶっ飛ばしてやったわ」  ナマエはここで、言葉を濁した。本体は何者だったのか――それを追求してみようと、また質問を重ねてみることにした。 「攻撃される理由の、心当たりはあったのか」 「……まあ、それはいいじゃない」  それでもナマエは、また誤魔化した。  彼女は、未だにスタンド能力を教えてくれない。スタンド攻撃を受けた動機もだ。彼女は、秘密を多く抱え、それを明かそうとしない。まだオレは、信用されていないということだろうか。  そのことを、今までは気にしたこともなかった。だけど今は、それが無性に腹立たしかった。  ナマエはもう、事故とはいえ、見せたではないか。  透けていて一部見えた、普段見えないはずの衣類。捲れ上がったスカートの中身。そして、倒れ込んできたときの、彼女のあの感覚。  そこまで見せておきながら――ナマエはまだ、彼女自身のことを見せてくれない。  オレのことを、信頼してくれない。 「おまえ、何でそんなに隠すんだよ。今更、なんで」  オレが疑問をぶつけると――彼女は、悲しそうに笑った。 「本当は、時間をかけてから見せるべきだったものを、隠すべきだったものを――事故で、一瞬で見せてしまって悔しいの」  オレの問いに、予想もしていなかった答えが返ってきた。彼女の言いたいことが理解できず、首を傾げてしまう。 「どういう、ことだ?」 「……ゆっくりと、ゆっくりと、信頼関係を築きたかった。私の全ては、まだ隠しておきたかった。特に、あなたに対しては」  それは。一体、どういう意味か。  頭の中に思い浮かんだ言葉。それを言っていいものか迷っているうちに、ナマエは言葉を重ねる。 「だけど、良いの。もう、良いの……」  彼女の寂しそうな声。  ナマエの言いたいことが、全てわかったわけではない。むしろ、今でもわからないことのほうが多い。だけど――  オレは少し、ほんの少しだけ、罪悪感のようなものを覚えた。  暫しの沈黙の後――ナマエは、手を差し出してきた。 「…………」 「ナマエ……?」  急に、どうしたのだろう。ナマエの顔を見つめると、彼女は顔を赤くしながら、促すように頷いた。  この行動が正解なのか、わからなかったが――オレは、おずおずと、手を伸ばしてみることにした。彼女の温もりが、伝わった。  二つの手が、ひとつになった。 「……言っておくけど」  ナマエは顔を背けて言った。それでも彼女は、はっきりと口を開く。 「事故なんかじゃない。これは、私の意思だから」  そしてナマエは、ここでオレに顔を向けた。半分泣きそうな顔で、彼女は言う。 「――ねえ、ゆっくり行きましょう?」  これは。――今後の彼女との関係に、期待しても良いのか。それとも、期待しない方が良いのか。  それも、今のオレにはわからない。だけど。  ちょっぴり――希望を持っても良いかな、と思った。

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