「は? お前、グノーシアだったのかよ! カーッ、ヒデぇ嘘つきだわ」 今回は、私たちグノーシア側の勝利。といってもグノーシア側で生き残っているのは私だけだから、「私の」勝利と言ったほうが正しいか。 「うん、そうだよ。この船はもう、私のものだから」 私が淡々と言うと、唯一の人間の生き残り――沙明に恨みがましい目で見られる。 娯楽室。私と沙明は、二人きりで向き合っている。 グノーシアとして勝利したときに、生き残った人間から憎しみを向けられることも……もう、慣れた。 「で? グノーシアのナマエ様がこの俺を消して全部終わりだって? アッハ、笑い話にもなんねェわ」 ぶっきらぼうに言い放たれるその言葉に、沈黙で返す。 正直なところ、最後の一人は消す必要はない。ループの終了条件は既に満たしている。私が沙明のことを消さなかったとしても、私はそのうちループすることになるだろう。そして沙明は生きたまま、この宇宙に独り、取り残されるだろう。 だが私は、こう思ってしまっている――沙明がこのまま一人きりで残されてしまうくらいなら、消してあげたほうがむしろ良いのではないか、と。 もちろんそれは、今回のループの私がグノーシアだから、グノーシアとして思考パターンが強制的に変えられてしまっているから――そんな勝手なことを思ってしまうのだろうけど。 「……グノーシアと人間の数が同数になったとき、グノーシアはすぐに人間を消す必要はないよ」 言葉を選びながら、ゆっくり言う。ループのことを言うつもりはないが、だからといって嘘をつくこともないだろう。 「だって、いつでも消せるから」 だからそう、これもまた真実だ。 私は少なくとも、沙明を今すぐ消すつもりはない。 その後、どうなるかは分からないし、どうするかは、まだ決めてないけれど。 「……ナマエ様の優しい優しいお慈悲で見逃してくれるっつーつもりか?」 皮肉っぽく告げられた言葉に、私は弱く微笑んだ。 「どうだろうね。迷ってるんだ、沙明を消すか、それともこのまま……二人きりでいるか」 ――少なくとも、私がループするまでは。だからこれも、嘘じゃない。 沙明を消すか、それとも消さないまま、二人きりでループを終わらせるか。私がループした後で、彼をこの宇宙にひとりぼっちにさせるくらいなら消してあげようと、グノーシアの本能は囁いている。だが理性は、消す必要はないと思っている。 私は……このループの終わりを、どう締めくくるべきだろうか。 沙明は少し黙った後、唐突にニヤリと笑みを浮かべた。 「なァナマエ。LeViセンセが言ってたぜ――グノーシアってのは、理性のタガが外れやすくなるってな」 その言葉に顔を上げる。その通りだが、急に何を言い出すというのだろう。 「……確かにそうだね。それで?」 「オイオイ、遠慮しなくてもイイんだぜ?」 沙明は一歩、こちらに踏み込んできた。私は動かないまま、彼の瞳をじっと見上げる。沙明は私に顔を近付け、口説き落とすように囁いた。 「この俺が、グノーシアのナマエ様にご奉仕してやるって言ってんの」 少しの間、沈黙が落ちる。そして。 「もしかして、命乞いのつもり?」 思わず笑ってしまった。何回もグノーシアになって、何回も命乞いはされてきたけど――こんな方法で命乞いをされたことは初めてだった。 「んだよ、俺なんか変なこと言ったか? 俺は死なずにヘヴンを見れる、お前もヘヴンにいける、これがウィン・ウィンってやつじゃね?」 少々不機嫌そうに、沙明は顔を顰めてみせた。そんな彼に、私は苦笑で返す。 「……本当に、生き残るためならなんだってするんだね。好きでもない、嫌いな、憎い女のことを抱くこともできるんだ?」 生き残るためなら、頭だって下げる。靴だって舐める。ならば彼は、グノーシアの下僕にだってなるのだろう。 沙明に触れられたい。触れてみたい。そんな欲求は……確かに、ある。だが――抑えられないわけでは、ないのだ。 「……ごめんね。私、そういうことするつもりないから」 だから私は否定する。 少なくとも、ループが終わるまでは。もう恋なんてしないと、そう決めている。 だって、辛くなるだけだから。そんなこと、とっくに知ってるから。 コールドスリープのポッドの中に、二人で入ったことを覚えている。冷たい身体を強く抱きしめたことも。その後で、後悔したことも。 目の前の沙明は、それを覚えていない。 「あー? ナニ遠慮してんだよ。俺はいつでもゥウェルカァーム! だぜ?」 だが彼は結構食い下がって来る。別にそんなことをしなくたって、取って食ったりしないのに。そんなに消えたくないと言うのなら、私の理性が持つ限りは、消さなくてもいいと思ってるのに。消さないことを決意してしまえば、後は理性と、ループまでの時間の問題だから。 「……私のことを嫌いな人と、そういうことしたくないから」 それに、どうせなら、私のことを好きな沙明が良い。ヒトとグノーシアという、憎まれる関係なんかじゃなくて。 いつかループを抜けたとき、そんな日が来ればいいと思う。そしてそれは、今じゃない。 だが私の言葉を聞いた沙明は、呆れたように言った。 「オイオイ、誰がお前のこと嫌いっつったよ」 「え? 嫌いじゃないの?」 驚いて目を瞬かせてしまう。自分を消しかねない人類の敵に、プライドを捨てて下僕になろうとしている。憎くないわけがないと思っていたが。 「いやいやいや、むしろラッキーだと思ってるんだぜ? 問答無用で消されるかと思ったら、むしろ脈アリじゃねーの、ってな。俺ぁ生き残ったし、しかもこれからいい夢見れそうだし。悪いことなんて特に無くね?」 棚からぼた餅がンーフーンってな、と沙明はむしろ楽しそうだ。彼は、グノーシアとしての私のことも――好きなのだと。そう言うつもりなのか。 私の中の欲望が駆り立てられる。消滅させたいというグノーシアの本能とは別の激情。理性がどうにかなりそうになる。こんなの絶対に良くない、分かっているのに、どうして―― ぐらり、と。一瞬、気を失うように理性が壊れた。その隙を狙ったように、彼は、私に触れた。 気が付いたら。私と沙明は、娯楽室のソファに倒れ込んでいた。所謂、押し倒されている状態だ。 眼鏡の奥の、彼からの視線が熱っぽい。その瞳に、熱に浮かされてしまいそうになる反面、やけに冷静になる私がいた。 顔が近付いてくる。過ちを。犯そうとしている。 このままでは――絶対にまずい。 「……忘れちゃうくせに」 口と口が触れてしまう直前、私は、振り絞るように言った。 ――我ながら酷い言葉だと思う。ここまで許しておいて、急に拒絶するなんて。しかもその理由を、話すことができないなんて。 「――は?」 不意を突かれたように、沙明は素っ頓狂な声を上げる。それでも、私の口は止まらなかった。 「ここで何をしたとしても、私だけが覚えていて、今の沙明は忘れちゃうくせに……。無責任なこと、言わないでよ。やらないでよ」 半分泣きそうになりながら言う。自分でも何を言っているのか分からない。でも、自棄になって、流されたくはなかった。 だって、一線を超えてしまうのはどう考えても良くない。一度結ばれたところで、次のループではまたリセットだ。これまで以上に、ループして疑い合い、憎まれることが、辛くなってしまうから。 沙明は心外と言わんばかりに肩をすくめた。 「オイオイオイ、俺が抱いた女のこと忘れるとでも思ってんのか?」 「……なおさら最悪だよ。他の女の子のことは覚えていても、私のことは忘れちゃうんだから」 やっぱりここで、超えるべきではない。それを確信する。ここで触れ合うことができたとしても、ループしてしまったら、次に会う沙明は私のことを覚えていない。 私はもう、彼への恋心を封印しなくては。 「……なんっか話噛み合わねェな。ナマエサンよ、マジで何かあったのか?」 怪訝な表情を見せる沙明に、私は、目を伏せて答えた。 「沙明には分からない。……分からないよ。グノーシアである私の、気持ちは……」 これは半分嘘だった。この気持ちは、グノーシアだからではない。私はループしていて沙明はループしていないという、その差でしかない。そして彼に、そのことを説明することはない。 それがなんだか、無性に悲しくても。私には、何もできなかったから。 「あー……。何か気ぃ抜けたわ」 暫くの沈黙の後――沙明はため息をついて、私から離れた。 私も身体を起こして、恐る恐る呟く。 「……やらないん、だね」 「そりゃまァ、そんな顔してる女に無理矢理やる趣味はありませんからね?」 沙明は私の顔を指差しながら、ニヤリと笑う。 そんなに酷い顔をしているだろうか。いつもとそれほど変わらない表情でいたかったが、まだまだ演技力が足りてないのかもしれない。 「しっかしナマエお前、結構小悪魔タイプだったのな。知らなかったわ」 「えっ、何で?」 「その気にさせておいて、お預けとか……結構キツいんですけど。この借りはいつか……ちゃんと体で返してもらうぜ? ァンダスタァン?」 あくまて何でもないことであると言わんばかりに、軽口を叩かれる。きっと、気遣われているのだろう。そう考えると情けないが、私はただ頷いた。 「うん、そうだね。いつか……返すよ」 それが何ループ先のことになるかは分からないけど。ループが終わったら、いつの日か。沙明には今日のことを謝ろう。たとえ、覚えていないとしても。 そしてもし、心と心が通じ合う日が来るならば、そのときは―― 密かに私がそう決心していると、はァー、と沙明は大きなため息をついた。 「お前さ、自分のことグノーシアだのなんだの言うけどよ……俺には、可愛い女にしか見えねェんですけど」 私のことをじっと見ながら、沙明は言う。その言葉に、思わず面食らってしまった。 何度も何度も繰り返し、人間を消すことに躊躇しなくなってきた。 それでもまだ私は、私でいられるのだろうか。 ――グノーシアは、さして人間と変わらない。いつか夕里子がそう言っていた。 「あはは……そっか。グノーシアになっても、私は、まだ私のままでいられてるのかな」 気が抜けたように笑みが溢れる。 なんだか救われたような、そんな気がした。 「ありがとう、沙明。……またね」 そして別れの言葉。沙明には意味は分からないだろう。きょとんとした表情を見せている。それがおかしくて、私は、こっそり笑った。 そして。私は、何度目かも分からない、ループの終わりを迎えた。 沙明は忘れるだろう。次に会ったときは、本当に憎しみ合う関係になっているかもしれない。 それでも。ループが終わったそのときに、またやり直せることを。私はただ、祈った。
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