旅の終焉

 下船して、二年が経った。  その間、それはもういろいろなことが起きた。  セツを失った私は、まずレムナンと共に、ラキオに同行した。銀の鍵の研究のため、そして別の次元に行ってしまい、ループを繰り返すセツを助けるため。セツを取り戻すことはできなかったが、それでも。あの子のループを閉じることができた。別れの言葉を言うこともできた。だから、後悔はない。  次に向かったのは、惑星ナダだ。またククルシカに会いたいと思って選んだのだが、彼女は既に行方をくらませていた。おそらく、ループしてしまったのだろう。寂しがるオトメと共に、海に潜った。  ナダにある日、黒猫を連れたコメットがやってきた。粘菌を売った彼女は、猫となったシピと共に旅をしているらしい。もうあの頃と同じようには言葉を交わせないシピに、少しだけ寂しくなった。  コメットの船に乗って、ジナとSQのいる地球へと遊びに行った。学校に通っているSQにマナンの影はひとつも感じられなくて、ジナと共に仲良く暮らしている二人を微笑ましく思った。  しげみちも地球の別の国にいると聞いて訪ねたが、いなかった。彼のメッセージを見返すと「オレ、やっぱりリトルグレイだって! 絶対」と書かれていた。何を言っているんだ彼は。  地球にしばらく滞在していると、D.Q.O.がこの星にやってくるとのメッセージがあった。放浪を続けているジョナスに、ステラは変わらず仕えているらしい。しばらくD.Q.O.に同行させてくれと願うと、二人は、特にステラは歓迎してくれた。  色々な人に聞いたが、夕里子の行方は、誰も知らないらしい。彼女は今も、生きているのだろうか。生きていたとしても、夕里子とは二度と出会えないだろう。ただ、そんな予感がした。  私は思った。  この宇宙には皆の未来がある。だからといって――彼らと、永遠に一緒に過ごせるわけではない。  ループしてしまったククルシカ。どこかに姿を消したしげみち。人間だった頃のシピ。誰も行方を知らない夕里子。  むしろ、もう二度と会えない人たちも、いた。  あの永い、永いループも。セツが別の次元にいる今は、私にとってだけの、永い思い出だ。  永遠のような一瞬。彼らにとって私は、ルゥアンでのグノーシア騒ぎの避難に成功して、一時的に共に乗船した同士というだけ。そこまで長い時を、私と共に過ごしたわけではない。  それでも彼らが、ただの同じ避難民以上の好感を私に抱いていてくれる気がするのは、私がそう思いたいだけか。 「ナマエ様は、どちらに向かわれますか? ジョナス様も、ナマエ様が行きたい場所に向かうと仰っていますが」  放浪の旅を続けるD.Q.O.の中、ステラにこう聞かれた。どうやら今のジョナスに、これといった目的はないらしい。いつも、かもしれないが。  ステラも、ジョナスも――私が言えば、しばらくはこの船に置いてくれるだろう。むしろ、ステラはその方が喜ぶかもしれない。ジョナスに仕えきりの彼女の心労を思えば。 「沙明のいる……惑星アースラに、行きたい」  それでも、私はこう答えた。  沙明。下船してから一度も会っていなかった、私の好きな人。  正直に言うと、沙明が本当にアースラにいるかどうかは知らなかった。沙明はあのとき乗船していたメンバーの、誰とも連絡を取っていないらしい。彼は別に夕里子のように身を隠す必要はないのだから、しっかり探せば会えるだろうが。 「かしこまりました」  ステラは少し寂しそうだったが、微笑んで答えた。そして、惑星アースラへと船は向かう。  どうやらステラが、アースラへメッセージを送り、沙明がいるかどうか、アポイントが取れるかどうか、調べてくれるそうだ。  ステラの王子様は、私ではない。彼女に対する感謝と、ステラがいつか王子様と出会えることを祈りながら、私は彼女に別れを告げた。 「よ。……久しぶりだな」 「……うん」  そして私はアースラで、沙明と再会した。彼は結局、この星に戻ってきていたらしい。ステラのアポイントが成功し、D.Q.O.が下船した寄港地で、彼が迎えに来てくれたのだ。  久しぶりに顔を合わせて、嬉しさが身体にこみ上げてくる。黒い髪に、形見のゴーグル。眼鏡の奥に見える、軽薄な笑み。あのときと、何も変わっていない。  ループのときの思い出が、ぶわっと脳内に広がる。過去を教えてくれたときのこと。一緒に、コールドスリープ室に入って抱きしめたときの、あのときの感覚。  ――それなのに。何故か、上手く言葉が出てこない。ループのときは、あんなに話していたのに。  私たちはそのまま、なんとなく無言で歩き始めた。  アースラは星としては田舎だそうだが、寄港地の周辺はある程度は栄えているらしい。現実逃避のように、そんな街中を眺める。  ……何故、無言なんだろう。自分でもよく分からない。沙明の気持ちも。  分からない。グノーシア騒動を終えて、船を降りた後の沙明の気持ちが。  彼は今、何を思って、私の前に立っているのだろうか。  近いはずの距離が、やけに遠く感じた。 「お前、今旅してるんだって?」  しばらく歩いていると、沙明がこう聞いてきた。 「そう、だね。そういうことになるのかな」  ……私は結局、過去が分からなかった。ループの中で情報を集めても、下船してから世界を回っても。私が何者なのか、どこから来たのか、分からないままだ。私はあのループの始点のときに生まれたのではないかと、そんな馬鹿なことすら考えてしまう。  だから、行く宛もない。帰る場所もない。いっそ本当に、D.Q.O.に住まわせてもらって、ステラの手伝いをしながら、放浪の旅を続けるほうが良かったか。  それでも私は――沙明に会いたくて、ここに来てしまったけれど。  それからはまた無言のまま、星を歩く。寄港地周辺を抜け出すと、アースラはこれまで来た星の中でもかなり田舎という感じで、沙明にはあまり似合わないように思った。  そんな私の気持ちを知ってか知らずか、周囲を見ながら沙明が喋り出した。 「俺も別に、ルゥアンのグノーシア騒動が終わってから、ずっとこんな星にいたってワケじゃないぜ?」  彼の言葉は軽薄な口調ではあるが、何らかの強い感情が込められている気がする。 「たまたまなんだよ、タマタマ。ちょっと、あー……昔のことを思い出して、気まぐれで戻ってきた。そんなときに、ナマエから連絡あったんだよ」  そして沙明は、小さく笑った。「この沙明」からは彼の過去の話を聞いたことはないけれど。沙明の過去は、ループしているときに聞いていて知っている。 「こんな星、もう戻ってくるつもりもなかったけどな」 「そっ、か……」  そんな彼の率直な言葉にも、上手く相槌が打てない。あのループの中で、あれだけ演技力も話の運び方も身につけたのに。  ループの中では、たとえ疑い疑われ嫌われても、またループが始まればリセットできた。  だが、ループはもう終わってしまった。一度失敗したら、もう取り返しがつかない。  私は、それを恐れているのだろうか。あの時はあれほど、ループを終わらせたかったのに。  自分は、ループの中で生まれたようなものだと認識している私は。ループが終わった今、ループのない世界での、好きな人との向き合い方が分からなくなっている。  私が持っていた銀の鍵は、もうこの世界にはどこにもないというのに。  また、無言。アースラは田舎かもしれないけれど、緑が多い。きっと探せば、動物たちも、たくさんいるのだろう。今もボノボがいるのかどうかは……分からないけど。 「なあ、ナマエお前さ。何で俺に会いに来たワケ?」 「何で、って……」  突然沙明にそう聞かれたが、返答に少し困った。明確な理由があるわけではなく、強いて言うなら「会いたくなったから」なのだが。それをはっきり言うのは、何だか抵抗がある。 「あ、俺が欲しくなっちまったのか? ンーフーなら大歓迎ですけどねえ?」 「しない」  案の定、こういう話の流れになるし。沙明はニヤリと、不敵に笑っていた。 「んだよ、俺、ンーフーとしか言ってないぜ? ナニ想像したんだよ。むしろンーフーをヤりたいのはナマエの方なんじゃねーの?」 「伏せ字にしなければならないことを誘う時点で、碌なもんじゃないってことは分かるでしょ」  そして、ため息。そういうことをしたくて沙明に会いに来たわけではないんだけど。 「あ? 俺が誘うことなんてイイコトに決まってんだろ。セ」 「しないって言ってるでしょ」  人の気も知らないで。私はため息をつく。  私はループの中で沙明に好意を抱いたけれど、沙明はそれを知らない。だから私たちの間に温度差が生まれるのも、無理はないのだけど。  でも何だか、こうして軽いやり取りをしていると、ちゃんと話せるようになってきた気がする。ループの中でも、沙明に誘われつつも、適当にあしらってきた記憶が思い出された。 「沙明ってさ、D.Q.O.にいたみんなにもそう口説いてきたの? というか、私以外ともしたいって思ってるんでしょ」  そしてじっとりと彼の顔を見上げる。沙明はニヤニヤしながら言った。 「そうねえ。俺、結構何でもイケる口ですし?」 「そこは嘘でも否定するところじゃないの?」  否定されたとしても、嘘だなと見抜いただろうけど。 「んだよ、俺が女に嘘ついたことあると思ってんのか? 俺ぁ誠実な男だぜ、マイハニー」 「絶対嘘でしょ」  ループ中に何回しげみちの歯が白く光ったと言われたと思ってるんだ。沙明が普通に嘘をつくことは分かっているし、嘘をつくときの仕草も、なんとなくわかる。 「沙明は結局、誰でもいいんだ」  そして私の口からため息と共に飛び出てきたのは、こんな言葉。  ……なんだか、めちゃくちゃ面倒くさい女みたいなセリフを言ってしまった。  だが、それはある程度事実なのだろう。あの粘菌のときだって、たまたま私が唯一無事だった女の子だったというだけ。あそこで生き延びていたのが他の女の子でも、なんなら女の子じゃなくても、彼は手を引っ張ったのだろうな。  それでも、あのとき。一緒にコールドスリープしたときに、彼を抱き締めるという選択肢を取って、沙明もそれを受け入れたのは、私だけだったと思いたいけど。  それに。同じグノーシアだったときに過去を教えてくれたのは、……誰でも良かったわけではないと、信じたいけど。 「ま、確かに可愛くて俺のこと好きな女ならいつでもドコでもンーフーしたいけどな」 「最低じゃん」  本当なら否定してほしいことも、否定してくれない。だけどそれが、沙明らしいといえば沙明らしい。 「なんなら沙明って、自分のことを好きじゃない相手でも可愛かったら口説くでしょ」  というか、実際そうだった。女の子に限らず、汎であり沙明のことが苦手なセツにすらしつこく口説いていたし。 「そりゃそうだろ。可愛い女は口説くのが礼儀だぜ?」 「はいはい……」  もう、ここについて突っ込むのは諦めた。私が好きになった男は、結局そんな人だから。そういうところすら、好きになってしまったから。  ……それより、セツの話だ。私は改めて、沙明にもセツの話を聞こうと思っていたのだ。 「でも沙明は、セツのことは覚えてないんだよね」 「……っだよ、またセツとやらの話か? 船に乗ってたときも、んなこと言ってたよなお前」  沙明は怪訝そうな顔をする。セツのことは覚えていなくても、セツのことを聞いてきた私のことは覚えているらしい。 「あの船に乗ってた全員に聞いたんだけど……やっぱり、覚えてないか」  あれだけセツを口説いていた沙明すら、セツのことを覚えていない。別の次元で、セツのループを止めたとしても、それは変わらなかった。  否、今考えればククルシカだけは覚えていた可能性があるけれど。彼女は私がナダに会いに行ったとき、既にループして姿をくらませていた。私が一番セツについて話したかったのは、ククルシカだったけれど。 「もう私には、セツはいないんだな」  もう二度と、セツには会えない。この次元にセツはいない。セツのことを覚えている人すら、私以外には一人もいない。  沙明はどこか気まずそうに黙っている。覚えていないものは覚えていないんだろうから仕方ないだろう。彼のことを責めるつもりもない。  逆に。会える限りの全員に話を聞けて、やっと、吹っ切れた気がした。 「私はね、沙明に会いに来たんだ。沙明に会いたかったから、来たの」  ここで私は、彼に会いに来た理由をはっきり言った。先ほどまではなんとなく抵抗があったが、今なら迷いなく言うことができた。 「リアリィ? ヒュウッ、なんだよアンタ結構俺のこと好きじゃん! んじゃ、今すぐベッドにでも行きますかねぇ?」 「行かない」  茶化すように言われたが、話を逸らされないように強制的に軌道修正。私は真剣に、沙明に話がしたかったから。 「沙明、私ね。あの船を降りてから、だいたい全員に再会したんだ。沙明が最後だよ」 「……んだよ。俺、後回しにされてたのか?」 「別に後回しにしてたつもりはないけど……自然にそうなっただけ」  不機嫌なフリをしてみせる沙明に、苦笑して応える。好きな人だからこそ、再会するのが怖かった気持ちは、確かにあったけれど。 「セツが……セツと一緒に、あの船を抜け出したらね。あの子と一緒に暮らしたいって、そう思ってたの。でもそれは叶わなくなったから……みんなに会って話をして、それからどうしようか考えようかなって思ってた。だから最後に、沙明に会いに来たんだ」 「へえ、俺はソイツの代わりってか?」 「違うよ。沙明じゃセツの代わりにはならないし」  ばっさり言う。どう頑張っても、沙明ではセツの代わりにはならない。セツは私にとって、何より大切な人だった。 「でも、沙明の代わりになる人も、いないよ。セツですら、沙明の代わりにはならない」  だが、これもまた真実だ。  そこで私は彼の顔を見上げる。沙明の表情は、どこか複雑そうに歪んでいた。  その表情を見て、私は思う。こんなことを言いながらも私は――今目の前にいる沙明を、あのときの沙明の代わりにしているのではないだろうか。  過去のことを話してくれた沙明。  粘菌地獄から抜け出して、一緒にコールドスリープルームに入った、沙明。  今の沙明にループのときの沙明を重ねていないと、本当に言えるのだろうか。  それは分からない、分からないけど――それは、これからまた考えようと思う。  私がこれから会うことのできる沙明は、今目の前にいる沙明しかあり得ないのだから。 「で、うだうだ言ってっけどさ。結局ナマエはこれからどうすんだよ?」 「どうしようかなあ。行く宛も、ないんだよね」  セツが残してくれた、セツのいない未来。そこで私は、何でもできる。  でも、何もできる気がしない。船を降りた後、できる限りの乗員たちのその後を見届けて――それで。全員には私とは違う未来があるのだと、実感してしまった。  これから、本当にどうしよう。  沙明とも会ってしまって、今の私には、したいことが何もなくなってしまった。  みんなに会ったら、何かいい案が思いつくかと思っていたけれど。沙明と会っても、私のやりたいことは、何も思い付かなかった。これからどうするかも。  私はループの旅を終わらせても、旅を止められなかった。  旅すること以外の生き方を、知らないから。 「なあ」  黙り込んでしまった私に、沙明は声をかける。それはあまりにも唐突で、素っ頓狂な提案に聞こえた。 「行く宛ないってんなら、俺と一緒にいねえ?」 「え?」  また、適当に口説いているのかと思って笑ってしまったけれど。でも、見上げた沙明の表情は真剣そのもので、思わずドキリとする。 「んな顔して一人きりになって世界に放り出されるくらいなら、俺に付いてこねえ?つってんの」  沙明の口からこんな言葉が出てくるとは思ってなくて驚いた。私が何も言えないでいると、彼は言い訳のようにこう言い始める。 「なんか、俺もフラフラばっかりしてらんねーなって思ったっつーか……最近は、やりたいこともあるし。そこに、アンタがいてもいいと思ったっつーか」  そして、ばつが悪そうに頭を掻く沙明。――いろいろ言ってるけど、要するに彼は。  私に一緒にいてほしい、と。そう思っているのか。 「で、どうよ? 言っとくけど、誰にでもこんな声かけてるわけじゃねーからな? なあナマエ。ァンダスタン?」  そして彼は誤魔化すように不敵に笑った。そんな沙明の言葉が、嘘ではないと思えて、酷く嬉しかった。  代わりの存在なんてない。今の沙明は、今の沙明でしかない。  誰でもいいわけじゃない。私にとっても、彼にとっても。  そうであると、私は信じたかった。 「うん。私も……沙明と一緒にいたい。これからどうなるかは、まだ分からないけど――」  今の、私に手を差し伸べてくれた沙明に。  誰でもいいからそうしてくれたわけではないと。  誰かの代わりにしているわけではないのだと。そう思いたかった。  私の未来が、私自身の未来が。ようやく見えてきたような、そんな気がした。

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